2009/10/2

   つれづれに


党への要望
2009年9月
 
* 国づくりは人づくりで、為政者も、官僚も、財界も、国民市民も、人間性に基かないと、いい国家社会にはならないでしょうから、教育を最重要とし、やさしさ、思いやり、あたたかさなど、人間性を高める教育に重点をおきましょう。
 
* そして、弱肉強食の獣の顔をした闘争社会ではなく、人間の顔をした、格差なき共生社会を目指しましょう。
 
* 天皇制は、基本的人権が制限され、国税で特権的に保護されている皇族のためにも、男女平等、民主主義に反しているので、憲法1条廃止の方向で検討しましょう。
 
* 憲法9条は、尊重しましょう。
 
* 憲法20条は、国家と宗教、殊に神道との関与をきちんと排除したものですから、守りましょう。
 
* 日米安保条約は廃止して、日米友好条約にし、米軍基地は解消しましょう。
 
* 自衛隊は軍備を解除し、国内外救援隊にでも編成替えをし、世界各国との信頼互恵外交をもって国防としましょう。
 
* 国歌、国旗の強制はしないようにしましょう。
 
* 死刑制度は廃止して、終身刑の導入を検討しましょう。
 
* 原発は危険で、廃棄物の永久課題もあり、廃止、クリーンエネルギーに変換する方向を検討しましょう。
 
* 不安、不満、犯罪の元凶である、生活格差を縮小するため、富裕者・大企業等、応分の税負担の税制改革を。
 
* 基本的人権として、生活保障、就職保障を充実させましょう。
 
* アイヌの人々への謝罪と支援を進めましょう。
 
* 在日外国人にも一定以上の滞在期間を過ぎたら国民同等の責任と権利を保障しましょう。
 
* 日本のかつての戦争をきちんと国内外に謝罪し、誠実に償う、声明を内外に示しましょう。
 
* ハンセン病の人々、家族への謝罪と支援・偏見打破を進めましょう。
 
* 被差別部落の人々、在日韓国、朝鮮、外国人、しょうがい者、女性、他被差別の立場に置かれている人々、マイノリティ―に対する人権尊重の社会作りを
 
* 食料自給率を高めましょう。
 
* 粗製乱造のない社会を
 
* 蓄財でなく、寄付を評価する社会意識作りを高めましょう。
 
 
新・浄土真宗本願寺派宗制批判
2008年8月23日
 
はじめに
 
今年4月1日から、61年ぶりに、宗門の憲法のような宗制というものが改定され施行された。
この宗制改定に当たって、素案が全国の末寺に提示され、広く意見を請うということがあった。
そのとき、私も意見を提示した。
その内容の控えが無いが、今憶えているところでは、年式表記を国際暦にするようにということだけは指摘した記憶がある。
その後、改定された宗制が送られてきた。
私とすれば、対象的、二元的、恩寵的、いわゆるおまかせ的信仰を主とし、一元的、自覚的、実践的信心の希薄な教学が主流の教団ゆえに期待はしていなかった。
とどけられたものはやはり、ないものねだりか、期待はずれのものであった。
私の総じての感想は、宗門の基幹運動である、「御同朋の社会の実現」という文言すら全く無く、その実践的方向性が希薄であったということである。
以下、順を追って批判してみる。
 
1、 平成20年という元号のみの年式表記について
 
国家民族を超えて全人類を包摂する如来の大悲を踏まえるならば、御同朋社会の実現を目指す、海の内外へだてない世界を願うものとして、日本国のみにしか通用しない、しかも、御同朋の社会には相容れない、特権階級身分としての皇族、天皇制と連動する、元号よりは、国際暦使用であるべきである。
ちなみに、大谷派本山の宗祖750年法要駒札の年式は、元号を使用しない、国際暦のみである。
本願寺派の駒札は、元号のみである。
本願寺派の最近の公的文書ですら、たいていが国際暦(元号)併用であるというのに。
 
