拾弐ノ章
目の前にいる、燃えるような赤い髪をした男――九角天戒を、京梧は怒りに満ちた瞳で睨み付けた。 それは、周りにいる仲間達も同じようだった。どこか悲しげに彼を見つめる美里と、相変わらず感情 を表さない龍斗以外は。 「・・・・?」 その時、彼の表情がいつもと違っている事に京梧は気づいた。 鬼道衆にさらわれた美冬を救うため、葛乃と共に訪れた等々力。 当然のように自分達の前に立ちはだかる鬼道衆。そこで対峙した火邑。 辛くも火邑を打ち負かすが、続いて現れる鬼道衆の頭目九角天戒。 恐らくは龍閃組にとって最大の敵ともいえる相手。 しかしその九角を目の前にしたその時、龍斗の様子は明らかに変わった。 確かにいつもと変わらぬ龍斗の顔。しかし、その瞳は普段の彼とは明らかに違っている。今まで鬼道 衆との戦いに於いて、龍斗はその面に何一つうかべる事もなかったが、その瞳が妙に悲しげであった のを京梧は覚えている。現に先ほどの火邑との戦いでの彼の瞳には、深い悲しみが宿っていた。 しかし、今の彼に浮かぶ表情は・・・? 怒りでは無い。しかし悲しみとも違う。 まるで迷い子のようなその瞳。 その感情を果たしてなんと呼ぶべきなのか、京梧には分からなかった。 「蓬莱寺!何をぼうっとしている!!」 背後からの雄慶の声に、ようやく我に返る。 「わかってる・・・」 この男にしては珍しく己の非を素直に認め、気を締めなおすように剣の柄を握りなおした。 目の前にいるのは、自分達の宿敵とも呼べる相手の、しかも頭目なのだ。 今までとは比べ物にならない敵だと違うことを、京梧は肌で感じ取っていた。 気を抜くわけにはいかない・・・ その額から汗がにじみ出る。 『負けるわけにはいかない・・・』 しかしその思いとは裏腹に、何故だか京梧は動く事が出来なかった。 恐怖ではない・・・むしろ自分はこの男と戦う事を望んでいる。それは龍閃組としてでだけでははな く唯の剣客としても。 しかし、心の奥で誰かが「やめろ」と叫ぶ。 何故これほどまでに戦いを躊躇うのか。今まで、そんな事は一度として無かったというのに。 それは他の仲間達も、そして九角も同じようだった。 辺りを只ならぬ緊張感が漂う。 どれほどの時が流れたのだろう? 最初に動いたのは、京梧だった。 「俺は負けるわけにはいかないんだよ!!」 まるで、自分に言い聞かせるように叫ぶと、愛剣を振り上げ九角に切りかかる。 戦いの火蓋が切って落とされた * 周りにいる雑霊を除けば、敵は九角一人であった。 にもかかわらず、龍閃組はかつて無いほどに、苦戦を強いられていた。 「鬼道衆頭目は、伊達じゃないってことかよ・・・」 長引く攻防戦に京梧は次第に苛立ちを覚えながら呟く。 すでに、戦線を離脱した者も少なくは無い。それ以外の者も自らの気力だけで立っているのがやっと という状態であった。 唯一人を除いて・・・。 「戦う気がないなら、どっかに行ってろ!目障りだ!!」 戦いが始まっても、なお決して動こうとしない龍斗。京梧は背後にどなりつけると目の前の雑霊を切 り捨てた。 そのまま一足飛びに駆け抜け、残りの雑霊も一気に片付ける。 残るは九角一人。その九角もすでに満身創痍で息も荒い。 「何故お前達は戦う・・・」 息も絶えだえに、九角が問うた。 「知れた事、この江戸を・・・そこに住む民を護るためだ。お前達はこの江戸を混乱に落としいれ、 多くのものを傷つける。それを阻止するのが我らの使命だ!」 九角の問いに答えたのは雄慶だった。 「ふ・・・至極真っ当な答えだな・・・」 はき捨てるような言葉だった。 そしてそんな雄慶達を無視するように、今度は龍斗に向かって問いかける。 「では、お前は何のために戦う?」 何故彼に問うて見たいと思ったのだろうか。しかし何故だか彼に聞かなければならないと思った。 そしてそんな九角に龍斗はかすかに驚いたように目を見張った。 「・・・自分の為に・・・」 小さく呟かれた言葉はあまりに以外なものだった。 京梧たちも意外な顔で、彼を見つめている。 「自分の為・・・だと・・・?」 龍斗はうなずき、九角をまっすぐに見た。 「もう二度と、後悔をしたくない。」 何の迷いも無い言葉だと、九角は思った。 二人の視線が重なる。九角は彼から目を逸らす事が出来なかった。 彼の目に迷いは無い。