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飛渡瀬(ひとのせ)の名称の由来
 「国郡誌書出帳」(1819)によれば、江戸時代には能美島と江田島の間には海峡(瀬戸)があり、千石船が行き交っていたそうです。潮流による砂の堆積で浅瀬になるのでたびたび海底をさらって、船を通していました。
 その後、砂の堆積が進み、洪水などもあり、干潮になると能美島と江田島とが石伝いに浅瀬を飛んで渡れるようになりました。古文書には「飛渡瀬戸」という文字が見られます。このようにして「飛んで渡る瀬」と書いて「ひとのせ」という呼び名で呼ばれるようになり、寛永15年(1638年)頃、能美島側が佐伯郡飛渡瀬村となり、江田島側が安芸郡江田島内飛渡瀬となりました。
 昭和38年、行政上の混乱をさけるため、江田島町「飛渡瀬」は江田島町「江南」と改称されました。(江南も飛渡瀬と呼ばれていたんですね。)
 上記の絵図は「芸藩通志」に記載しているもので、飛渡瀬の様子がわかる最古の資料です。
 この絵図から、江戸時代後期にはすでに能美島と江田島は地続きになっていたことがわかります。
 この頃は現在のJA選果場からゆめタウンのあたりまでは、まだ海であったことがわかります。

現在の飛渡瀬・江南の写真です。

 
 
昭和11年頃の海軍兵学校の全景写真です。
※現海上自衛隊第1術科学校(江田島市)


 

平成20年撮影の海上自衛隊第1術科学校(江田島市)の
 全景写真です。
 海上自衛隊第1術科学校

 
 海上自衛隊呉史料館てつのくじら館


 
平和記念公園ー原爆ドーム
 
 平和記念公園ー原爆死没者慰霊碑

 
なんといっても広島といえば、宮島・厳島神社
寝殿造りの厳島神社の社殿
 
 
海にそびえたつ朱塗りの大鳥居 

マツダスタジアム(5月24日)ライオンズとの交流戦
赤・赤・赤!カープファンでいっぱいのスタジアム!
7対5でカープが勝ちました。大リーグのスタジアムみたいで素敵な球場です。


カープファンの熱い応援!

        縮景園
 元和6年(1620年)に築城された大名庭園です!
広島市の中心部にありながら、四季折々の豊かな自然を楽しむことができる庭園として
県民に親しまれています。
 
縮景園築庭400年
今年は縮景園が築庭されて400年の節目に当たります!
 

広島お好み村(広島市中区)
おいしい広島焼きのお店がいっぱい!


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