報正寺住職・城山大賢
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  人生と社会 
創造の探求


    生と死を考える
 
 
国内外様々な出来事が次々に起こり、私らも、いつ、何に出会うかわかりません。
老、病、しょうがい、別離、怨憎、失意等、そして死も襲いかかってきます。
その中に、どうにもならないものと、どうにかなるものとがあると思います。
どうにかなるものには、個人的にも、社会的、政治的にも努力の必要があるということでしょう。
でも、どうにもならないものは、どうしょうもなくとも、これが自分だ、これが自分の人生だとしっかり受け止めるよりほかないように思います。
又、どんなに悪人といわれるような人であろうと、みんな誰しも、真実なるものを願い求めるものを内心に保持していない人はいないと思います。
そういう意味で、みんな素晴らしく、だめな人は一人もいないということでしょう。
逆に、どんなに善人といわれるような人であろうと、みんな誰しも、自我のとらわれから逃れられぬかぎり、完全な善人は一人もいないということでしょう。
そして、やがて、みんな必ず、死んでゆきます。
それは、事実としては、万物を産みだし、万物を育んでくれている、母なる大自然の懐に抱かれて、命のふるさとに還って行くんだと受け止めたいと思いますが如何でしょう。
それまでは、命のあるかぎり、どんなに苛酷な人生であろうとも、より真実なる自己と世界の創造に向かいながら歩み、そして息を引き取りたいものと思うことです。
澄んだ夜空を見上げれば、天の川や無数の星がきらめいています。
この大宇宙の神秘ですね。
この宇宙も11次元に無数にあるという説もあり、私たちの宇宙は、膨張し続け、やがて銀河は巨大なブラックホールに飲み込まれ、はるか先には、このブラックホールも蒸発し、冷え切った暗い空漠とした空間が残るだろうという説もあります。
これらは、ただ、大宇宙、森羅万象全て、意味を超えた、「非」意味な、厳然たる大宇宙大自然の法則、現象のなせるものなのではないでしょうか。
私たちは、その中の人間という、一生物として生死するのですね。
そして、この生物全般の基本的な生存目的というのは結局、種族永続というものではないでしょうか。
人間はサルから進化して、大脳が発達したといいます。
この大脳の新皮質に高度な思考をつかさどる、知性、理性、が発達し、優しさ思い合いなどの人間性といわれるものも発達しました。
大脳の旧皮質は原始生命以来の欲望・本能の領域ですから、利己的闘争の性格を持ち、新皮質の人間性は反対に、利他的共生の性格を持っていると思います。
本能は、種族永続へのアクセル機能のようですが、人間性は本能の暴走を調整制御する、ブレーキ機能の役目を担って、欲望・闘争の暴発による人類の衰亡を防ぎ、人類の調和、共生へと人類の永続をうながそうとしているように思います。
人は、この利己的闘争本能と相矛盾する、利他的人間性との間で様々に苦悩するのですね。
でもその中で、「真実の生き方とは何か」ということを考えると、「本能的なエゴから離れられぬままにも、より崇高なる人間性に生きようとすること」ということではないかと思います。
人間教育の原理も、又、老、病、死等あらゆる人間の苦悩を超えて生きる道、救いの道そして社会の諸問題解決の道もここにあるように思います。
利己的本能の領域に、束縛、差別、我愛、戦争、抑圧、民族主義、国家主義といったものがあって、
利他的人間性の領域に、人間性の原理であり、人類普遍の理念であり、国連、憲法の精神である、自由、平等、博愛、平和、人権、民主主義といったものがあるように思います。
人間の肉体は、死によって、大自然に還り、人間の一生の行為は、プラスもマイナスも歴史社会に残ると考えます。
すると、出来るだけ、上記利己的本能の領域の、束縛、差別、我愛、戦争、抑圧、民族主義、国家主義といったものでなく、利他的人間性の領域、人間性の原理であり、人類普遍の理念である、自由、平等、博愛、平和、人権、民主主義といったものを実現しょうとする生き方の所に、プラスなる人生、さらには永遠に連なる人生があるということになるでしょうね。
そういうところで真宗も捉えます。            
私にとって、目下の所、阿弥陀仏や浄土とは、実体的実在ではなく、   
究極の無我、慈悲、利他、布施といったものがらの象徴的表現と受けとめています。
ですから、浄土真宗とは、 「阿弥陀様や浄土と象徴的に表現されたものの中から、最も広く、最も深い、慈しみ、思い合いの心の世界を学ばしてもらい、同時に、阿弥陀様や浄土には、ほど遠く、狭く、浅く、さらには、冷酷、自己中心で、思い合いに欠ける自分や社会の、まことならぬことを気付かせてもらい、痛みつつ、いよいよ、それ故にこそ、阿弥陀様や浄土と表現された最も広く、深い慈しみと思い合いの心の世界を仰ぎ願い、そして、少しでも、慈しみ、思い合いに うるおう、自分と社会の創造に、一生かけて歩んでゆこうとする教え」
