それは 初めて心から望んだ 誓い




 

 

  追憶の章 其の五―砂上の城 後―

 

 

 

 

 

 

――お前を護る――

 

そう言った天戒の言葉に、龍斗は驚きを隠す事が出来なかった。

「それは・・・望みでは無いと思います・・・」

ようやく口から出た言葉は、想いとは裏腹で・・・

再び俯くと龍斗は唇を噛んだ。

しかし、天戒はそんな言葉を気に止めた様子も無く笑った。

「俺は生まれて初めて、心から誰かを護りたいと思った。村に住む者達は、俺にとって掛け替えの無

い同胞ではあるが、・・・鬼道衆の頭目として護らねばならぬと思うが、自分自身が護りたいと思っ

たのは、お前が初めてだ。」

その笑みを絶やさぬままに天戒は言葉を続ける。

「本当に初めてなのだ・・・誰かを護りたいと思ったのも、その人を愛しいと思ったのも・・・傍に

いてくれるだけで、心から幸福だと思えたのも。だからこそ、俺はその人の為に、せめてこの命を賭

けたい。お前と、共に生きていきたい・・・そしてこれは間違いなく俺の心からの望みだ。」

そんな天戒の言葉に、龍斗は俯いたままその手を握り締めた。

ただ黙ったままに、言葉を捜しているようだった。握り締めたままの手は、微かに震えていた。

 

――もしかしたら、傷つけてしまったかもしれんな――

 

そんな龍斗の様子を見つめながら、天戒はふとそう思った。

無論自分の言った言葉に偽りは無い。後悔もしていない。

ただ、もしその事で、彼を傷つけてしまったのなら、それは間違いなく自分の責任。

そう思い始めた矢先に、龍斗がぽつりと呟いた。

「・・・ごめん・・・なさい・・・」

その言葉に、僅かに落胆する。

しかし、天戒が言葉を発しようとするのを遮るように、龍斗は再び言葉を続けた。

「ごめんなさい・・・笑うのが苦手だから・・・。天戒の言葉は嬉しいと思うんです。こういう時は

、きっと笑うのが一番良いと思うんです。だけど、笑おうとすると、引きつったように表情が凍り付

いてしまって・・・どうしても笑えないから・・・」

俯いたまま語る龍斗の言葉は、天戒にとっては意外なもので・・・

再度「ごめんなさい・・・」と呟いた龍斗を、思わず抱きしめる。

その腕の中で、龍斗は言葉を続けた。

「昔から、こうなんです。自分の気持ちを、ちゃんと人に伝える事が出来なくて・・・笑ったり、怒

ったり・・・悲しい時でさえ・・・表情をうまく出す事が出来ないから。涙すら、流す事が出来ない

から・・・本当に・・・ごめんなさい」

その腕の中で何度も詫びる龍斗が、心底愛しいと思えた。ただ愛しくて、大切に思えた。

心の底から、護りたいと思った。

腕の中の彼が、微かに震えていた。そんな姿をただ強く抱きしめた。

「もういい・・・俺は、お前が傍にいてくれればそれでいいのだから。」

小さく、しかし優しく囁く。

考えるまでも無く、龍斗の過去を考えれば、彼が感情を表に出すのが不得手でも仕方のないことなの

かもしれない。

何よりも・・・

「それに無理に笑う必要は無い。言葉は無くとも・・・そこに想いがあるのなら、必ず伝わる。」

そううものだろう?そう言った天戒の言葉は、どこまでも優しかった。

「俺はな、想う心こそ大切だと思う。例え人が死んだとしても、その想いは必ず残る。死が二人を別

つともな。何故ならその想いがある限り、その人が生きた確かな証が残るからだ。そしてそれが在れ

ば人は生きていける。」

 

「だがもし、お前が感情を表す事が出来ずに、苦しいと思うのなら、泣きたいと思うお前の変りに俺

がお前の分まで泣こう。お前の分まで、怒ろう。そしてお前の分まで笑おう。だからせめて、そんな

辛そうな顔をするのだけはやめてくれ。」

そんな天戒の言葉に、龍斗は思わず顔をあげる。

「それに、お前の心は他の者にもちゃんと伝わっていると思うぞ。」

そう言って笑った天戒の顔を、龍斗は少し眩しげに見つめる。

 

