城下町 7広島城の南

広島城の真南にあたる城下町は、現在でも紙屋町や本通になっているように広島の町の中心になっているところですが、江戸時代も、ここに広島城の大手口(つまりお城の正面)があったことからもわかるとおり、城下町の中心的位置をしめるといっても過言ではありません。
広島城は、西堂川・平田屋川という運河で物資を運び、その周囲に城下町が形成されていきました。

一丁目口御門からみた大手口。左がデオデオ本店。現在でも買い物客でにぎわう道。奥に本通りのアーケードが見える。ここが西国街道。
少し進んだところから、西(奥の茂みは原爆ドーム付近)を見た。この狭い道は城下町の名残を残している。ここは戦前まで猿楽町通りと呼ばれ、最近CGで復元されたところです。
真鍋御門から南側をみたところ。こちらも買い物などでおなじみ。奥に本通りのアーケードが見える。ここが西国街道。
中の棚という地名があります。ここには、上の表示にあるとおり、魚屋の町でした。西魚屋町,と、京橋町にあった魚屋町の間にあるということで、中の棚(店)と言われていました。
中の棚商店街にある、看板。広島城の収蔵品である城下絵屏風を使用している。江戸時代後半の町並みかこんな感じだったのでしょう。
岩礁の上に立つ白神社(しらかみしゃ)。ここが、広島城築城の頃の海岸線でした。


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