六ノ章
それは大川の川開きから数日たったある日のこと。 あの日の出来事は、龍閃組にとってはあまりにも重い出来事ばかりで。 幕府の姦計により全てを失ったと言う雹の存在は、今まで鬼道衆はただ江戸の町に混乱を もたらすだけの存在に思っていた彼らは、もしかしたらそれだけの存在ではないのではな いか。あの日彼らは初めてそう思ったのだった。 だが、それ以上に彼らの耳にこびりついて離れないのは、龍斗の言葉だった。 数日たってなお、その言葉は重く心にのしかかる。 「緋勇クンは・・・?」 小鈴がおずおずと言った。 「あれから一度も目を覚ましていない。」 今朝方会った少女によってつけられた京梧の傷を手当てしながら雄慶が答える。京梧はそ っぽを向いて何も答えない。 「藍もさ、調子が悪いって・・・起き上がるのも辛そうなのに、無理に来ようとするから さ、今日は無理やり休ませたよ。」 そして、暫く考えるそぶりを見せて、ようやく決心したように言う。 「ボクたちは・・・甘いのかな。御神槌サンの時も、雹サンのときもそうだったけど、ボ クは、えらそうな事を言っても、何も失った事が無いから。両親だってちゃんと元気だし 。・・・鬼道衆の人たちから見たら、間違ってるのはボクたちの方なのかもしれないよね ・・・」 目を伏せて言う小鈴。しかし京梧は低い声で言う。 「だからって・・・人を殺していいのかよ!人を・・・あんな風に利用していいのか!! ・・・お葉ちゃんの事をお前らは忘れたのか!?」 「確かに、無差別に関係の無い者に病をばら撒いたり。復讐の為とはいえ死人をよみがえ らせ利用したり、自分達の仲間すら鬼に変生させるなど、いくら過去に何があったとはい え、許される事ではないだろう」 怒りに満ちた京梧の言葉に、雄慶もまた静かに頷いた。 「でも・・・ボクにはまだ、自信が無いよ。自分達が正しいって胸を張っていえる自身が ・・・」 小鈴の言葉に、誰もが言葉を見つける事が出来なかった。 * あたりは既に炎に包まれていた。幕府の重臣たちはすでに事切れている。 京梧達にはにわかに信じがたい事だった。目の前の少女がそれをやった事に。 鬼道衆の雹だと名乗った彼女は、ただ冷めた瞳でその躯を見つめている。 「雹さん・・・貴方は一つだけ間違っているわ。」 ふいに放たれた美里の言葉に、雹は漸く美里達の方に視線を向けた。 「村がそんな目に逢った事を家茂様は知らない。ただ将軍を、徳川家を護るために重臣の方々が仕方なく・・・・」 「仕方なく?仕方なく殺されたと言うのか!わらわの家族も村の幼子までも・・・徳川の 正義のためなら、殺されても仕方無かったの言うのか!!」 美里の言葉に逆上したように、雹が叫んだ。 「そうじゃねぇ・・・けどな、殺されたから殺せばいいってもんじゃねぇだろ!たとえど んな理由があっても、人を殺す事は正義でもなでもねぇ。あんたのやってる事は、幕府と 全くかわらねぇよ!」 「だまれぇぇぇぇぇぇぇ!」 これ以上は聞きたくないとでも言うように、雹は耳を塞いでありったけの声をあげた。 「雹さん、貴方の気持ちはわかるわ。でも、復讐したって何も始まらない。貴方は生きて いるの。そして、死んだ人たちの分まで幸せにならなきゃ・・・」 「あなた達は・・・!!」 美里の言葉を遮るように発せられた龍斗の言葉だった。 普段からはあり得ない、彼の声に誰もが驚きを隠す事が出来ない。 しかし、そんな彼らの驚きなど気に求めぬように龍斗は続ける。 「あなた達には・・・きっと解らない。失ったものの苦しみなんて。あなたは全てを失っ た事など無い。目の前で全てを無残に奪われた事も・・・」 何処か苦しげな言葉だった。しかしそんな龍斗の言葉に、美里の表情に悲しみが宿る。 「だから、あなた達には解らない。そんな人の痛みも、苦しみも。あなたは失ったことが 無いからそんな事が言えるんです。」 「でも・・・こんな事は間違ってるわ!!!」 