「ありがとう・・・」

そう言ったその顔はどこかぎこちなく、しかし確かに微笑んでいた。

そしてその微笑を見て天戒も、再び笑う。

 

 

 

「そういえばお前に望みは無いのか?」

それは、初めて出会ったときに龍斗が天戒に言った言葉。

龍斗は少し考えるそぶりを見せる。

考えてみたら、何かを心から望んだ事は無いように思える。

例えば目の前にいる人に、もう少し笑いかける事が出来たら・・・とは思うが、こうしている今はそ

んな事はどうでも良いように思えた。

そう、彼がそばにいるだけで・・・

 

―貴方が傍にいるだけで良いです

 

言葉にすればたった一言。しかし、その思いとは裏腹に、言葉は決して口を出てきてはくれない。

そんな龍斗の様子に天戒は怪訝そうな顔で「どうした?」とたずねる。

その言葉はあまりにも優しさに溢れていて・・・思わず涙が出そうになる。

 

「桜・・・」

小さく呟かれた言葉に、天戒は思わず目を丸くする。

「桜が見たいです・・・見たことが無いから」

俯いたままの龍斗の言葉を聞いた途端、天戒は破顔する。

そしてその手のひらをそっと龍斗の頭にのせて言う。

「ならば春になったら酒を持って花見にでも行くか」

そして優しい笑みを浮かべたまま、続ける。

「出来れば二人で・・・」

 

多分自分はとても幸せなのだと龍斗は思う。

全てを失ったあの時から、自分の心は死んでしまったのだと思い続けていた。

人が持って当たり前の感情すら表に出せず、それ故に関わるは少なからず離れていった。

いつしか感情だけでなく言葉も殆ど口に出すことも無くなっていったのだ。

しかし、今ここにいる自分はあまりに自然に彼に笑う事が出来ている。

ぎこちなくとはいえ、確かに自分も笑う事が出来るのだと感じた。

そして、己に向けられる感情が暖かなものであればあるほど、それがこれ程までに嬉しく感じるもの

だという事を、初めて知った。

 

 

 

 

 

 

翌朝、傍らで眠るその人の姿を優しい笑みで見つめながら、天戒は初めて出会った雨の日の事を思い

出していた。

その感情を表に出す事は無く、ただじっと己を見据えていたその瞳。

自覚せぬ想いすら見透かすように、その口から語られる彼の言葉一つ一つが、迷っていた自分の心に

巣食う陰りを消し去っていく。

その言葉は隠し続けていた真実の想いを自覚させるに足りるもの。

彼の言葉を聞くたびに、自分の中の迷いが消えていく、そんな気がした。

それはまるで自分を導いてくれる光のようで・・・

今まで暗闇の中を彷徨っていたその先に射す一筋の光。その光が無ければ間違いなく、自分も・・・

そして鬼道衆の全てが、今も彷徨い続けていたかもしれない。何時果てる事ない闇に怯えながら。

その怯えすら、自覚することなく。

 

 

「お前は間違いなく、俺にとっての光だ・・・」

その言葉は、真実の想い。

だからこそ、その光を自分は護りたいのだ。

それが例え儚く崩れやすい砂上の城のようなものであっても。

 

 

 

だから誓おう

この命を賭けて・・・生涯お前だけを護ると・・・

 

 

 

 

それは、心から望んだ誓いの言葉

 

 

 

 

 

 

 

龍斗ははじかれたように目を開く。

「夢・・・」

次の瞬間、その胸が激しく痛むのを感じた。

息も出来ぬほどの苦しさ。

傍らで眠る京梧と雄慶を起こさないように静かに立ち上がろうとする。

しかし全くといって良いほどに体に力が入らない事に気付いた。

かすかに荒い息を必死で押さえ、龍斗は無理やり立ち上がる。

そしてそのまま重い体を引きずって部屋を後にする。

 

 

かつて全てを失った時、自分は二度と笑えないと思った。

死んだと思い続けていた自分の心に、新たな息吹を与えてくれたその人がいなければ。

そして初めて心から「生きたい」と思えた瞬間。

彼と共に生きていけたらと・・・心から願った。

龍斗はそっと目を閉じる。

二人で桜を見ようと約束した。

決して叶えられることの無い約束。

それはその願いと共に脆くも崩れ去った。

まさしく砂上の城の如く。

その罪だけが永遠に消えることは無い。

 

 

 

 

 

追憶の章 其の五 砂上の城 完