少女は目の前に広がる賑やかな街並みを暗い瞳で見つめた。
「もう・・・戻れない・・・二度と・・・」
どこか辛そうに呟くと、そのまま目的地に向かって歩き出した。
参ノ章
その日、京梧達は時諏佐より与えられた休暇で、飛鳥山へと行っていた。 是非一緒に・・・という美里の言葉を龍斗は丁寧に断り、代わりに一人でいつもの場所 に行った。 そして、いつもよりも少しだけ遅めに龍泉寺に戻った時・・・ 「遅い!!」 声の主は与助と言ったか。 「全く何時まで待たせるンでぇ。」 一方的にまくし立てる与助に、声をはさむ隙も無く、龍斗はただ黙って彼が話し終わる のを待つ。 そんな龍斗の様子に気付いたのか、与助は 「客人は本堂のほうに案内しておいたからよっ。」 とだけ言い残しその場を去ろうとする。去り際に 「彼女によろしくつたえてくれ」 と言う言葉を残し。 訳がわからないままに、龍斗は本堂に向かう。そこにいたのは・・・ 「・・・貴方はこの寺の人ですか?」 目の前に立つのは見覚えの無い少女。 しかしその瞳に龍斗は誰かの面影を見た気がした。 龍斗は小さく頷く。 「なんだ、与助が言っていたのはあんたの事か?」 背後から聞こえた声に振り返ると、そこには京梧達の姿。 「で、俺たちに一体何の用があるんだ?」 京梧の問いに、少女は答えない。 「おや、みんな戻ってきたのかい?」 笑みを浮かべたままで時諏佐が本堂に入ってくる。 「探しに行こうか迷っていたところさ。丁度良かったよ。」 時諏佐の言葉に、誰もが怪訝そうな顔つきになる。 「で、この女は?」 京梧がぶっきらぼうに言う。
「みんな、そこにお座り。今からそれについて詳しく話す。」
*
涼浬と名乗った少女は、幕府が下した任の為にここに来たと言う事だった。 幕府が秘密裏に探す人物。 そして江戸の地理に詳しくない彼女に協力をする為に、白羽の矢が立ったのが龍閃組だ というのだ。 自身の勘で、この江戸にその人物が潜んでいるという涼浬に京梧達は思わず顔をしかめ る。しかも、与えられた情報と言えば、十八、九の男で、右手に三寸程の傷がある。そ れだけだ。無理だという小鈴の言葉も当然だろう。 しかし龍斗はその人物を良く知っていた。 涼浬はそんな京梧たちの表情を読み取ったのだろうか、思いついたように付け加える。 「その者は、名を変えているかもしれません。例えば、水田、玄田、黒江・・・如月」 その如月と言う名を聞いたとき、京梧が初めて反応を返した。 「どっかで聞いたような・・・」 「あ、ボク達がよく行く骨董品屋さんの名前が確か・・・」 小鈴もまた思い出したように声を上げる。 涼浬は京梧達からその場所を聞き出すと少し考え込む。 「今すぐそこに連れて行ってはもらえませんか?」 唐突な申し出に、京梧が明らかに面倒くさそうに不満を言う。 それでもすぐに向かわねばならないと食い下がる涼浬に、時諏佐が助け舟を出した。 急いては事を仕損じる。というその言葉にようやく納得したように、一向は明日王子に 向かうこととなった。 龍斗は、実を言えばそこに行きたくは無かった。 出来ることなら、彼らと関わるのは最小限に済ませたかった。 しかし、涼浬のどこか苦しげな瞳に、自分の姿を見た気がした。 「あんた達も気を引き締めるんだよ。」 時諏佐の言葉に、龍斗は何処か悲しげな瞳で頷く。 「・・・あんたは・・・優しい子だね。」 彼女もまた、どこか悲しげな瞳で言った。 「そんなあんただから・・・・あたしは安心して任せられる。」 時諏佐の言葉に、京梧達は訳がわからないとでもいうように彼女を見つめた。 しかし、あえてそれには何も答えず、「がんばっておいで」 とだけ呟くと、そのまま本堂を出て行った。
翌朝