美里はそれでも、その考えに同調する事が出来なかった。 復讐のために誰かを傷つけるなんて間違っている。そう思えてならなかった。 「何故間違っていると言い切ることが出来るんですか?」 既に落ち着きを取り戻したかのように言う龍斗が、美里にはとても腹立たしく思えた。 何故龍閃組として戦っている彼がこんな事を言うのだろう。 美里にはどうしても理解できなかった。 そんな彼女たちを雹は心底驚いたように見ている。少なくとも幕府の狗たる彼からそんな 言葉を聞いたのが余程意外だったのだろう。しかし、その時雹は彼の瞳に宿る自分と同じ “何か”を見た気がした。 何かを言おう・・・そう思って口を開いた瞬間にそれは起こった。 『目覚めよ――!!』 心の奥から聞こえたかのような声に耳を傾けた瞬間、割れそうなほどに頭が傷む。 そして、驚いたような彼らの声。 その声を遠くに聞きながら、雹の意識はそこで途絶えた。 * 「何故死なせてくれぬ!」 血を吐くような雹の言葉だった。全てを失ってから人形のように生きていたと言う彼女。 まさしくそうであったのだろう。 お前達に自分の気持ちが理解るのかというその言葉は、彼らの耳に重く響いた。 ふいに龍斗の言葉が甦る。 そう、京梧たちは今まで全てを奪われた事など一度も無かった。 「だがな・・・俺は、この手で救えるものがあるのなら、全てを救いたい。」 そう言った雄慶を、雹ははっとしたように見つめる。この者達は何かが違う。その時にな って雹にはそう思えた。 「おかしな奴らよの・・・」 どこか穏やかに言う雹に、「お前だって十分変ってるだろ」と京梧が笑う。 そんな彼に苦笑いをうかべ、そして龍斗をもう一度見る。 彼には、他の龍閃組達と違ってなんの表情も浮かんではいない。ただその瞳だけが、妙に 悲しく見えた。 以前御神槌が言っていた。緋勇という人物を見ていると、とても心が痛んだと。何故敵に 対して彼がその様な事を言うのか、その時の雹には理解できなかったが、今になってそれ がようやく理解できた気がした。 先ほどの割れるような頭の痛み以上に心が痛かった。 すっと視線逸らし、「また会おう」と言い残すと、雹はその場から立ち去った。 「あの・・・緋勇さん・・・」 雹が去った後、どこか気まずげに美里は声をかける。 「知っていますか?」 そんな彼女を見つめ、龍斗は呟く。 「悲しみは人を殺すこともある。けれど・・・憎しみは時として、それを生かす術にもな りうる事を・・・そうする事でしか生きる術を持たないものもいることを・・・あなた達は知っていますか・・・。」 龍斗の言葉には何の感情も宿っていないように思える。 しかし、だからこそ、その言葉一つ一つが胸に突き刺さる気がする。 「だからと言って、人を傷つける事が良い事だとは俺にも思えない。でも、貴女の言って いる事は・・・彼らに生きる為の力を捨てろと、死ねと言ってるも同じ事です。全てを失 った、心の鎹をもたぬ彼らに、死ねといっているんです。」 美里が目を見開いた。あまりの言いように思わず京梧が声をあげようとした時、龍斗はそ のままその場に崩れ落ちるように倒れこむ。 『でも・・・』 雄慶がそれを支えたとき、思わず目を見開いた。 「酷い熱だ・・・こんな体で戦っていたのか・・・」 心底驚いたように言う。京梧達も驚いたように龍斗を見た。 そのまま意識を失う龍斗は、それでも心の中で、呟いた。 『でも、貴方達のその考え方・・・俺はとても好きです。そう思えればどんなに良いのに と、本当にそう思うんです・・・』 龍斗のその言葉は彼らに届く事は無かったが、「ごめんなさい・・・」という、意識を失 う瞬間小さく呟かれた言葉を、雄慶だけが聞き取る事ができた。 雄慶には何故だか、それがとても悲しい言葉に思えた。果たしてその言葉は誰に向けられ た言葉なのだろうか・・・ ただ彼の言葉だけが、京梧達の胸に重く、重くのしかかった。 天に咲く花 六章 完 |