五ノ章

 

 

 

京から戻って数日。

鬼道衆も、九桐との対峙を最後に、ここ数日は鳴りをひそめていた。

しかし今日は大川の川開き。幕府の重臣があつまるこの日に、彼らが再び動き始める事は

必至で、誰もが今日という日に只ならぬ緊張を抱いていた。

朝、集まったら本堂に来るようにとの時諏佐からの言葉ではあったが、いつもなら刻限に

遅れることも無い小鈴と美里は、今日に限っては何故か遅れて龍泉寺に現れたのだった。

二人の表情にいつもの明るさも見られない。

「あれ、緋勇クンは?」

問われた言葉に、京梧が「俺が知るか」とぶっきらぼうに答える。

その言葉に、小鈴はしばし考えるそぶりを見せる。

「どうした?明るいだけがとりえのお前がそんな顔するなんてよ。」

からかうように言われた言葉。しかしいつもなら、すぐさま反撃が来るはずの小鈴からは

何も返ってはこない。怪訝な表情を浮かべ彼女をみた京梧が何かを言うよりも先に、小鈴

は小さく呟く。

「ボクさ・・・緋勇クンの事、苦手だな・・・」

「珍しいな、お前がそんな事を言うなんて」

茶化すような京梧をねめつけると、小鈴は更に続ける。

「だって、何考えてるのか全然わからないし・・・話し掛けても、ボクらの話本当に聞い

ていてくれてるのかも解らない。全然表情とか変わらなくって、ボクらのこと、本当に仲

間と思ってくれてるのかすら、わかんないよ。」

何処か苦しげに言う彼女に、美里も似たようなことを考えていたのか、小さくため息をつ

いた。

たしかに、今までの鬼道衆との戦いといい、京での事件といい、先日の九桐との戦いとい

い龍斗の行動は理解しがたいものだった。

あれほどまでに圧倒的な力を誇る彼は、その戦いに於いては、最初から最後まで指の一本

も動かさない事すらあるのだ。

京梧達が何を言おうと、その言葉に耳を傾けようともしてない。本当に自分達を仲間と思

っているのかわからない。少なくともそう見られてもおかしくは無い彼の行動は、彼らに

とって今一番の悩みの種なのだ。

「あいつは・・・俺達のいう事なんて全然聞いちゃいないんだよ!!」

ふいに吐き捨てるように京梧が言った。

「俺達の事を仲間だなんてこれっぽっちも思っちゃいねぇ!江戸のために戦っているよう

にも見えねぇ!なんなんだよ、アイツは!!」

「そこまでにしといで」

まさしくそれは鶴の一声。途端に京梧も小鈴も黙りこくる。

「時諏佐先生・・・」

何時の間に現れたのか、その姿を見て少し恥じ入るように美里は目を伏せた。

「全く・・・今日は大川の川開きだから、揃ったら本堂においでと伝えておいただろう。

龍斗はもう来ているよ。お前達も、支度がすんだならとっととおいで。」

そう言って、彼らに目もくれず部屋を後にする時諏佐の後姿に、誰もが思わずため息をつ

いた。

 

 

 

 

 

 

大川の川開きのせいか、それとも密かに来るかもしれぬ将軍の噂のためか、両国はにわか

に活気だっていた。

「うわぁ〜、やっぱりすっごい人だねぇ。」

小鈴が感心したように言う。

「えぇ、毎年の事とはいえ本当に驚かされるわね」

大事な任務の前とはいえ、美里もどこか楽しげに答える。

「これで、酒でも飲みながら花火見物が出来りゃいう事はねぇんだがな」

緊張感の無い京梧に、雄慶が苦笑いする。

「それにしても、人魚なんて本当にいるのかな・・・」

それは、先ほど会った御厨の話だった。

浅草寺の見世物小屋から逃げ出したと言う娘を見つけたら、是非保護してやってくれとい

うその言葉に、時間もまだあることだしと、その人魚を探す事にしたのだ。

とりあえずは、と行った見世物小屋の主人と一悶着はあったが、大きな騒ぎになる事もな

く、一行は川原へとたどり着いていた。

「・・・どうしたの藍?」

先ほどから言葉少ない美里の様子に気付いたのか、小鈴が問い掛ける。

「人を・・・見世物にして、お金をもうけるなんて・・・どうしてそんなことができるの

・・・?まるで人を物のように扱うなんて・・・」

悲しげな美里の言葉に、思わず誰もが黙り込む。

「世の中に虐げられたり、過去の妄執に縛られたりする必要なんてない。そんな事のため

に、傷ついたり命を落としたり・・・戦う必要なんて・・・」

いつもとは明らかに違う美里の様子に雄慶が心配げに言う。

「藍殿?なにか・・・あったのか?」

しかしそんな雄慶の問いに答えず、美里は龍斗に問い掛けた。

「ねぇ、緋勇さん。どうして私達は戦うの?戦う事無しに何かを変える事は不可能なの?

