さて、これから書くのは、昨年の登録研修の時のことだが、忘れられないできごとがあった。いくつかの生活場面の模擬通訳の中で、健聴者とろう者が誤解から少々言い合いになってしまうという設定があった。コミュニケーションというのは、2人以上の人がお互いに相手の言い分を「聞こう」と思うから成立するもので、「聞かない、言いたいだけ」となると、間に入る通訳は困難を極める。模擬通訳を見ながら腕を組む。こんなふうに両方の言い合いに挟まれてしまった時、通訳者はどうしたらいいのだろう? 通訳者の立場って? と考える。
質疑応答の時間に、疑問そのままを質問する。「両方が言い合って、挟まれた通訳者はどうしたらいいの?」と。すると、ろうのSさんがすかさず挙手。すたすたと前に出て、いともかんたんに「ろう・尊重」という手話を出した。自分としては、日頃の派遣での体験事例も心に持って、かなり深く考えて質問したつもりだった。「そんな、あっさり…」という気がして「え、ろう、尊重…? で、終わり?」と聞き返す。Sさん、しごく当たり前に「他に何があるのよ」という顔でにっこり頷く。にっこり頷くSさんを見ると、何か胸にストンと落ちる気がして、そうか、それでいいのかという気になった。「なるほど…」という手話をしながら、私も席に戻る。しばらく静寂…。それで終わりと思った時のこと、協会役員のTさんが、皆の注目を促すようにパンパンと手を叩いて前に出た。やっぱりにっこりと笑った。けれども、TさんはまずSさんに向けて「ろう・尊重だけではなくて、通訳者は中立だよ」と言った。次いで皆に向いてTさんの話は続く。Sさんははにかんだように頭を掻く。私はずっとそれを見ていた。
研修終了後、Sさんに「今日はありがとね。勉強になった」と伝える。Sさんは「ううん、私、まだまだ勉強不足だわ」と困ったように言った。その時は、自分の考えがまだ整理できていなくて、何が勉強になったか伝えられなかったのだが、考えていたのはTさんが触れた「通訳者の中立」ということだった。自分は聞こえる。聞こえる者が、聞こえる人と聞こえない人の間に入って「中立」を保つとはどういう意味か?ということ。 真ん中に立っている、中立だと思っている自分は、聞こえるのだ。その立ち位置は中立のつもりで、実は既に聞こえる人寄りに立っているのかもしれない。Sさんの言う「ろう・尊重」というくらいの気持ちでいて、やっと中立なのかもしれない…そんなことが頭を巡った。「『ろう・尊重』で『中立』」と考えると、Sさんの言い分もTさんの話も自分の中で調和しいくので、不思議な感覚がしたことを覚えている。これが「気づく」という感覚か。
この夜の研修のできごとを忘れられないが、もっと長く忘れずにいたいとも思い、紙に起こした。
(S)