紹介

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明国寺正面

本堂外観












御本尊

親鸞聖人 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
極楽浄土にあって、大悲の本願をもって生きとし生け
るものすべてを平等に救済してくださる仏さまです。
親鸞聖人は御和讃に、
「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし
 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」
(浄土和讃、註釈版571頁)
と、述べられています。
お念仏は、私たち全て(衆生)を救いとってくださる
阿弥陀如来への報恩感謝のしるしです。




親鸞聖人

親鸞聖人 浄土真宗の開祖(1173年〜1263年)
4月1日、藤原氏の支族である日野有範の子として誕生。9歳 の時、慈円について出家し、範宴と名乗る。
以後、20年間比叡山で修学した。29歳の時、比叡山を下り、六角堂に参籠し95日 の暁、聖徳太子の夢告を受けて、法然上人を訪ね、その門弟となった。
1207年、念仏弾圧によって法然上人や同輩数名と共に罪せられ、越後に流された。 恵信尼と結ばれたのはこの地であったともいわれる。
1211年、赦免され1214年妻子と共に常陸に移住し、関東での伝道の生活を送る。
そして『顕浄土真実教行証文類』六巻(教行信証)を著した。
この執筆年とされる1224年を立教開宗の年と定め、この書物を根本聖典という意味で
『本典』、『御本典』と呼ぶ。

聖徳太子

聖徳太子 わが国における仏教の始祖とされ、法隆寺や四天王寺など多くの寺院を建立した。
その精神は大使の制定した十七条憲法にも見られ、「和を持って貴しとなす」や「あつく三宝を敬う。 三宝とは仏法僧なり」などの文言が知られる。
親鸞は太子を「和国の教主」と崇め、太子を称える和讃も著している。
親鸞が、太子をまつる六角堂にこもり、夢告を受けて法然に会いに行くことになったのは、 有名なエピソードである。



蓮如上人

蓮如上人 1415年〜1499年。本願寺8代。7代存如の長男として京都大谷の本願寺に生まれる。
戦国乱世を生き抜き封建社会のなか、民衆に浄土真宗を広め教線を拡大する。
各地を巡回して布教したり、浄土真宗の教えをわかりやすく説いた『御文章』と いわれる数多くの手紙を書き、
門徒の教化にあたった。本願寺を今日の隆盛に導いた中興の祖といわれる。


七高僧

七高僧 親鸞聖人が選んだ、念仏の教えを伝えた高僧7人を「七高僧」と呼ぶ。
7人の高僧とは、
インドの龍樹(りゅうじゅ)
     天親(てんじん)
中国の曇鸞(どんらん)
     道綽(どうしゃく)
     善導(ぜんどう)
日本の源信(げんしん)
     源空(げんくう)(法然のこと)


大鐘

大鐘 鐘楼[しょうろう]に吊る青銅製の大きな鐘。撞木[しゅもく]でつき鳴らし ます。一般に、大鐘・釣鐘・洪鐘ともいいます。
現在のような形は、インドにはなく、中国で作られたもので
梵刹[ぼんせつ](寺院)において用いる鐘」 または、
(神聖・清浄)なる鐘の意」 ともいいます。
本派では、大衆の参集の合図として用いるので、集会鐘[しゅうえしょう] ともいい、また朝夕の時報としても用いられます。


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