貴方に私の歌を、聞いて欲しかった・・・
追憶の章 其の弐
その日、龍斗はお葉の墓標を目の前にして、考えていた。 『貴方との約束を守れて良かった。貴方に私の歌を聞いて欲しかった』 お葉は確かにそう言った。 しかし、その約束がなされたのは、既に無い過去の話。 「貴方は・・・知っていたのですか?俺の罪を・・・」 そそ墓標を前に龍斗は呟く。 「本当なら、貴方を救いたかった。こんな形ではなくて・・・でも結局俺は何一つ出来な かった。あの時のように・・・」 自分はなんて無力なのだろうと、龍斗はこんなときに痛感する。 ただ、案外にお葉が穏やかな表情で逝ったのだけが、かすかな救いだった。 もしも、あの時彼女を止めることが出来ていたら、お葉が必要以上に苦しむ必要など無か ったのだろうか・・・? * お葉の命は間もなく尽きようとしていた。 その口からは、血があふれ出ている。 苦しげな息の中、それでも彼女は必死に口を開く。 「もう一度・・・唄いたい・・・貴方に・・・聞いて欲しい・・・」 それが決して叶わぬ願いである事は、誰の目にも明らかだった。 それでも龍斗は、頷いた。 「なら・・・元気になったら・・・聴かせて欲しい。俺も・・・貴方の歌を聴いてみたい から・・・」 例えその面に、その感情が宿っていないように見えても、その言葉が優しさに満ちている ことに、お葉は気付く。 「・・・ありがとう・・・」 それが、彼女の最後の言葉だった。 静かに閉じられた瞳は、かすかに震えている。 そしてかろうじて感じられていた彼女の息遣いが完全に途絶えた時、彼女を抱きかかえる ようにしていた桔梗は、そっと目を閉じる。 「なんで・・・」 彼女を殺した男達を殺しても、決して晴れる事の無い想い。 ただ、悔しかった。 お葉の命が長くないのは解っていたことだが、少なくともこんな風に死んでいいはずの娘 ではなかったはずなのだ。 「あたしは許さない・・・この娘を殺した奴らを・・・」 憎しみのこもった瞳で言う桔梗の言葉に、龍斗は思わず彼女を見つめる。 「止めておけ・・・この娘は復讐など望んでおらん」 諭すように弥勒が言うが、そんな言葉すら彼女には届いていないようだった。 床に転がるお葉の三味線を拾い上げ、音を鳴らす。 彼女の為にと、しっかり手入れされた三味線は結局は彼女の手に届く事は無かった。 「たーさん、憶えているかい?物には命が宿ると言ったことを・・・。大切に扱われたも のは良い妖に。粗末に扱われたものは、持ち主に復讐すると・・・そして、主を殺された 物は・・・」 「桔梗・・・!」 どこか悲しげに声を上げる龍斗を見て、桔梗は優しげに笑む。 「ほら、この三味線も哭いている。お葉を悼んで・・・悔しいってさ・・・あんたも復讐 したいだろう?あんたの恨みは、あたし達鬼道衆が、必ず晴らさせてあげるよ・・・」 「ききょ・・・」 桔梗は龍斗の言葉など全く耳に入らないかのように、そのまま歩き出す。 その三味線を抱いたまま。 龍斗はそんな桔梗の後姿をじっと見送った。ただ、悲しげに。 「今の彼女には、何を言っても無駄だ・・・彼女の気の済むようにやらせるしかない。」 どこかいたわるように弥勒が言う。龍斗は小さく頷いた。 「さあ、彼女を弔ってやろう。このままにしておくのは余りに不憫だ。」 「はい・・・」 * 「桔梗・・・」 唐突にかけられた声に、桔梗はビクリとする。 「たーさん・・・」 そこに立つ龍斗の姿を見て、桔梗は少し悲しげな笑みを浮かべた。 「気付いていたんだろ?この数日の間にあたしがしていたことを。」 