妙覚寺の歴史

 室町時代の開基の極楽山雲華院極楽寺にその歴史は始まり、慶長元年(1596)浄土真宗に帰依し、同年本願寺第12代准如上人に謁(えつ)し、「寂静山見寿院妙覚寺」の寺号公称(じごうこうしょう)を許され今日に到る。

 江戸時代初期、浄土真宗に於いて木仏本尊が御認許になるや、現在のご本尊「阿弥陀如来像」の御下付(ごかふ)をたまわる。しかし、正徳四年(1714)の火災により、ご本尊のみは無事であったが、本堂・庫裏(くり)等、伽藍(がらん)全てを消失したのである。

 爾来、門信徒は約四十年間(親・子・孫三代)の艱難辛苦の末、宝暦五年(1755)五月十二日、現在の妙覚寺本堂の棟上に至ることができた。

 今日に到るには、先祖・先人達には、様々なご苦労があった。 主なことを取り上げてみても、まず、八年に及ぶ天明の大飢饉(過去帳への記載、木毟り山の名前にも窺える)、三業惑乱、明治維新、第二次世界大戦、

 そして今日、価値観が大きく変わり、激動する時代の中で、「人間に生まれたからには、仏となる人生を歩む」「本願を信じ、念仏申さば、仏になる」という仏教・浄土真宗の御法義聴聞の場として、また、先祖・先人を偲ぶ場として、時には盆踊りなどの憩いの場として、住民のよりどころとなっている。

 さらに、近年には約三十年間を費やして、本堂昭和大修復、門信徒会館建立、鐘楼(しょうろう)再建、境内整備事業等を経て、より集いやすい場を願って現在の妙覚寺に至っている。


本尊(阿弥陀如来)

観音堂ー右側に見えるのは竃(かまど)神社の社殿です。極楽山雲華院極楽寺は真言宗でしたので観音堂が残っているのですね。 

 
参道から見た観音堂 

 
毘沙門堂ー内海地区の毘沙門原にあります。 毘沙門堂も真言宗極楽寺にあったものです。


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