報正寺通信NO,9

報正寺通信

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報正寺通信2019年4月

聖典学習会のご案内

24日() 朝10時〜30分(おにぎり会の中)

学習聖典・無量寿経 (現代語版浄土三部経)   

住職自修  参加費無用

聖典から人生・社会の諸問題を問うてみましょう。

どうぞ誘って気楽にご参加下さい

前回の学習内容から          

 次に中輩のものについていうと、すべての世界の天人や人々で、心から無量寿仏の国に生れたいと願うものがいて、上輩のもののように修行者となって大いに功徳を積むことができないとしても、この上ないさとりを求める心を起し、ただひたすら無量寿仏を念じるのである。

そして善い行いをし、八斎戒を守り、堂や塔をたて、仏像をつくり、修行者に食べものを供養し、天蓋をかけ、灯明を献じ、散華や焼香をして、それらの功徳をもってその国に生れたいと願うのである。

このものが命を終えようとするとき、無量寿仏は化身のお姿を現してくださる。

その身は光明もお姿もすべて報身そのままであり、多くの聖者たちとともにその人の前に現れてくださるのである。

そこでその化身の仏にしたがってその国に往生し、不退転の位に至り、上輩のものに次ぐ功徳や智慧を得るのである」

解釈                  

 お釈迦さまが、道を求める、人間の資質を上輩、中輩、下輩という三通りに分けて、その中の中輩について説法されたということになっています。

 上輩については、前々回に学びましたのでここでは省略します。(以下、お釈迦様の説法ということです。)

「心から、大慈悲の世界である、無量寿仏(阿弥陀仏)の国に生まれたいと願う、天人(架空の迷いの世界の人物)や人間で中輩の者は、上輩の者のように、修行者となって大いに功徳を積むことができないとしても、この上ないさとり(真実の体得)を求める心を起し、ただひたすら無量寿仏を念じるのです。

 そして、無我や慈悲、利他、布施といった善い行いを

し、一日一夜の期限を限って、僧侶と同じように、心身の行いを慎み、- 生き物を故意に殺さず、物を盗まず、よこしまな性行為をせず、-嘘をつかず、酒を飲まず

衣食住に贅沢をしないことを守り、お堂や塔を建て、仏像をつくり、修行者に食べものを供養し、天蓋(仏像や祭壇などの上の装飾用のおおい)をかけ、灯明を供え、花びらを撒き、焼香をして、それらの功徳をもって仏の国に生れたいと願うのです。

 命を終えようとする時には、無量寿仏は、化身という姿を現わしてくださいます。

 この化身の身は光明もお姿もすべて尊い願と行に報われた姿であり、多くの聖者たちとともにその人の前に現れてくださるのです。

そこでその化身の仏にしたがってその国に往生し、退転することのない位に至り、上輩のものに次ぐ功徳や智慧を得るというのです。」以上

実は、上輩の者には、阿弥陀仏は、その身のままに姿を現せられますが、この中輩の者には、そのままの姿ではなく、化身という姿で現れるというように差異があり、この経典作者の表現に疑念を感じます。

 また、本来的には、阿弥陀仏は平等の慈悲ですから、上、中、下、どんな人であろうと、平等に同等の仏となし、同等の功徳を与えられるべきはずのものですから、この表現にも経典作者に疑念を感じます。

 それ故、親鸞様が、阿弥陀仏からの、臨終来迎たのむことなく、常に阿弥陀仏の大悲と共にあると受け止められ、浄土に往生してさらに行を励んで成仏するという従来の解釈を改められて、往生すれば即、成仏すると解釈された事に、これでこそ真実とうなずきます。

無量寿経から思うこと          

無量寿経は、経典作者が、お釈迦様の悟りの内容を、多くの人に理解していただけるようにと、経典作者なりに表現したものと言えます。

 お釈迦様の悟りとは、全ての物が、無限の時間空間、宇宙大自然の中で関係しあっていて、万物と自分と一体であることを感得した境地と言えます。

それ故に、みんな全てが、自分と同じく、いとしく尊いものとして、同悲、同苦する、大慈悲の境地と言えます。

 ですが、無量寿経は、上記のように、経典作者の表現に問題を感じるところは他にもありますが、お釈迦様の悟りの内容である、大慈悲の世界を伝えようと様々に工夫し表現されていることは感じます。

