拾四ノ章

 

 

 

 

 

 

 

事態は目まぐるしく変わっていった。

その後、美冬に降りた異国の少女の霊に惹かれて現れた雑霊。それをようやく片付けた時にはす

でに、九角の姿は何処にも無かった。その行方を追うも、結局九角を見つける事はできず、敵の

頭目をみすみす逃がす羽目となり・・・

「あ・・・」

小さく上げられた美里の声に、京梧達は彼女の視線の先を見る。

そこには硬く瞳を閉じた彼の姿。

その体には微かに血と泥に汚れた打掛がかけられている。

「あれは九角さんの・・・」

「緋勇クン、九角さんのこと・・・ずっと前から知ってたんだね。ボク全然気付かなかったよ。

だからいっつもあんなに悲しそうで・・・」

小鈴が目を伏せながら言った。

そんな言葉に京梧が何かを言おうとしたその時・・・

「あれは何だ・・・」

どこか呆然とした雄慶の言葉。彼はその方向を指差す。

わけもわからぬままに、その方向を見た。

「江戸が・・・燃えてる・・・」

信じられないように発せられる美里の言葉。

「あれ、内藤新宿のほうだよ!」

小鈴の言葉を聞いた途端、京梧は叫ぶ!

「とにかく、一旦戻るぞ!」

心得たように皆が頷くと、京梧はすかさず言った。

「雄慶、お前は一旦龍泉寺にもどれ!」

雄慶はその言葉に驚いたように京梧の方を見た。

「しかし・・・」

「美冬のことがある。それに、アイツを・・・このままにしとけないだろ」

雄慶の言葉を遮るように言われた言葉に、雄慶は心得たように頷くと、そっと彼の方を見遣る。

その瞳が悲しげに閉じられる。そしてそのまま龍斗を抱えあげると、仲間達の後を追うように駆

け出した。

 

 

 

 

 

 

目の前に立つ同心の姿を、京梧は忌々しげに睨み付ける。

時諏佐と言えば、まるでそれが予想通りとでも言うように、落ち着き払った顔をしている。

「神妙に致せ!」

そう言って時諏佐の腕を捕らえようとする同心に京梧は思わず切りかかる。

「おやめ!」

凛とした声で時諏佐が京梧を静止した。

「なんで、止めるんだ!」

京梧には訳が解らなかった。そんな京梧を時諏佐は笑みを浮かべたまま見つめる。全てを心得て

いるかのような、余裕すらあるそんな表情が、京梧には腹立たしかった。

時諏佐は言う。龍閃組は江戸を護る為の組織だと。

その自分達が今ここで幕府と事を構えれば、間違いなく大きな戦いになるのは間違いないと。そ

れだけでは避けなければならないと。

自分がいなくても、あんた達はやっていけるだろうと、妙に悟りきった時諏佐の物言いが、ただ

許せなかった。

自分達はこんな結末の為に今まで戦っていたわけではない。

ただ自分の信じるものの為に。

この江戸に住む人々を護る為に。

にも関わらず、この結末は一体なんなのだろうか。

既に彼女の手には縄がかけられている。

それでも全く無抵抗な時諏佐に向かい声を張り上げる。

「ふざけんな!ここまで俺たちを巻き込んで置いて、てめぇはあっさり舞台を降りるってのか!」

そんな京梧に時諏佐が答えようとしたとき、新たな同心がこちらに駈けてくる。

「守備は?」

「はい。いささかの抵抗も無く捉えました。」

上役らしい男は、その答えに満足したように、新たな指令を部下に伝えた。

「では新たな命だ。」

その瞬間京梧は耳を疑った。

「龍泉寺に潜伏する反幕の徒を火盗改総動員でひっ捕らえよ。」

―何故火盗改が・・・?

そんな京梧の疑問に男は答えることもせず、言葉を続ける。

「奴らの生死は問わん。抵抗するようであれば、容赦なく斬り捨てるようにとの事だ。」

そんな言葉に、時諏佐も思わず何かを言おうと口を開く。

しかし男はそんな時諏佐の、そして京梧の事など気にも留めた様子は無い。

「ただし、その際に緋勇龍斗だけは無傷で捕らえよとのことだ。」

「なんで・・・」

思わず京梧の口からこぼれた問いに男は全く答えない。

京梧はどこか冷めた口調で男に言う。

「残念だったな・・・」

あえて淡々と京梧は言った。

「なんだと?」

「あいつは死んだよ。」

そんな京梧の言葉に、男だけではなく時諏佐も驚愕した。

その様子に男の部下達は、どうすれば良いかわからないように戸惑いをうかべる。しかし、男は

気をとりなしたように、再び声を張り上げる。

「この事は俺より上の方に伝える。貴様らは与えられた任務を果たせ!」

「はい!!」

そんな様子に、時諏佐はそっと京梧を見遣る。彼女にとって、彼が死んだという事実は信じがた

いことであり、また心のどこかでやはりと言う感情がある。

京梧に何があったのか問いただしたかったが、今はそれ所ではないのだろう。

そして、京梧もまた心得たと言うように、幕府の静止を振り切り龍泉寺に向かって駆け出した。

そんな京梧を見送りながら、時諏佐は悔しそうに小さく呟く。

「どうして・・・」

そのまま幕臣によって無理やりに歩かされながらも、時諏佐は溢れそうになる涙を、ただ必死に

抑えた。

 

