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           広島城下歴史散歩

 

はじめに

中世から近世へ、広島市から東西方向へ西国街道を訪ね、広島県内のルートを検証していくつもりでまず地元広島市の歴史を調べている内いつのまにか我が町の発生の歴史に留まってしまいました。 西国街道は今後の課題として、本編は広島の町の草創期について記述したいと思います。

広島の町は東西南北に町割がなされているように見えます。

実はきちんと東西南北に揃っていません。 軸が東北に十七度ずれています。

軸はお城の堀に沿っています。 毛利輝元がデルタの砂州に築城するに当たり見立山から五箇の庄を眺め二葉山と茶臼山を横軸、北東鬼門に明星院を配し宮島弥山と結んだ線の交点に城の位置を定めたと聞きます。十六世紀の中、時の土木工事、風水、地割の事情により広島城の位置とお堀の区画が決定され、町割りは原則的にこれに平行、直角になされました。 広島の町は現在話題の道州制の州都に当たる当時の毛利百二十二万石の城下町として藩領を挙げて建設されたものです。 住民も武士を除いて殆どは建設ブームの商機を当込んでの開拓移民だったわけです。

広島城築城に関する記録と当時の広島、西国街道沿い近隣町村の様子を著す関連文書を集めて次の章のように纏めてみました。 
 

 

1. 毛利氏の広島城築城と当時の町割り


2. 輝元の築城決断にいたる背景と広島城の役割


3.  西国街道を旅した旅行者の広島日記


4. 広島の風土と生活を育んだもの

 
第1章は少し詳しく引用しすぎて面白くないかもしれません。 第2章以降は歴史の好きな読者向きです。ご興味をお持ちの方に読んで頂きたいと思います
 

投稿 栗林会員
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