ということになるのではないかと受け止めています。
私は母を1998年に送りました。
母の入院中、母をいとしく思い、介護しながらも、心の底では、「あー、早くこときれてくれたら」とも時々思っていた、罪な自分を慚愧しています。
母に死なれて、あーほんとに、一期一会、人と人との出会いに、出来る限り真心を尽くさねばならないということをしみじみ感じたものでしたが、7日後には、はや忘れてしまっている凡夫でした。
以下は、私の偽らざる、正直な思いです。
母の肉体は、万物を生みだし、万物を育み、万物を受け入れる、母なる大宇宙、大自然にかえって行ったと受け止めました。
又、母の一生の行為の全て、よきもあしきも、残れるものの心に、そして社会に残ることを思いました。
そして、母の命の底にあって、母が一生、どれほど自覚していたかどうかはしりませんが、母の命の底の願い、それは、全人類通底する、真実「無我、慈悲、利他、布施なる自由、平等、博愛、平和、人権、民主主義等」への願い、それは、つづまるところ、「自己と社会の完成への願い」とでも言えようかとも思います。(これを経典作者は、仏願として、昇華し、象徴的に表現したと考え、さらに、浄土と、この願いの実現した世界として、同じく、象徴的に表現したと考えます。)
この願いこそ、いつまでも、どこまでも変わらぬ真実と考えています。
私は、母は、そこにかえっていったと受け止めています。
否、母のみならず、先立ってゆかれた全ての人々も、そこにかえってゆかれたと受けとめています。
なぜなら、そここそ、誰しもいのちの底で願っている、ゆくべき、かえるべき、ふまえるべき命のふるさと、願いの故郷と思っているからです。
母も、先立ってゆかれた全ての人々も、そこにかえられて、そこから、いつでも、どこでも、いつまでも、どこまでも、この不実凡愚の私と世の中を痛み、悲しみ、はぐくみ、願い、支え、導きつづけていてくださっていると受け止めています。
ここの所を、真宗の教義は、「全ての命は、仏の大慈悲に包まれ、願われ、導かれ、浄土に往生し、成仏せしめられ、今度は仏となって、この虚仮不実の世界にかえり来たって、全ての命を永遠に導き続けるのだ」と象徴的に表現していると受けとめます。
そして、私達は、不実凡愚の身ながら、慚愧と共に、この導きの中で、少しでも慈しみや思い合いに潤う、よりよき、自己と社会の完成の方向に向かって生きて行こう、それが母や先立ってゆかれた全ての人々の命に応える道の筈だからと思ったことでした。
これは又、将来の子供や孫、人類、生命のための道でもあると思うことです。 命の尽きるまで、少しでも、たとえ少しでも、私なりに出来るところでやらせてもらおう・・・。
でも、何もできなければ、せめて、ありがとう、すみません、どうぞを言わしてもらうだけでも・・・。
だが、言うことさえ出来ねば、ただ手を合わすだけでも・・・。
でも、手も合わせられないなら、ただ心の中でありがとう、すみません、どうぞと念じよう・・・。
だが、念じる思いさえ出て来ないなら・・・、でも、それでも嘆くまい。 大いなる、母なる大宇宙大自然の摂理の中に包まれ、 そして又、真実なる願いにうながされてあることにはちがいないのだから・・・。
そして、念じようと、念じまいと、やがて必ず、間違いなく、意識も命も失せる時がやってくる。
その時は、ただ、大いなる、母なる大宇宙大自然の摂理のなせるままに抱かれ受け止められてゆこう。
そして、そのままに、真実なる願いの故郷(浄土)にかえり、そこから全ての命に真実なる願いをかけ続けさせてもらおう。  よろずの命の浄福を願って。合掌  
   
 
 
住職・城山大賢
 
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龍城山報正寺の歴史

真言宗僧侶、強願(俗名源之丞兼久。1155(久寿2)年〜1230(寛喜2)年、76歳没)が、元暦年間(1184年4月16 日〜1185年8月14日)に創立と伝える。寺号は大徳庵。想像すれば、初代の源之丞兼久以来、真言5代、浄土真宗2代まで俗名に「源」という文字を使っており、古記録に、「源家の一流と申し伝う」とあるゆえ、源之丞兼久も源氏の流れのものとして平家討伐のため筒賀にやってきて、僧侶となり僧名を強願と名のったのではないかと思える。
真宗改宗は、初代超應(1483(文明15)年〜1570(元亀元)年)が50歳の時(1533(天文2)年)であり、よって真言宗時代は348年間、以後490年近くが浄土真宗時代となる。1743(寛保3)年、浄土真宗5代目住職玄智の時、本願寺から報正寺寺号および木仏認可を受ける。

 
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