桔梗の言葉に龍斗の瞳がかすかに曇る。 「こんなことをしても、お葉は・・・」 「お葉を・・・多くの女達を利用し、捨てていった奴ら・・・あんただって、あんな奴ら は死んで当然だと思うだろ?」 龍斗は答えない。ただ、悲しげな瞳で桔梗を見つめている。 居た堪れなくなって、桔梗はその目を逸らした。 「あたしは泣き寝入りなんて嫌だ。あたしは納得できない。萩原屋に、吉原に必ず復讐す る。必ず思い知らせてやる、彼女の恨みを!」 まるで自己弁護をする子供のように桔梗は一気にまくし立てる。 「お葉は、復讐なんて望んではいません。貴方が復讐する事は、彼女の為ではない。あの 人は吉原も・・・誰のことも憎んでなどいない・・・」 「あたしは!!」 これ以上は言わせないとばかりに、桔梗は声を上げた。 「あたしは嫌だ。あの娘を不幸にした奴らをこのままにしておくなんて!!」 そして、これ以上は何も聞かないとでも言うようにそのまま、踵を返し歩き出す。 「桔梗・・・」 どこまでも穏やかな龍斗の声だった。 ビクリと歩みを止め、それでも龍斗に何かを言われる前に桔梗は言葉を出す。 「あたしは・・・あんたのようには考えられないよ。」 そして、その視線だけを龍斗に向けて言う。 「あたしは墓前に手を合わせて、彼女の死を悼む。そんな自己満足はご免だよ。」 それ以上龍斗の顔を見ないように、桔梗は早足で再び歩き出す。 その背中に痛いほどの視線を感じた。 「龍・・・」 何時の間に現れたのだろうか。そこに立つ天戒の姿。 「復讐が必ずしも間違っているとは思いません。それが必要な人もいる。でも少なくとも 彼女は・・・あんな穏やかな顔で逝ったんです。こんなことを望んではいない。」 俯いたまま、龍斗は天戒に言う。 「桔梗は一旦こうと決めたら、どんなことがあってもそれを曲げる事はしない。例え俺が 命じたとしてもな・・・何より俺自身が・・・徳川への憎しみを捨て切ることが出来ない のだ。」 そして、思いついたように尋ねる。 「・・・ここにいるのが嫌になったか?」 そんな言葉に、龍斗は静かに頭を振る。 「でもここは・・・余りにも温かくて苦しい・・・少しここにいることが辛いと思う事が あります。」 そのまま、静かに部屋へ向かう。そんな龍斗の後姿を天戒は、どこか複雑な表情で見送っ た。 * 桔梗は再び逝ったお葉の姿を陰からそっと見送っていた。 「あたしがやった事こそ、結局は自己満足でしかなかったのかい?お葉・・・」 自分はこんなことを望んではいないと言ったお葉。 あの時の彼女の悲しげな顔に、ふと龍斗の表情が重なる。 「お葉…あんたはあんなに虐げられたにもかかわらず、なんであんなに安らかな顔でいら れるんだい?」 そっと萩原屋を見上げながら、桔梗は呟く。 もし自分が彼女の立場なら、どんなことがあっても自分を苦しめた奴らに復讐しようとす るだろう。 たとえ地獄に落ちようとも。 もしも・・・龍斗ならば、たとえ無残に殺されたとしても、きっと復讐など望まないのだ ろうか?どれほど苦しめられ、踏みにじられようと、お葉のように、穏やかな表情で逝く ことが出来るのだろうか・・・ 「あたしには・・・わからないよ・・・あたしにはまだ・・・」 * 京梧に誘われるままに行った吉原。 そこで聴いた彼女の歌はとても優しかった。 結局、龍斗は彼女を救うことは出来なかった。 しかし、彼女が最後に見せたあの穏やかな顔を、忘れることは無いだろう。 恐らくは全てを理解していたであろう彼女が、自分との約束を果たす為に唄ってくれたあ の歌声と共に。 追憶の章 其の弐 想歌 完 |