発掘調査現地説明会(青空ミュージアム) 報告
広島城跡法務総合庁舎地点
平成18年10月28日(土曜日)
10−12時、13ー15時

2005年6月から発掘調査を行っている上記地点、2年目の発掘調査現地説明会が2006年10月28日に行われました。今年は天気よく、800人の見学者があったそうです。見学に行ってきましたので、遅くなりましたが、紹介します。

会場入口 奥にあるのが法務総合庁舎


発掘調査全景

東南から北西に向けて(左奥は裁判所) 北東から南西に向けて(奥は合同庁舎)
北西から東南に向けて(奥は八丁堀のビル群) 南西から北東に向けて(奥は法務総合庁舎)


説明会の様子

まずは入口で、説明会の説明資料をもらう。カラーで作られており、なかなかよい。

会場は反時計回りでぐるっと一周するようにされている。
10時からの説明会、目視で百数十人の人が集まっていました。東側の空き地(昨年の調査地点)に見学者が集まっての説明のはじまりはじまり!

その後11・13・14時と説明があったそうです。それ以外の時間帯は自由に見ることができました(昼1時間は休み)。
現場担当者が司会と遺跡の説明を実施。左が松原氏、右が松田氏。約10分で現場の説明が実施される。

昔ここには御用屋敷があり、宝暦の大火で焼失し、そののちは区画が変更されて道が通されたようです。(詳しくは資料参照のこと)
見て分かるとおり、今回は前回の説明会のようなわかり易い石垣列はなく、平面に掘り込みが沢山あり、実際にあった穴の跡だけでなく、確認用に掘ったトレンチ(溝)もあるため、一見何か、非常にわかりにくい。
発掘の進捗状況によって、発見されたときの状況を紹介できないので、あちらこちらに補足の説明パネルが用意されていました。
土の層を見ることは非常に重要。堆積の状況を確認し、どのようにして土が埋まったか、時代はいつなのかを特定する手がかりとなります。ちなみにここの穴からは、古い遺物が出たようで、資料によると、築城期の陶器が出土と判断しています。
石列と書かれているが、何の、どのようなものなのかは書かれていない。今回は全体的に一般の人に向けての説明が不足しているところが多かった。資料には、大きな石を溝状に配列した遺構で江戸時代初期の陶磁器が大量に出土とかかれているようであるが、多分遺構の正体はいまのところ不明ということなのではなかろうか。
説明が不足しているところ、見てもわからないところは調査員が補足の説明をする。中溝さんは身振り手振りで、一般の人にも非常に分かり易い。
外周だけではなく、遺構の一部にベニア板を入れて、見学できるようにしている。
ただ見るだけではわかりにくいので、調査員にどうしても質問をしてします。池と考えられている遺構の前での質問に対応している調査員(長石さん)。
調査員だけでなく、要所にはベテランの作業員が配置され、遺跡の説明だけでなく、発掘調査の説明などもしています(写真は説明をするMさん)。
この現場ではあちらこちらに井戸が見つかっています。同時期にあったわけではありませんが、中には「井戸の底に神が息をするための竹筒が残る」井戸もあったようです。
木枠で囲まれた井戸。井戸の周りに土が掘られているのは、もともと井戸の周囲の土を掘ってから作られたため。発掘調査では、周囲の土を確認して掘っていくのです。
井戸のなかからは、このような椀も見つかっています。通常木製品は残りにくいのですが、水分が大量に残っている井戸の中など、諸条件が揃うと残ることがあります。しかし、そのまま置いておくと干からびてしまうので、すぐに水につけておく必要があります。陶磁器と比べて発掘調査の事例が少ないのですが、今後の研究が発展することを期待します。
井戸の木枠を取り出したもの。椀と同じで水につけておく必要があるので、このような大きな桶に入れてある。
新聞でも話題になった、宝暦の大火の焼土の層の部分。発掘調査区の北西奥にあり、現在発掘中で、この部分だけブルーシートがはがされている。
宝暦の大火の焼土は、発掘調査区域全体でみられたそうで、その様子をパネルで紹介している。
宝暦の大火のところは皆さんの興味を引く場所のようで、取材(たしかNHK)や、質問の集中するところでした(奥の作業服の人が質問攻めにあう調査員の重森氏)
宝暦の大火のところの横にキレイな石積、ここのは明治時代に歩兵第11連隊の兵舎などがあり、軍関係の近代の遺構のようです。
遺物その1

陶磁器は右から古い順番に置かれている。通常、○○世紀○半とか、専門的に紹介することが多いが、ここでは約400年前など、現在をものさしにした紹介の仕方をしているので、一般の人に非常に分かりやすいようで、好評。志野焼のものもある。
遺物その2

このあたりはもう少し新しい陶磁器(江戸時代中ごろ)のもので、先ほどとくらべて磁器が多くなる。磁器が国産になるのは370年ほど前のことで、この時代には広島でも国産磁器が流通していることが分かる。右手前は土の人形。
遺物その3

このあたりは碗などが紹介されているが、絵柄にもいろいろな特徴があること、またじっくり見ると磁器(染付)の色合いが違うのがよくわかる。
遺物その4

このあたりは古銭、すり鉢、焼塩壷といったものも展示している。当時の武士の生活ぶりが分かり、非常に興味深い。陶磁器には出土地点などの記載が書けるが、古銭にはかけないので、袋に注記を入れたままの展示となっている。
遺物その5

このあたりは瓦や木製品が紹介されている。木製品は、乾燥すると干からびてしまうほか、字がかかれている部分(左のタッパーにあり)は見えなくなることがあり、注意が必要のため、すぐさまこういったタッパーに入れる。右は櫛で完全な状態で見つかっている。
遺物を紹介するところには、作業員がたっているが、簡単に分かりやすく説明してくれる。出口のところに遺物の紹介スペースがあるが、いつも人で群がっている。
遺物といえば、この現場のチーフ調査員で、広島城発掘歴15年の福原氏。より詳しい説明をしていました。

調査員・作業員の皆様お疲れ様でした。現場は2月まで、もうしばらく続くそうです。

前回の発掘調査現地説明会は こちら

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