復讐なんてしたって・・・」

何故龍斗にそれを問うてみたかったのか、美里にはわからなかった。ただ、彼なら自分の

思いに答えてくれるのではないか、そんな気がした。そしてその言葉に龍斗が何かを答え

ようとしたその時・・・・

 

『刻が来る・・・変革の刻が・・・』

 

龍斗にはそれが誰の声なのかすぐに理解った。

「緋勇クン・・・?どうかしたの?」

小鈴が怪訝そうにこちらを見ている。しかし龍斗はそんな彼女の姿も目に入らないかのよ

うに、呆然と立ち尽くしている。京梧たちもそんな龍斗の様子に気付いたのか、何かを語

りかけてくる。

「・・・あれ?ねぇ、見てっ!!」

しかし、小鈴がすぐに何かに気付いたように声をあげた。その指差した方向に、視線を向

けるとそこにいるのは、悲しげな姿で静かに歌う金の髪をした少女の姿があった。

 

『金色の髪をした目立つ娘だ。そうそう見間違う事もないだろう。』

 

御厨の言葉が脳裏に甦る。

ならばあれが件の人魚なのだろう。確かに見紛う事も無い少女の姿だった。

ただ静かに歌い続ける少女に、誰もが胸を締め付けられるような、微かな痛みを美里達は

感じていた。

 

 

 

 

 

 

「だれ・・・?」

そんな京梧たちに気付いたのだろう、おぼつかない足取りでこちらに歩いてきた少女が、

静かに言った。

「あなたたちはだれ?・・・私を捕まえに来た人ではないの?」

何処か不思議な雰囲気を身に纏い語る少女に、誰もが一瞬言葉を失った。

「優しくて・・・暖かな《気》・・・」

そんな少女の言葉に、龍斗が何かを言おうとしたとき、背後から男の声がする。

「後をつけてみりゃ、案の定だぜ。」

いつの間に現れたのか、そこには見世物小屋の主人がいた。

商売道具を返せとがなりたて、挙句の果てには無理やり少女を連れて行こうとするその姿

に、京梧達は思わず嫌悪の表情を浮かべる。

思わず美里が「待ってください」と言うが、男はそんな言葉を気に止めるでもなく、少女

の腕を無理やりつかもうとする。

しかし、男の腕は少女に届く事は無かった。少女をつかむより先に、龍斗がその男の腕を

つかんでいた。

次の瞬間には、京梧が男を気絶させていた。目を白黒とさせる小鈴達に

「心配すんな、峰討ちだよ。」

と何処か不遜に笑う。

しかし、少女はそんな京梧の姿など目に入らぬかのように、その光宿らぬその瞳で龍斗を

見た。

「また・・・ここで会う事になるとは・・・思わなかった。」

龍斗の言葉に、少女は笑った。

「これが・・・わたし達の運命だから・・・」

そんな二人の会話に、京梧達は怪訝な顔をした。

しかし、今の二人の様子に声をかける術を見出す事が出来ない。

そんな彼らの様子に気付いたのか、少女は京梧に問い掛ける。

「どうして・・・わたしを助けたの?」

「どうしてって・・・そりゃあ、放っておけなかったからだよ」

何処かしどろもどろに京梧が言う。

「ま、どうせだから、骨の一本や二本折っといて・・・」

こともなげに言う京梧に、少女はやんわりと静止の言葉を口にする。

京梧は不思議な顔つきで、再び少女を見た。何故止められたのかが解らなかった。

「キミは、キミに酷いことをしたこの人を庇うの?」

小鈴も不思議そうに問い掛ける。

「この人はただ、己の心に忠実に生きているだけ。この人だけではなく、わたしも、そし

て・・・あなたちも・・・皆、自分の中にある思いに忠実に生きて、いずれは同じ場所に

帰る。人は誰しも己の内の正義に従って生きるもの。それを否定する事はその人を否定す

る事と同じ・・・他人の想いを間違いであるなどと、誰に咎める事ができるでしょう」

そんな彼女の言葉を、少なくとも美里は理解できなかったようだ。

「確かにそうかもしれない。だけど、それでは人は永遠に争いあわなくてはならないわ」

少女はそんな美里の言葉に、何も答えなかった。

「では、お主はこのままで良いのか?」

「そうだ、ねぇ良かったら、ボクたちと一緒に来ない?」

そんな雄慶と小鈴の言葉に、少女は優しく微笑んだ。

「いいえ、私はここに残ります。まだ、その刻ではないから。それに・・・」

そう言って龍斗の方を見る。

「龍斗さん・・・わたしを救ってくれるのは、今ここにいるあなたではない・・・」

そんな彼女の言葉に、誰も不思議な顔で龍斗を見た。

「さぁ、早く行ってください」

そういって再び微笑んだ少女に龍斗は囁く。

「ごめんなさい・・・」

その言葉に少女は、少し悲しげに笑った。

「早く・・・」

再び促す少女に、龍斗達は後ろ髪を引かれながらも、その場を立ち去った。

「本当にごめん・・・比良坂」

その呟きはあまりに小さくて京梧達の耳には入らなかったが、既に小さくなった少女―比

良坂には、その心が通じたのだろうか。

彼女は少し悲しげに目を伏せ、それでも再び微笑を浮かべ心の中で言う。

「また逢える日まで・・・さようなら龍斗。」

その心の声が聞こえたのだろうか、龍斗はそっと目を閉じる。

 

 

もしかしたら彼女に再び会う日は来ないのかもしれない。

自分のその願いを捨てきれない限りは。

比良坂もそれに気付いているのだろうか。

ただ彼女の悲しげな言葉だけが、何時までも胸の中に燻っていた。

 

 

 

 

 

天に咲く花 五章 完