 そしてさらに、この他者の苦しみ、悲しみに、他人ごとならず、自分のこととして、同悲、同苦するという境地というものは、同時に、人々を苦しめ、悲しめている、政治社会含め全ての虚偽、邪悪への怒り、悲しみであり、悲憤の慈悲というものであろうと思います。

 こういう悲憤の慈悲というものこそ、宗教、道徳、倫理、思想、哲学の違いを超えて、崇高な真実というものではないかと思います。

 無量寿経の表現から、是は是、非は非として、真実と虚仮を学び続けたいと思います。

 

天皇代替わりに、天皇制を考える        

 仏教は、本来、平等の思想で、この平等の仏や仏国浄土を真実として生きようとする仏教徒は、特権身分も、被差別身分も無い、みんな平等に尊重される御同朋の社会の実現を目指します。

ここに立脚しますと、この天皇制という制度は、平等に反し、仏教の目指す、御同朋の社会の実現に反するとは言えませんか。

なぜなら、天皇制は、国家として、皇族の人々を特権的に、国費で保護し、しかし、居住、信教、職業選択、思想言論、選挙等の自由が著しく侵害され、皇位継承者の場合、婚姻の自由も不完全で、皇位継承においても、長男優位、女性排除の差別があります。

天皇は、古来、武力支配、統合の権力で有ったり、他の支配権力に権威を付与する貴なる権威であったりして、民衆の平和や人権平等の社会の実現には相反するものでしかなかったのではないでしょうか。

こういう血統身分を引く、生身の個人が、国の象徴であり、日本国民統合の象徴であることは、民主主義には相いれないと思います。

こういう、国家の制度としての天皇制、皇室制度というものは、国の民主主義のため、また、皇族の人々の人権尊重の為にも、国民世論の広がりにより廃止され、皇族の人々は、自由な市民として解放されることを願います。   もとより、国家の保護制度から自由になった皇族の人々が、皇族存続について、自由であることは言うまでもありません。


報正寺通信2019年3月


聖典学習会のご案内

21日() 朝10時〜30分(おにぎり会の中)

学習聖典・無量寿経 (現代語版浄土三部経)  住職自修  参加費無用  

聖典から人生・社会の諸問題を問うてみましょう。

どうぞ誘って気楽にご参加下さい

永代経法座のご案内

4月2日(火)夕7時半(住職自修)

3日 ()朝席・昼席三次、西善寺、小武正教殿

おとき日・・・3日(水)朝、9時半・昼、2時始め

どうぞ、誘い合ってお参りください


   浄土真宗とは    

 文字どおり、浄土の真実を宗とする教えと言えます。

 浄土とは、阿弥陀仏の慈悲の世界です。

阿弥陀仏の慈悲の世界は、限りなく広く深く、全て漏らさない平等の慈悲ですから真実です。

ですから、浄土真宗とは、この浄土の真実を宗、つまり、大事なこととして、反対に、狭く、浅く、不平等で無慈悲な自分と世の中を恥じつつ、慈悲の真実にうながされながら生きて行く教えと言えます。

