拾五ノ章
「なんか、長い1日だったね・・・」 憔悴しきった顔で小鈴が呟いた。泣きそうな顔だと、京梧は思った。 「でも、ほんとびっくりしたよね。まさか将軍様まで来るなんてさ。松平サンもさ無事みたいで、 よかったよね・・・」 それでも必死に笑顔をうかべながら言う小鈴の言葉に、京梧はあえて何も答えず、踏み荒らされた 境内を片付けながらその奥を見遣る。 「こっちの片付けは、終わったで」 背後から掛けられた真那の明るい声に小さく笑い「すまねぇ」とだけ呟く。 「何言うとんの。うちも龍閃組やで。こんな時に助けあうんは仲間として当然やろ。」 何の含みも無い言葉だった。そばにいた、他の者達もうなずく。 「・・・そうだったね。」 少し涙ぐみながら、再び小鈴は笑った。 火盗改による龍泉寺の包囲。 その命をかけて、己の居場所を・・・仲間達を護るために戦おうとし、駆けつけた京梧と共に火盗 改と、そして鬼兵隊と戦い、辛くも打ち負かした・・・ 幸いにも、大阪より駆けつけた風々斎―勝海舟と、将軍家茂によってその場の騒ぎは何とか治まる かのように思えた。 だがその直後に現れた新たな敵。 謎めいた言葉と共に、その敵―黒蝿翁―は姿を消す。 そして龍閃寺に再び静けさが戻ったときには、長かった夜は明け、東の空が微かに赤らみ始めてい た。 仲間達も漸く安堵の息をつくが、その表情は決して明るくは無く、むしろ誰もが起こった出来事に 戸惑いを隠せないままに、一連の事件は一応の終結を迎えたのだった。 それは決して全ての終わりでは無いのだが・・・ * 「大変だったようだね。」 突然かけられた声に、その場にいたものが一斉にそちらを見た。 そこには静かに微笑む時諏佐の姿。 「先生。ご無事だったのですね。」 雄慶が心底安堵したように声を掛けた。 「心配をかけたようだね。・・・あんた達も・・・いろいろ大変だったようだね。すまないね。こ んな時に何も出来なくて。」 心からすまなさそうに謝る時諏佐に、雄慶は慌てて首を横に振る。 「いえ。先生こそ大変な目にあわれたようで・・・ご無事で何よりです」 その言葉に時諏佐は自嘲ともいえる笑いを浮かべた。 「あんた達に比べれば、あたしが受けた仕打ちなんてなんでもないさ・・・」 時諏佐の顔には深い苦渋が浮かんでいた。 「先生・・・」 雄慶はかける言葉を見つける事が出来ず、そんな時諏佐の顔を見つめる。 龍泉寺に戻る前に時諏佐は円空よりこの一晩の間に起こった出来事を全て聞かされていた。 火盗改による龍泉寺包囲の時のことだけでなく、龍閃組と鬼道衆頭目との戦いのことも。 前日の朝龍斗と話したときに過ぎった不安。 言い知れぬ悪い予感。 何故あの時龍斗と話したいと思ったのか。 まさかあれが最後の会話になるとは思いもしなかった。 いや、もしかしたら解っていたのかもしれない。龍斗から全てを聞かされた時に、こういう結末に なると言う事を。 これが最後になると解っていたからこそ、龍斗は時諏佐に全てを話したのだろう。 「で、龍斗君は今どこに?」 時諏佐の問いに、雄慶は辛そうに目を伏せた。 「・・・奥の部屋に・・・藍殿が付き添っています。」 「そうかい。・・・会ってくるよ。あんた達も少しお休みよ。」 それだけ言い残し、時諏佐は静かに境内を上がっていった。 * そう・・・あれが最後の会話だったのだ。 「貴方に頼みがあります」 静かに言った龍斗の言葉を、快諾した時諏佐に彼が語った真実。 それはにわかに信じがたいことで・・・ しかし彼の瞳がそれが嘘ではない事を物語っていた。 そして全てを話し終わった後に、龍斗は静かに言った。 「もし、俺がここに戻らなかった時は・・・皆にすみませんと・・・伝えてください。こんな言葉 では、罪は消せないけれど。」 