2、前文
 
前文とは、宗制の顔である。
その前文に、『本宗門は、その教えによって、本願名号を聞信し念仏する人々の同朋教団であり、あらゆる人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝え、もって自他共に、心豊かに生きることの出来る社会の実現に貢献するものである』とある。
これは、やはり、阿弥陀仏をあてたよりとし、お任せするという、対象的、二元的、恩寵的信仰による安心によって心豊かに生きられるというものであろう。
そうではなく、阿弥陀仏から、その本質としての、無我、慈悲、利他といった真実を自覚し、逆に自己と社会の虚仮をいとい、命や人間の尊厳と平等が侵されない社会の実現に向かうといった一元的、自覚的、実践的信心とは異質である。
 せっかくの基幹運動の『御同朋の社会の実現』という言葉も用いられていない。
 
3、第1章 歴代宗主影像安置
 
教法弘通の恩徳を報謝するためといって、本願寺歴代宗主の影像を安置するとしている。
過去の教団の歴史は、封建権力差別社会や侵略戦争と一体化した、背宗祖教学であり、背宗祖教団であったとの慙愧から、これは廃止すべきである。
 
4、第2章 聖教
 
三部経、七祖、宗祖以外の覚如の撰述、蓮如の御文章や歎異抄などを、宗祖の教えを伝承しその意義を明らかにしたとして聖教に準ずるものとしている。
上記3のごとく、過去の教団の歴史は、王法為本、仁義為先、世間通途といった封建権力差別社会と一体化した、背宗祖教学であったとの慙愧から、三部経、七祖、宗祖以外のものは聖教に準ずるのではなく、教学史書でよい。
 
5、第3章 教義
 
『南無阿弥陀仏の名号を疑いなく聞く信心によって云々』とある。
まさしく、対象的、二元的、恩寵的に、疑いなく、おまかせするという信仰表現であり、智慧の出で来る、一元的、自覚的実践的信心の表現ではない。
一元的、自覚的実践的信心よりすれば、『南無阿弥陀仏の名号から、無我・慈悲・利他といった普遍的な真実を自覚せしめられる、信心によって』というものでなければならない。
次には、『信心決定の上は、報恩感謝の思いから、仏徳を讃嘆する称名念仏を相続する。
これを信心正因、称名報恩というのである。』とあるだけで、信心決定の上から、わが身とわが世をいとうしるしとして、自己と世間の悲嘆、そして、御同朋社会実現への実践が繰り出されるとはなっていない。
『行とは、南無阿弥陀仏』のみであり、「聞名、称名」はない。
『信とは、無疑の信心』だけであり「菩提心」がない。
高僧和讃に『願作仏の心はこれ度衆生のこころなり、度衆生の心はこれ利他真実の信心なり』とある。
「菩提心」こそ宗祖の信心の力点で有ろうはずなのに。
『証とは滅度』だけであり、成仏という文言を用いていない。
 
6、第4章 歴史
 
『宗門の伝灯は、宗祖の孫である第2代宗主如信から第3代宗主覚如に受け継がれ、以降宗祖の子孫を宗主として次第相承されてきた。
第8代宗主蓮如の時に教線が拡大され、第11代宗主顕如の時には本願寺の寺基が京都堀川六条に定められて現在に至っている。
今日、その教線は世界の各地にひろがった。
このように宗門は多くの人々の懇念によって支えられ、法灯を伝承された歴代宗主のもと、念仏の法が受け継がれているのである。』とある。
あまりに門主、宗主の権威づけが強すぎるではないか。
宗祖から乖離して、封建差別社会を支え、侵略戦争と一体化したことの罪責は必ず、ふれるべきであった。
 
7、第5章 宗範
 
『本宗門に集う人々は、親鸞聖人の行跡を慕い、常に阿弥陀如来の本願を依りどころとする念仏の生活にいそしんで仏恩報謝に努め、現世祈祷を必要としない無碍の一道を歩むのである。』とある。
全く、御同朋の社会実現への道を歩むとの基幹運動の文言すらなく、その精神が希薄である。
 
 
 