まだ眠たげに京梧はあくびをかみ殺した。 今しがた朝早くから尋ねてきた者の様子を見るため、美里と龍斗、そして涼浬はこの場 にはいない。 朝餉の膳を片付けながら京梧は呟く。 「にしてもよ、あの女だけ人の気配がしやがらねぇ。あの女・・・本当に人間か?」 そんな京梧物言いに、雄慶がかすかに顔をしかめる。 「そういや、似てるよな。あいつら二人」 京梧の言葉に、小鈴が首をかしげる。 「あの女と緋勇だよ。あの無表情なところがそっくりだって言ってんだよっ!まるで能 面だ。」 「そんな言い方・・・」 思わず声を上げる小鈴に、しかし京梧はさして気に止めるでもなく片付けを続ける。小 鈴もまた何も言い返すことも出来ず、膳を抱えると厨房に向かって歩き出した。 「蓬莱寺。気持ちは解らんでもないが・・・あまりああいう事を・・・」 「わかってる!」 どこかぶっきらぼうに京梧が言い返した。その時・・・・ 「ちょっと二人とも、大変だよ!!」 慌てたように駆け寄ってくる小鈴の姿に、京梧と雄慶は顔を見合わせた。
*
御厨の来訪により、若干のいざこざはあったとはいえ、それを除けばほぼ予定通りに龍 斗達は王子へと出発していた。 出掛けに、龍閃組を組織したと言う人物に会うため長屋へと立ち寄りはしたものの、日 が高くなる前には王子へ向かうことが出来た。 龍斗は王子へ向かいながら、その時のことを考えていた。 時諏佐に紹介された円空と言う老人。 不思議な人物だと思った。 何も知らぬであろうその円空の言葉は、もしかしたら何かを知っているのではないかと 思えるほどに、龍斗の心に重く響いた。
―人と申すものは、詮が詮には、似るを友とす。緋勇よ、この先そなたの志に惹かれ集 う者を大切にすることじゃ。何時の日かそれが必要となる時も来よう。
まるで自分の心を見透かされているようだと思う。 龍斗はそっと今の仲間達の姿を見る。 京梧達はと言えば、妖と神の使いと言う二面性を持つという狐の話を雄慶から聞かされ ていた。 「陽と陰。正反対の存在だけど、どちらがかけてもつりあわない。まるで双子の兄弟の ようにも思えるわね。」 笑みを浮かべたままで言う美里の言葉に、龍斗は―そして涼浬もまたかすかに反応を示 す。
『兄弟と言うのは不思議なものだな・・・』
ふと脳裏に甦る言葉。 胸に湧き上がる思いを振り切るように、龍斗は瞳を硬く閉じた。 その時・・・ そこにいたのは、どこか柄の悪い男達の姿。 彼らの話に思わず顔をかすかにしかめる。 それは京梧達も同様のようだった。 しかし、それすらも気にも留めぬように、「自分達には何のかかわりも無い」と言い放 ち王子へと急ごうとする涼浬の姿に、京梧は思わず嫌悪の表情を浮かべた。 「確かに、俺たちのやってることが重要な使命だってのは解ってる。だからってな、目 の前の悪事を見逃すような真似は俺にはできねぇんだよ!」 京梧は涼浬を、そして龍斗をチラリと見る。 「まあ・・・お前らには解らねぇかもしれねぇがよ!」 吐き捨てるように言い残すと、京梧は男達の方に向かって駆け出す。 美里や小鈴、雄慶もその後に続く。 男達もまた京梧達の存在に気付いたの だろうか、どこか面白そうな顔でこちらに向かっ ていた。 その顔を見て、龍斗は思い出す。鍛冶屋の幼い兄妹のことを。 龍斗は、京梧の横に進む。それに驚いたような顔で京梧が見つめ返してくる。 しかし、目の前の敵をしっかりと見据える龍斗の表情に満足したように、自分もまた目 の前の男達を見る。 そして涼浬もまた、男達の前に立ちはだかる。 現れた涼浬の姿を見て、男達はいやらしげに笑う。 そんな男達の姿を軽蔑したように、冷めた瞳で見つめ涼浬は言う。
「愚かなものよ。飛水の力、その身をもって知るがいい・・・」
天に咲く花 参章 完 |