そう言ってそっと頭を下げる。 そんな彼の姿を見て、だがしかし時諏佐にはそれが彼の言うように罪なのだとはどうしても思えな かった。 彼自身はそれを罪悪感として抱いている様だが、己の望みのために戦う事に一体何の罪があると言 うのだろうか。 少なくとも、龍閃組のだれもが・・・いやそれは鬼道衆とてそうだろうが、己のために戦っている のだ。たとえ江戸の為と銘打っても、強いて言えばそれが自身のためであるには違いないと時諏佐 は思う。 だからこそ彼女は、侮蔑の表情すら浮かべずに、ただ笑って快よく頷いた。 「まあ、本当はあんたが自分で伝えるのがいいんだけどね・・・」 時諏佐は微かに苦笑いを浮かべる。 「だから、戻ってきた時は自分で伝えると良いよ」 大丈夫、みんなちゃんと受け止めてくれるさ。と、そう言って時諏佐は笑う。その笑顔を眩しげに 見つめ龍斗は小さく言った。 「貴方達に会えて・・・本当に良かったと思います・・・」 それは彼の本心からの言葉なのだろう。 龍斗のその言葉に、時諏佐はすこし寂しげに笑った。 果たしてその時、お互いに理解していたのだろうか それが永久の別れであったということに もしかしたらあえて目を逸らしていただけなのかもしれない。 * 時諏佐は、真白き装束に身を包んだその少年の姿をじっと見つめた。そして、そっとその顔に触れ る。その肌は悲しいほどに冷たかった。 それは、すでに彼は大きく隔たれた所へ行ってしまったことを思い知らされているかのようで、溢 れそうになる涙を時諏佐は必死で抑えた。 「いろいろ・・・大変だったようだね・・・」 まるで幼子をあやすように優しく微笑みながら、口を開いた。 「ずいぶんと、辛い思いをしたんだね・・・」 龍斗の頬に触れながら、時諏佐は続ける。 「その苦しみも、痛みも・・・誰にも明かせずに・・・たった一人で、苦しんできたんだね。ごめ んよ。私はあんたの気持ちを何一つ考えていなかったね。」 静かに語りながら、それでも溢れそうになる涙を懸命に堪える。 「あんたは一体どんな気持ちで今までその拳を振るい続けたんだろうね・・・本当に苦しかっただ ろう?辛かっただろう?・・・でも、あんたはもう苦しまなくて良いんだよ。だからゆっくりとお 休み。あんたはもう、戦わなくてもいいんだから。誰も、あんたの事を責めたりはしないから。」 そばにいた藍が目を伏せる。その瞳から一筋の涙が流れ落ちた。 「ありがとう。私の方こそあんたに逢えて本当によかった。」 それは、もっと早くに伝えたかった言葉。 部屋の前には、いつの間にか全員が集まっていた。時諏佐は、彼らを振り返り言った。 「龍斗君から伝言を預かっていてね。」 「伝言?」 京梧がどこかつかれきった表情で問い返す。それに時諏佐は優しく笑む。 「すまなかったと・・・それから、あんた達に会えて本当に良かったと・・・」 そう言った時諏佐の瞳からは、涙が溢れでていた。その涙はまるで関を切ったかのように止まる事 は無かった。 「ひーちゃん、もう起きんの?」 消え入るような小さな声で、真那が呟いた。 「いや、彼は帰るべく所へ戻っただけだよ。ずっと戻りたかった所に。だから、僕らは笑顔で送っ てあげよう・・・」 そうだろう?と優しく言う梅月の言葉に、真那は笑って「うん・・・」と小さく頷いた。 「人が死んだら、その想いは残るんでしょうか・・・?もしその想いを受け止めてくれる人がいな くても」 それは最期に話したあの時に言った龍斗の言葉。 彼は一体どんな想いを込めてその言葉を言ったのだろう。 「想いは残るよ・・・必ずね。」 そう呟くと、時諏佐は開け放たれた窓から空を見上げる。 空は、何処までも青く澄み渡っていた。 空に咲く花 拾五章 完 |