映画「コスタリカの奇蹟」解説書から紹介その2

コスタリカは、中米の小さな国で、1948年(71年前)軍隊を捨てた国として有名です。

 教育費、医療は無料です。

3年前、世界、151ヶ国のうち、地球幸福度指数で生活の上でも、精神面でもトップでした。

 30年前、ソ連とアメリカの対立でコスタリカはアメリカから参戦を迫られました。

 窮地の中、モンへ大統領は、アメリカの圧力に対抗し、ヨーロッパに行き、各国首脳に支援を訴えました。

 帰国後、永世中立を宣言し、「平和が精神的武器だ」と述べました。

 カトリック教会と世界各国がこの宣言を歓迎、コスタリカ世論も83%が支持しました。

 33年前、中米は、アメリカとソ連の対立を受け、血みどろの戦争状態でした。

当時、アメリカは、コスタリカの中立路線に、資金援助を打ち切ると脅しました。

しかし、アメリカの軍事路線に断固反対し、平和への道を選び、アメリカ寄りの候補を破って当選したのが、当時44歳のアリアス大統領でした。

 コスタリカの国民は、外交も、政治方針も軍事化に反対だったのです。

 アメリカは、コスタリカに圧力をかけ続けました。

 アリアス大統領は、外交支援をヨーロッパに求め、ローマ法王や、ヨーロッパのほぼ全首脳を尋ね、「何百万という中米人の命が私たちにかかっている、何としても失敗できない。」と訴え、説得しました。

 その後、中米各国の大統領たちをホテルの一室に集めて協議するのに、アリアス大統領は、ドアに鍵をかけ、合意に達するまで出ませんでした。

 中米各国はめでたく合意し、紛争を留めました。

 アリアス大統領は、アメリカもソ連も驚いたはずといっていますが、世界中が称賛し、ノーベル平和賞をもらいました。            

 アメリカは、コスタリカを脅しましたが、アリアス大統領は、「援助を失おうとも、未来を見据えよう、この道が国益だ」と非暴力を訴えたのでした。

 そして、多くの人々の支持を得て中米に対するアメリカの圧力を退けました。

 16年前、アメリカ、イギリスなどは、イラクに侵攻しました。

 37年前から、コスタリカは、永世中立国だったので、国民は猛反対したのですが、当時のコスタリカのアメリカ大使が、当時のコスタリカのパチェコ大統領に「国益のために参加しなければならない、とにかくイラク侵攻に賛同すべきだ」と強く勧めました。 

 コスタリカのパチェコ大統領は、イラク戦争にとても消極的だったのに、今までのコスタリカの平和主義に反して、アメリカのイラク攻撃の有志連合に参加を決めてしまいました。

 そこで、当時法学生だった、サモラさんは、大統領を訴えました。

 コスタリカ、99%の国民がイラク戦争に反対でした。

 法学生の友人は「法を学ぶものとして何かすべきだよ」と言いました。

 サモラさんは「訴えよう」と言いましたが、みんなに反対されました。

 同級生たちは、生涯、渡米を禁じられるかもと、個人への報復を恐れていました。

 大統領を訴えない理由を聞いても説得力のないみんなに怒り、サモラさんは訴状を提出しました。

 コスタリカの最高裁は「イラク侵略支援が、コスタリカ憲法と平和的伝統に反する」との判決を下し、大統領が負け、学生のサモラさんが勝ちました。

 9年前、隣のニカラグア軍が突然挑発的にコスタリカ領の島を占拠しました。

 もしコスタリカに軍隊があれば戦争になっていました。

 ニカラグア軍は軍隊を倍にしました。

 ところが、当時のコスタリカのチンチャージャ大統領は平和主義に反して、国民に予備軍への参加を求め、国境警備訓練を強化したのです。

 チンチャージャ大統領の支持率は急速に下がっていました。

 そこで、支持率を回復するために、大統領は、ニカラグアを攻める姿勢で、国家主義的な勢いを得ようとしました。

 コスタリカ外務大臣は自衛軍の必要性を説きました。

 しかし、この意見には多くの人々が反対しました。

 紛争が始まり、コスタリカはニカラグアの侵入を確認すると、国際司法裁判所に訴えました。

 コスタリカはこれまで、国際司法機関や国連や人権合意に積極的に参加し、世界の様々な問題に取り組み、貢献してきました。

 結果は国際法の大勝利、国際政策、自衛政策としての平和の大勝利で、一発の発砲なしに国際紛争が解決しました。

 「ラテンアメリカを非武装が守った。軍隊は、特定の集団にとって権力を得るための道具だった。だから危険な状態を避けるためには軍をなくせばいい」とサエンツさんという人が語っています。