 
浄土真宗本願寺派宗制感想
2007年10月3日
安芸教区山県太田組報正寺
 住職 城山大賢
 
総じて、せっかくの基幹運動である、御同朋の社会の実現を目指す実践的方向性が希薄
 
1、年式表記は、国家民族を超えて全人類を包摂される如来の大悲を踏まえるならば、御同朋社会の実現を目指す、海の内外へだてない世界を願うものとして、日本国のみにしか通用しない、しかも、御同朋の社会には相容れない、特権階級身分としての皇族、天皇制と連動する、元号よりは、国際暦使用が望ましい。
ちなみに、大谷派本山の宗祖750年法要駒札の年式は、元号を使用しない、国際暦のみである。
 
2、附則の「心豊かに生きる云々」よりも、せっかくの基幹運動のスローガン「御同朋の社会を目指して生きる」がふさわしかった。
 
3、第1章 歴代宗主影像安置
宗祖以降、真俗二諦論で、封建差別社会を容認した教団の歴史は背宗祖教学との思いから、これは控えたい。
 
4、聖教
三部経、七祖、宗祖以外は、聖教に準ずるのではなく、教学史書とでもしたらどうか。
 
5、教義
行には、衆生の行としての、聞名、聞法、称名も入れたい。
信には、菩提心を入れたい。これこそ宗祖の力点ではないか。
証には成仏を入れたい。積極性を考えたい。還相の基点だから。
「疑いなく聞く信心」より智慧のおこる信心としたい。
「信心決定の上は」わが身とわが世をいとうしるしがあることを強調すべし。
往相・還相・救いについて、御同朋の社会実現への生き方をこそ強調すべし。
 
6、第4章歴史
あまりに門主、宗主の権威づけが強すぎる。
宗祖から乖離して、封建差別社会を支え、侵略戦争と一体化したことの罪責はふれるべきであった。
 
7、宗範
御同朋の社会実現への道を歩むとの基幹運動の精神が強調されるべき。
 
県教育委員会への要望メール
2006年3月22日
 
日の丸、君が代の件で、卒業式・入学式での教師の内心の自由による行動に対して、処分をされぬよう要望
 
合掌
 
突然にて失礼いたします。
 
私は、
 
浄土真宗本願寺派報正寺住職・城山大賢と申します。
 
かねてより、日の丸、君が代の件で、卒業式・入学式での教師の内心の自由による行動に対して、その自由は基本的人権の一つとして尊重されねばならず、保障されねばならないことを思っておりました。
 
そうでなければ、民主国家とは言えないと思っております。
 
もし、それが保障されず、処分され抑圧されるなら、それを知る、児童生徒たちの人権教育上もよろしくないと思います。
 
私は以上の理由で、県教育委員会に於かれても、決して、教師の内心、良心思想の自由が侵害されることの無いよう、処分ということの無きよう、切に要望いたします。
 
合掌
 
首相官邸への メール
とその返答
 
17日、小泉首相が靖国神社に参拝する模様とのニュース
早速首相官邸にメールしました。
内容を保存しておかなかったので、思い出してみます。
 
「靖国神社は、昔も今も、かつての戦争を間違っていたと謝罪しない神社ではありませんか。
間違った戦争であったとしたなら、戦没者に対して、英霊とたたえ、敬意と感謝を捧げるというのは間違いであり、どこまでも戦没者に対しては、謝罪、お詫びしかないのではありませんか。
もし、本当に、首相が、かつての戦争を過ちだと思っておられるのなら、かつての戦争を今もって謝罪できない、靖国神社ではなく、 国立千鳥ヶ渕墓苑で、アジア諸国民はじめ国内外の全戦没者に謝罪されるのが妥当ではありませんか?」というようなことをメールしました。
それは今年夏の国会で、靖国神社参拝問題について、志位共産党委員長の「侵略戦争を正当化する靖国神社の戦争観に日本政府のお墨付きを与える」との批判に対し、小泉首相は「私は戦争への痛切な反省を表明している。靖国神社を参拝することが、靖国神社の考えを支持しているととらないでほしい。」と反論していることからも思ったことなのです。
メールに対し、返事など来るわけないと思っていたところ、思いがけなく、首相官邸から次のような返事が来ました。
小泉総理大臣あてに貴重なご意見等をお送りいただきましてありがとうございました。
 いただきましたご意見等は、整理して総理大臣に報告させていただきます。」
  首相官邸ホームページ「ご意見募集」コーナー担当
まあこれは、誰にでも出すものでもあるのでしょう。
これが担当者の仕事でしょうから。
整理するといっても、破棄も整理のうちでしょうし。
 
