まえがき、

現在の「船越」は広島市域の一角を占め、広い平地を抱えていますが、かつては、海岸に面した山裾と谷筋に限られた平地を持つ小さな農村でした。 
そのような農村から現在の都会?になるまでの「船越」の歴史に関心を持って調べていると、時々、奇妙な説に接しました。 例えば、「昔の船越は舟でしか行き来できない陸の孤島のような所だった」という話がありました。 
現在の「船越」南部の平地は江戸時代に干拓される以前は干潟が広がっていて満潮時には海水に覆われましたが、麓の平地を通って近隣との交流に支障は無く、「昔は陸の孤島だった」という事はありえません。しかし、その事を信じ、似たような話を加えて、21世紀の今日でも広めようとしている人もいます。

このような誤った説は、船越だけでなく近隣の地域史・郷土史類の中にも、もっと重大なものが語られています。
他の地域の例では、「古代の広島湾は北へ深く入り込んでいて、沿岸沿いには行き来できなかった」という説です。こういう説には合理的な根拠は無いのですが、唱える人が名の知れた学者であったために、正否を検証されることなく信用されています。

資料に欠ける古い時代の事になると、史実でない事柄が通説とされたり、古文書の記述を曲解されたりしています。
「虚構」が語られているのに、「事実」であるかのように昔の記述を紹介されています。
「古老の話によれば云々」の類も、実は近代以降の作り話に過ぎないのに、伝承や推論として記録されていることがあります。
あり得ない事柄を史実であるかのように、客観的な根拠ではなく主観的な推論によって、「学者」を名乗る方さえもが語っています。

これらの誤った説の多くは、地形の成り立ちや当時の景観を検証せず、つまりは、確かな証拠(データ)と論理に基づくのではなく、非科学的な空想を基に述べているものです。「アマチュア」であれ「プロ」であれ、地域史や郷土史を語る方々に非科学的・非論理的思考から抜け出せない人がいます。昔の人の書いた事や言った事を疑うことなくそのまま伝えるだけなら、現代を生きる価値はありません。
地形の変化は物理法則、例えば「土砂は水によって運ばれ、水は高きから低きに流れる」によって生じますが、このことさえ理解してない人たちがいます。

ここでは、真実を探るために昔の地形を検証することから始めます。 扱っているテーマは「船越」を起点に、他の地域へも広がりますが、訪ねたことのある土地に限っています。 既存の郷土史類(県・市・町・村史)とは異なる視点で、「船越から見た」山陽道沿線の歴史を探ります。


参照した資料は、広島市立図書館(各区図書館)の蔵書で閲覧できます。
各項の地図は、国土地理院地形図を基に目的に沿って編集した図を掲載しています。


鷹富士成夢


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