 アリアス元大統領は「紛争解決の可能性について、外交や対話を通じ、武力に訴えず交渉し、若い人々に諦めないことの大切さを教えるのです。無防備こそ最大の防御です。軍を持たないことで弱くではなく、強くなったのです。」と語っています。

「コスタリカの非武装中立が支持されているため、我が国を攻撃すれば国際社会が黙っていません。これこそ、歴代のコスタリカ大統領が「道徳的な力」が盾になると発言するゆえんです。」と解説しています。

「コスタリカ」の奇跡のこと (門徒、千代田、宮原浩智さん)


映画、私も千代田で拝見しました。

2回目だったのですが、1回目には見逃していた場面もいくつか発見して良かったです。

院家さんの書かれているように、コスタリカでは兵器に使うお金を社会サービス=教育費や医療費などに振り向ける政策がとられています。

実は軍備は廃棄したわけではなく、法的にはまた軍隊を持つことは可能なんだけれど、「私たちの誰も望んでいないからあり得ない」のだそうです。

確か市場のおっちゃんの、この言葉が一番印象に残りました。

自衛隊をどう考えるかはいろんなご意見があるとは思いますが、兵器を持たないでほしい、少なくとも使わないですませてほしい、という願いはかなり多くの賛成をいただけるのではないかと思います。

映画は内容が盛りだくさんで1回で理解するのは困難だと思います。

私も機会を見つけてまた見てみようと思っています。

         (報正寺通信への投稿歓迎します。)


報正寺通信2019年2月

釈尊 涅槃会 ,益害平等一切有情追悼法座のご案内

16日(土)朝・昼、17日(日)朝

     朝、9時半・ 昼、2時始め

 「お釈迦様の一生から学ぶもの」

 住職・坊守・若院 自修    

お誘いあってお参りください。

ぶらり訪問               116447m.jpg

 