 
衆議院総選挙が終わって
 
郵政民営化の賛否が大きく取りざたされた選挙でした。
郵政民営化の賛否については、学習不足でいまだによう判断できぬ体たらくです。
ともかく、今までの郵政省時代や、郵政公社の長年の澱みがあるとすれば、それは一掃するために、民営化してみればよいと思います。
果たして、民営化して、もう澱まないかどうかこれが問題ですね。
その澱みの 元凶を考えれば、やはり人間の組織である限り、その組織人、役人、官僚といわれる人々の保身、事なかれ主義、既得権益の保持、あえて火中の栗を 拾うことのためらい、など、人間の人格、誠実性の問題になると思えます。
それはどこの組織でも同じことでしょう。
私も頭が痛いことです。
この人間度のようなものが浄化されぬ限り、又澱んでしまうのではないかと思います。
今度、民営化したとして、初めはよいようでも、民間競争で、山間僻地はほったらかされてしまうようなことになるのではないか心配されます。
そうれば、その穴埋めは、国にさせなければならないでしょう。
その 他、小さな政府ということで、国が、口出ししない、経済の自由競争にゆだねると、いよいよ貧富の格差が大きくなり、多数の住民の不平、不満が増大することでしょう。
そうすれば、選挙で、政権はひっくりかえされるでしょう。
結局は、民営化するにしろ、しないにしろ、その政府や企業 等組織の人間のありよう、によって、国の形は良くも悪くもなるということでしょう。
国づくりの基は人づくりといいますが、この人づくりの難しさを私自身を含め思います。
この度、総選挙で郵政民営化のことばかりが大きく取り上げられたようですが、今度、憲法を変えようということで、国が、戦争のできる方向へと進んでゆくようなことに、これでよいのかと案じます。
軍備を持つのは当たり前、国際紛争には相互の殺し合い、やむ無しということにくみするか、それとも、まったく、無軍備・丸腰で、諸国と最大限の互恵(互敬)外交をし、諸国との信頼の絆を高めることによって、紛争に至らせぬ努力をするということによる国防論にくみするか、やがてことに憲法9条の改定をめぐって、世論が紛糾する時が来ることでしょう。
以下は私の遺言平和論です。
 
あなた(子供たち)への手紙(遺言)        父(ペンネーム獏)より
 
戦争回避には、甚だ絶望的だが、まず、何より、平素から、有事にならぬように、コスタリカの如く、無軍備、永世中立、教育立国で諸外国と信頼、人権和平、互恵外交をしておく事。
 
だが、それでも、なお、武力攻撃を受けた時、非は向こうにある故、いたずらに、交戦して、殺傷の被害の増大をもたらすより、国連、国際世論に訴えて、非暴力で殺傷の加害、被害を止める事。
 
たとえ殺され全滅しても、釈迦族やガンジー(その差別性は是認できぬが)の如く、非暴力不服従で、自分たちは、殺すことはなかったという崇高な道に永遠に生きて欲しい。
 
 

ホーム 阿弥陀仏の情的味わい 大事な人を失った方へ ひとり言 大きな衝撃に出会った方へ
気まぐれブログ つれづれに プロフィール 報正寺通信NO,8 報正寺通信NO,7
報正寺通信NO,6 通信NO,5 通信bS 通信NO,3 通信NO,2
通信NO,1 論述 リンク 行事案内 自己紹介

houshouji@hi.enjoy.ne.jpご意見・ご感想はこちら 

○○のお店:お勧め商品