己をまっすぐに見据えてくるその瞳に懐かしさを覚える。 自分はこの瞳を知っている・・・? 「そんな筈はない・・・」 胸に過ぎる小さな疑問を振り払うように九角は呟いた。 ふと、胸に浮かぶ誰かの名前。それはとても懐かしく、何より愛しく思えた。 「・・・・・・」 しかし、喉まででかかったその名前は決して声にはならなかった。 「何故貴方達は無関係な人を傷つけてまで戦うの!!」 沈黙を破るように美里が叫んだ。その両眼からは涙があふれている。 「徳川への復讐こそが我らの悲願。その為なら、例え江戸の町が滅びようとかまわぬ。」 龍斗から視線を外すと、九角は迷いも無く答える。 「そんなの間違っているわ!そんな事をしても、新たな悲劇を生むだけよ。貴方は本当にそんな事を望んで いるの!!」 美里の瞳から、止め処なく涙が零れ落ちている。そんな美里の姿を見て、九角は僅かに目を伏せた。 「貴方の・・・貴方の望みはなんですか?」 龍斗は静かに問い掛ける。途端に九角は目を見開いた。 「俺の・・・望みは・・・」 九角は言葉を発することが出来なかった。自分には確かに幕府を滅ぼすことでもなく、闘う事でもな い、別の望みがあったはずだ。しかし、そんな迷いを打払うかのように答える。 「俺の望みは幕府が滅ぶことだけだ!」 『違う・・・俺の望みは・・・』 しかし自分をじっと見据えてくるその視線に耐え切れず、目を逸らしながら九角は答える。 「鬼道衆は、そのために在るのだからな。・・・第一、今の江戸に、幕府に護る価値があると、本当 にそう思うのか?」 再び龍斗に視線を移し九角は言葉を紡ぐ。自分を見つめるその瞳はどこまでも優しい。 『そう・・・俺の望みはただ一つ・・・お前を・・・』 九角が纏っていた殺気が消えた。 「お前には、解っているのではないのか?今のままでは、その下らん馴れ合いは確実に、お前の命 を奪うだろう・・・」 「・・・・・・」 九角の言葉に、龍斗はかすか目を見開く。その瞳に浮かぶかすかな想い。 「そりゃあ、てめぇの理屈だろうよっ!!徳川にどれほどの恨みがあろうと、多くの人間の命を奪っ ていい理由にはならねぇんだよっ!!」 そんな龍斗をさえぎるように京梧は叫ぶ。 ただ、許せなかった。今まで、彼らの為にどれだけの人間が傷ついてきたか・・・ 京梧の言葉に、九角は押し黙る。 「ならば、今この場で俺を殺すがいい。俺が死ねば少なくとも、今の鬼道衆は終わりだ」 「・・・・!」 ハッとしたように龍斗が九角を見つめた。 「そうかよ・・・なら、ここで全てを終わりにしてやるぜ・・・」 そんな龍斗を尻目に京梧が剣を静かに振り上げる。 『やめろ!!』と心の中で、もう一人の自分が言った。そんな、思いを振り払うように、剣を振り上 げた手に力をこめる。 「蓬莱寺!!」 血を吐くような、龍斗の叫び声だった。 京梧はその声を遠くに聞きながら、自らの剣を振り下ろした。 それをかろうじて受け止め、九角はその柄を更に強く握り締めた。 まるで火花が散っているかのような鍔迫り合いは、全くの互角に見える。 誰もが思わず息を飲む。 そして、そんな京梧の剣を受け止めながら、ようやく九角は理解した。 『そう、俺の望みはただ一つ。ただ一人お前だけを護りたいと・・・』 チリン・・・ 龍斗は、そんな二人の姿を・・・実際はただ一人しか目に映ってはいなかったのかもしれないが、じ っと見つめていた。 その時龍斗の耳に響いた鈴の音。 『本当に・・・いいのですか?』 比良坂の言葉が甦る。 「これで・・・いいんです。・・・これが俺の・・・願いなのだから・・・」 キーンと甲高い音と共に、九角の腕から剣が弾き飛ばされた。 しめたとばかりに、京梧はその剣を再び振り上げる。 * その瞬間比良坂はそっと顔を上げる。 光宿らぬその瞳に確かに映ったその光景。 すっと流れ落ちるその涙。 彼女の世話をしている女が驚いたように語り掛けてくる。 しかし、比良坂はまるでそれが耳に入らぬかのように、閉ざされたままの瞳で、一点を見つめ続けて いる。 「本当に・・・これで良かったのですか・・・龍斗・・・」 回りのものは訳がわからないとでも言うように彼女を怪訝に見つめていたが、比良坂は溢れる涙を拭 いもせずに、しかしそれ以上何も言う事は無かった。 天に咲く花 拾弐ノ章 完 |