今年に入ってから、思い立って、皆さんのご家庭に訪問させていただいています。

突然で、迷惑かもしれないと、ためらいながら。

 それは、今まで、法話、この通信など、一方的なものですから、ともかく、何でもいいから聞かせてもらおうと思ったのです。

 ただ何もなしに訪問というのも気が引けるので、平和、人権、環境等を大事にする署名運動を兼ねて訪問しています。

 署名もともかく、聞かせてもらい、会話させてもらう中で、何かを、お互い共感させていただければ幸いと思っています。

 故人との感動の思い出、若い時の思い出、戦時中の体験など,私も感動しながら聞かせてもらっています。

 人間、まさしく文字通り、人と人との間で生かされ、学ばせてもらうものなのですね。

 今後とも、迷惑でない限り、よろしくお願いいたします。

 飲み物は持参しますから、心配御無用です。

 映画「コスタリカの奇蹟」解説書から紹介  花の無料デザイン画像-アイコン風・モノクロ

 去る12月8日、千代田で、この映画の実行委員に名を連ね、鑑賞しました。

 コスタリカは、中南米の小さな国で、1948年(71年前)常備軍を廃止し、翌年、憲法に規定した国です。

 外国軍の基地もなく、国防は、警察が担っています。

 条約や国際法、国際機関との関係を強化しながら隣国との摩擦などに対処しています。

 軍事費がいりませんから、医療や学費が無料です。

 軍隊を捨てたのは、後の大統領、フィゲーレスでした。

 彼はトルストイ、ウエルズなど平和主義者の本を読み漁る勉強家でした。

 ウエルズは「未来には軍も失業者も貧富の差も存在しない」と論じた人でした。

 フィゲーレスが大統領になる前、第二次世界大戦中、コスタリカでは、政治が腐敗し、民衆を恐怖で支配し、批判するものを押さえつけ、暴動が発生しました。

 彼は、ラジオで政府の無能ぶりと不寛容を痛烈に批判し、話し終える前に警察に逮捕され、国外追放されました。

 そこで、彼は、コスタリカの民主化のため、武力革命集団と手を組み武力革命で政府を倒します。   花の無料イラスト素材-アイコン風・モノクロ

 4千人以上が戦死します。 しかし、その後、共産主義者に理解され、共産主義者の武装を解き、そして軍を排除、そして自分たちも武装解除し、国軍を解散しました。

 彼は、その時の国軍、廃止に対する、記者からの問いに、

 「なぜかって?、軍隊など本来は不要ですよ、我々は民主主義を大切にしてきました。武装を解いて理想を現実にするのです。」と答えました。

 彼は晩年「軍隊は過去のもの、戦争は人にとっても、地球にとっても正常ではなく、戦争は病気で平和が普通、健康のため、原因を取り去るべき。戦争は人間の原始性の表れだ」と言いました。

後の、ノーベル平和賞受賞者、アリアス大統領は、「私たちは世界に実例を示していました。軍が無くても国は成り立ちます。むしろ、コスタリカには軍隊を持つことが経済的、社会的発展の妨げです。

 戦車か、生活基盤か選ばねばなりません。病院と学校をとるか、機関銃をとるかです。

我が国は福祉国家になると決めました。一方、近隣の国は軍事国家になっていきます。コスタリカが政治的社会的に安定しているのは人々の基本的な要求が満たされているからです。」と語りました。

やはり、こういう人が国のリーダにならないといい国にはならないでしょうね。

3年前、地球幸福度指数で、生活でも、精神面でも世界一でした。                花のフリー素材-画像

 「こんにちは」というような、平生の挨拶は、「プラヴィーダ」と言います。

その直訳は、「純粋な人生」という意味ですが、通常は「最高だよ」「元気でね」「楽しんでね」といったような意味だそうです。

町のおじさんが「やたらと戦争をしたがる国もあるけど、俺たちの性には合わないね。陽気な性格だからさ。集まってパーティをするのが好きなんだよ。プラヴィーダ」と言っていました。

 若い父親が「この子が軍に入らずに済むように願うよ。おもちゃでも武器では遊ばせない。それが自然だ」と語っていました。

 町の母親も「母親として有難いのは、この国の子たちが戦争しなくていいこと、軍隊に入らなくていいことよ」と語っていました。

 ある人は、「コスタリカ人は争いを嫌います。けんかして罵り合ってもそれでも相手を呼ぶのには敬称を使うんです。とにかく万策尽くして対立を避ける国民性なんです」と言っています。

 コスタリカの国連平和大学の碑文には「コスタリカ人の母は幸福にも子の誕生から兵士の道なしを知る」とあります。

 ソリス大統領は、「これこそコスタリカの人々の心に深く刻まれている信念です。

【絶対に兵士にはならないと】」と語っています。(続く)

           今年も、ダーナ募金をよろしくお願いします花のフリー素材-内巻き

 昨年度、報正寺ダーナ募金総額は37,000円でした。

布原、1,000円・大井、500円

小原、1,800円

萩原、1,200円・数舟、1,500円

本一、3,130円・本二、11,000円

本三、7,500円・本四、9,370円

山県太田組ダーナ募金会計へ・・13,000円

ビルマ難民教育支援へ・・・・ 24,000円

前年度山県太田組ダーナ募金総額は 366,454円

山県太田組内医療機関へ仏教誌施本費・240,240円

芸北福祉会へ・・・・・・・・・・・・150,000円

山県太田組内、災害見舞金へ・・・・・・40,000円

安芸教区仏婦連盟へ・・・・・・・   30,000円

九州北部豪雨災害義援金・・・・・・・200,000円

山県太田組、災害救援基金   ・・・622,844円


報正寺通信2019年1月

 

親鸞聖人御命日法座のご案内  

 