 

 

 

 

 

蟻の子も這い出る隙間の無い。

それはまさしくそんな状況だった。

「表、すごいひとだよっ!!」

どうして良いのか解らないように小鈴が言う。美里に至っては青い顔をしたまま、言葉も無い。

雄慶たちにとって火盗改は、御厨や与助のように、正義感があって何処か親しみやすい、そんな

存在だった。

全てを知っている訳ではないが、自分達の行動に理解を示してくれている彼らの存在があったか

らこそ、他の火盗改もきっとそうに違いないと言う思いがあった。それだけに、この出来事に驚

きよりも悲しさが先立つ。

あの火事の後、あらかたの救助も終わり、ようやく龍泉寺に戻った矢先の出来事。

「こんなの酷いよ・・・ボク達は確かに、幕府の人たちの思い通りに動かない事だってあったけ

ど。でもこれじゃボク達は幕敵みたいじゃないか・・・」

目に涙をためて、それでも何処か悔しそうに小鈴が言った。

その場にいる誰もが、その不安を隠せなかった。

特に涼浬は、信じるべき幕府の姿に何よりも同様を隠せないようだった。

「京梧、火事の後片付けからまだ戻ってないし・・・」

心細げに言われた言葉に、美里がそっと後を見た。次の瞬間・・・

「総員前へ!!!逆賊どもをひっとらえろっ!!」

その言葉に、全員に緊張が走る。

「京梧・・・まだもどらんのやろか・・・」

真那の言葉に、誰もが祈るように目を閉じた。

そうしている間にも、硬く閉じられた扉は、火盗改によってこじ開けられようとしている。

恐らくは幾ばくも持たないだろう。

何かを決心したように雄慶が重い口を開いた。

「武流殿、十郎太殿、梅月殿。女達を頼む。」

驚いたように、三人が雄慶を見た。

「俺が、外へ出て彼奴らを迎え討つ・・・難しいかも知れぬが、その内に」

雄慶の悲壮な決意に、美里が珍しく声を荒げて言う。

「そんなの、雄慶さんが危険だわ!」

そんな彼女の言葉に、雄慶は少しだけ笑うと静かに語る。

「確かに危険だろう。だがな、俺は誰かを護るために戦えるのであれば、幸せだと思っている。

例えその為に命を落とす様な事になっても、それでお前たちを護れるのであれば、それが俺にと

っての戦う意味だ。」

そして、そっと龍泉寺の奥に視線をむける。

「緋勇殿が・・・命をかけて、九角を護ったようにな・・・」

「・・・」

「不思議な男だ。今まで何をしていたのか、どういう場所で暮らしてきたのか、俺達の誰も知ら

ない。奴自身も何も語らなかった。己のことを何も言わず歩みよろうともしなかったが、だが、

俺たちはあの男から多くを学んだ。俺は少なくとも、彼から何かを護ろうとする強い意志と、信

じる心を教わった・・・今になって、ようやくそんな気がするのだ。・・・今更遅いかもしれん

がな。」

その言葉は後悔に満ちている。

「俺は奴に会えて良かったと思っている。そしてお主たちにも・・・」

誰もが、ただ黙って雄慶の言葉を聞いている。

だれもが何一つ口に出す事が出来なかった。

「・・・ここでお別れだ」

己の思いに雄慶が区切りをつける様に、決別の言葉を口にした瞬間。

「ふざけんな!!!」

それは今まで黙って聞いていた武流だった。

「そうやって自己満足に浸って・・・お前は満足だろうよ!!だがな後に残された奴らはどうな

んだ!お前はそれを考えた事があんのか!!!」

目じりが微かに光っているのは決して気のせいではないだろう。

「龍斗だってそうだ!自分は大切な物を護って死ねて満足かもしれないけど、その後、俺達が・

・・アイツがどれほど辛いか、全然考えてないじゃないかっ!!」

赤影としての彼ならともかく、今の彼からそんな激しい言葉が出たことに、少なからず驚いた。

「だからこそ、最後の彼の言葉は、九角だけではなく僕たちにも向けられた言葉だったんだよ」

そんな武流を、諭すように梅月が言った。そして雄慶に向き直り言う。

「でも武流君の言葉には僕も賛成だね。僕たちだって龍閃組として戦っている以上、ここを、そ

して仲間を護りたいと思う気持ちは一緒だ。ならば、君一人が戦う理由も無いだろう。僕たちは

仲間なんだから。」

その言葉に雄慶がハッとしたように、仲間達を見る。

「そうだよ、ボク達も一緒に戦うよっ!!」

「そうよ・・・わたし達はずっと一緒に戦ってきたんだもの。」

思いは誰もが一緒だった。

「・・・わかった」

心配げに、それでもどこか嬉しそうに雄慶が言う。

「せめて、彼だけでも護ってみせましょう・・・飛水ではなく、己自身の誇りにかけて。」

涼浬の言葉に、誰もが頷いた。

「いくぞ・・・」

 

 

 

彼らの、恐らくは今までで一番長い1日の終わりが漸く始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

天に咲く花 拾四章 完