城下町 5広島城の南東


広島城の東より、さらに南側(つまり相生通りより南側)のエリアです。現在は、歓楽街となっていますが、西国街道が通っています。ここの町の区画は、基本的には城下町の区画が整然となっていますが、南へ行くと、途中で斜めに走る道不規則な道が混在しています(弥生町あたり)。駅前通りは新しい道ですが、この道は決して新しいものではなく、江戸時代からのもので、城下町の町割とは相容れないこのような不自然な形をしていたことは、絵図などを見ても明らかです。

流川通り、昔の道です。流川は、縮景園から流れてくる川でした。
薬研堀通り、これも昔の通りです。薬研とは、薬を砕くために使用した道具のことで、薬研堀は薬研に似た堀の形をしていることから名づけられています。
西国街道で、中央通りを超えて東に行ったところ、西から東に向かって撮ったもの。撮影は日曜日の早朝なので、閑散としている。
さらに東に行くと、途中で西国街道は北に折れ曲げる。その位置から北を向いた場所で撮影。

頼山陽の詩碑

中区東平塚町の京橋川の土手にあります。鶴見橋西詰めから少し北上した位置(トイレのすぐ北)です。川向こうには、山陽の父が眠る多聞院があります。

文政8年に、広島に帰省した時の詩のようで、なぜか猿猴橋から見た景色のことが書かれています。


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