「おしるこのイラ...」の画像検索結果

14日()朝・昼、15日(火)朝

朝、9時半・昼2時始め、夜席はありません

「親鸞様の御一生から学ぶもの」 住職自修

ご一生から、生と死と現在の世界を考えさせてもらいましょう。

親鸞様ご絵伝、絵解き説法をします。

例年通りぜんざいをいただきます。

おさそいあっておいでください。

過年・色々ありがとうございました。

本年もよろしくお願いいたします。

フリー素材_1月画像サンプル-飾り枠-お供え餅・みかん

越年つれづれ 

 いつも、変わり映えありませんが、

年末年始に自分なりの思いを確かめます。

毎年、新年に遺言を書くという人がありました。

そのような思いでもあります。

年々思いは同じようでも、変化しているように思います。

年輪を重ねるごとに、経験が加わるからでしょう。

私は、中学生頃から、とにかく、「真実」とは何かということにこだわり続けていると思います。

もともと、理屈が好きで、僧侶になるのに躊躇はありませんでした。

目下も、真宗僧侶として伝道のつもりで、こだわって、毎月、寺の通信を出しています。

私なりの仏教、真宗理解と、「真実」探求表明のつもりです。

最近、「やがていつか死ぬ、だからちゃんと自分で納得できる生き方をしておかねばならない」ということを改めて思いました。

私は、ええ加減な雑学でしかなく、おこがましく恥ずかしくもありますが、私なりの仏教なり、真宗なり、物の見方、考え方を、たとえ一人でも、そして、少しでも共感してくだされば幸いと、そのためにできるだけ誠意を尽くさねばならないと思い定めた次第です。

今まで、連れ合いや、家族、親族、有縁の方々とのぞんざいな触れ合い、語り合いを反省したからです。

人の話や思いをできるだけちゃんと聞かせてもらわねばならない。

思いは、決して押し付けになってはならない。

雑談も悪くはないが、真実なる琴線に響くような会話にならなければならない等々。

いつまで続くか問題です・・・・。

今までが今までですから、期待できませんが、努力することは忘れないでおきたいと思っています。

最近、日本の安倍政権、アメリカのトランプ大統領、ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、朝鮮民主主義人民共和国の金正恩委員長などの強権、

企業トップの超高所得、企業の内部留保金や富裕層の資産はだんだん増えても、一般労働者の実質賃金は逆に低下、粗悪品の製造等、財界の問題、公文書改ざんなどの忖度官僚の腐敗、セクハラ、パワハラ、ヘイトスピーチ、いじめ、環境汚染等々の社会問題を思います。

これらの元凶は、結局は、政界、財界、私も含め、万人、人間性への自覚の問題ということに行き着くように思いますがいかがでしょう。

人間性とは、古来、キリスト教の「愛」、仏教の「慈悲」孔子の「仁、恕」などと言いあらわされたものでしょう。

解りやすい言葉では、優しさ、暖かさ、思い合いといったものでしょう。

この人間性というものが、他の動物と違った、

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人間という動物の特性と思われます。

しかし、人間も、もともと、自己や種族永続本能の動物ですから、自己中心的な獣性から完全に離れることはできません。

そこに、苦悩と慚愧がありますが、この苦悩、慚愧と共に、「愛・慈悲・仁・恕・優しさ、暖かさ、思い合い」とかいった人間性に促されて生きて行こうとする道が開けることを、救いというのであろうと教えられます。

そうではなく、慚愧なき、自己中心的な獣性むきだしの世界を迷いと教えられます。

私達は、138億年前、意味があるとは思えませんが、自然現象によってこの宇宙が始まって以来、40億年前、現れた生命現象の一つではあるのでしょう。

 

 この宇宙も、太陽もいつか消滅に向かうといいますし、恐竜も滅んだように、人類もいつか滅ぶでしょうが、ともかく、生物は、種族保存の本能に突き動かされて生き、死によって、大自然の世界に帰ってゆくのでしょう。

人間だけが、考える動物として、利己的な種族保存の欲望、本能の獣性と、利他的な人間性との間で葛藤します。 

そこから、生き方、考え方、思想、宗教、価値観、人格などに様々な違いが出てきます。

 概して、獣性的欲望闘争体質のタカ派といわれる人々と人間性的人権平和体質のハト派といわれる人々に分かれてくるようです。

 仏教は、この、人間性を根拠とする人権平和の究極を仏や、浄土と象徴し、この、獣性を根拠とする、欲望闘争の究極を地獄、餓鬼、畜生と象徴し、この迷妄を慚愧せしめ、人権平和の方向に導き救済しょうとする教えといえるでしょう。


報正寺通信2018年12月

聖典学習会のご案内

20日() 朝 10時〜30分(おにぎり会の中) 

学習聖典・無量寿経 (現代語版浄土三部経)住職自修  参加費無用

聖典から人生・社会の諸問題を問うてみましょう。

どうぞ誘って気楽にご参加下さい     116447m.jpg

  前回の学習内容から       「釈迦イラスト無...」の画像検索結果

 「釈尊が阿難に仰せになった。

  さて、無量寿仏の国に生れる人々はみな正定聚に入る。

なぜなら、その国に邪定聚や不定聚のものはいないか

らである。

すべての世界の数限りない仏がたは、みな同じく無量

寿仏のはかり知ることのできないすぐれた功徳をほ

めたたえておいでになる。

無量寿仏の名を聞いて信じ喜び、わずか一回でも仏を

念じて、心からその功徳をもって無量寿仏の国に生れ

たいと願う人々は、みな往生することができ、不退転の位に至るのである。

ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれる

解説                「浄土真宗のお坊...」の画像検索結果

お釈迦様が弟子の阿難に話されたことになっています。

しかし、お経は、実際の事実ではありません。

 経典作者「達」が「真理」を伝えるために創作したものです。

 お経から「真理」を探りましょう。

 無量寿仏(阿弥陀仏)の国に生まれる人々は、みんな、間違いなく、正定聚(仏に成ることに決まった地位)に就くとあります。

 これは、仏(真理)の国に行ったものは、もう退転しないということで、真理によって、真理を目指すことが出来たものは、もう、真理に向かって、進むばかりで決して退転することが無いと読めます。

 次の、阿弥陀仏の国に、邪定聚(間違った人々)や、不定聚(不確かな人々)がいないというのは、阿弥陀仏の国(真理の世界)には、自分の力で完全な真理の完成者になることが出来ると思い上がっているような人はいないし、仏を信じ、行じているつもりでも、本当はまだ、仏に成れるかどうか、不確かだというような人はいないということです。

これは、真理に目覚めたものは、逆に、真理にほど遠い自分とこの世の中を慚愧せしめられ、それ故にこそ、もはや迷うことなく、ただひたすらに、真理に導かれて歩んで行けると読めます。

 次は、全世界の諸仏が、阿弥陀仏の徳を讃嘆されるということで、これは、真理の体得者は、阿弥陀仏という、無限に広く、無限に深い慈悲(真理)を讃えられないことはないと読めます。

 次は、諸仏の阿弥陀仏を讃える声を聞き、その「真理」に感動し、喜び、仏の名を一回でも称え讃嘆し、心からその功徳をもって仏の国に生れたいと願う人々は、みな仏の国に行くことができ、退転しない地位に至るとあります。

 これも、前述のように、真理によって、真理を目指すことが出来たものは、もう、真理に向かって、進むばかりで決して退転することが無いと読めます。

次は、ただし、五逆の罪⦅母を殺すこと,父を殺すこと,阿羅漢(真理を悟った人)を殺すこと,仏身より血を出させること,僧団の和合を破壊すること⦆を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれる とあります。

このような、悪逆を侵して、慚愧もないものは、その慚愧もないということで、確かに、自分が救われていないので、救いからは、自ら外れています。

 しかし、阿弥陀仏からすれば、このような逆悪者をこそ救わねばならないという大慈悲でいつまでも、どこまでも永遠に包んでおられます。

 ですから、いつの日にか、この逆悪者も、この阿弥陀仏の大慈悲に目覚めて、慚愧せしめられて、必ず救われることになっています。

 ですから、逆悪者は除かれるというのは、阿弥陀仏は、救わないというのではなく、逆悪の罪の重いことを知らせようとするための手立ての表現と、古来、言い伝えられています。

大意は、逆悪者も含め、全て、一切を救済するという無限の大慈悲というものこそが(真理)というものであるということでしょう。

真理に目覚めて           「発見のイラスト」の画像検索結果

2015,6年の朝日新聞記事から

 高坂朝人(三五才)さんの紹介です。

自分はダメな人間、勉強苦手、運動不得意、自信がない子供でした。

 狭い2DKアパート、絶えない父母のけんか、自分の部屋はありませんでした。

 校則違反の、菓子、ゲーム機を学校に持参、没収され、先生に反抗して、友人の「すごい」に「認められた」と初めて感じました。

 タバコを吸えば「すごい」、髪を染めると「かっこいい」で、「悪い道なら認められる」と暴走族へ、高校は一ヶ月で退学、集団暴走、窃盗、金庫破り、逮捕15回、少年院に2回入りました。

 肩から腕に入れ墨を入れ、自分は変われないと思っていました。

 少年審判で、自分に箔が付くと思い、「少年刑務所に行きたい」と希望しました。

 その時、家庭調査官が、裁判官に、「少年院送致にしてください、この子は絶対に立ち直れると涙ながらに訴えました。

 「こんな大人がいるんだ」と心に残りました。

 暴力団準備構成員の時、妻の妊娠で、生まれてくる子供のために、足を洗いたいと、暴力団から逃亡しました。

 生活のため、高齢者介護の仕事につき、少し話するだけで「ありがとう」と手を握られ、「金より大切なものがある」と感じました。

 やがて、非行少年を支援するボランティアを始め、四年前、仲間と、NPO法人「再非行防止サポートセンター愛知」を設立し、理事長を務めています。

 鑑別所や少年院に入っている少年と面会し、社会に出た後もかかわって就学や就職を応援しています。

 「僕自身が犯罪を増やしたので、人生をかけて犯罪を減らす活動をしたい」と。

支援中の一人が、再び、少年院送致となったことがありました。

 警察署に飛んでゆき、本を差し入れました。

 「一人じゃない」と伝えたかったからです。

 その少年は、高卒認定試験に合格したことは伝えましたが、悪いことは言えなかったと打ち明けました。

 本当の信頼関係が出来ていなかったと支援を再開しました。

報正寺通信2018年11月

秋法座のご案内  

13日(火)朝・夜 14日(水)朝

 報恩講おとき日・・・14日(水)朝

朝、9時半・夜、7時半始

講師・呉市・明圓寺住職・竹田嘉円殿

お誘いあってお参りください

「精進料理イラス...」の画像検索結果

報恩講とは

親鸞様有難うございますという行事です。

私は、親鸞様から、阿弥陀仏や浄土の本質である、慈悲にうながされて、慈悲には程遠い自分とこの社会を慚愧せしめられつつ、なお、慈悲に向かう、自分と社会の創造に、臨終まで歩み続ける道を教えてもら ったと、そのことを有難く思っています。

 

人間模様・尾畑春夫さん(朝日新聞記事等)

 

尾畑さんは、今年、8月、山口の周防大島で、行方不明になっていた2歳の男の子を探すボランティアで、たった一人で山中に分け入り、見つけて有名になった人です。

「人の命は地球より重い」と、休む間もなく2日後には、西日本豪雨で被災した呉市に向かいました。

ボランティア歴20年以上です。

軽ワゴン車に食料寝袋など積んでのボランティアで、神様と称賛される人です。

世の中に恩返しをしたいと、今はボランティアにのみ専念しています。

貯金はなく、活動資金は、年金5万5千円だけだそうです。

お礼は一切受け取らず、節約を心がけ、車中泊をしながら全国の被災地を回っています。

7年前の東日本大震災の際は、南三陸で五〇〇日にもわたって活動しました。

九州、大分の人で、今、78才です。

大分県国頭半島の貧しい家庭に生まれました。

父は下駄職人でしたが、履き物がゴム製品に変わる頃で、商売は順調ではありませんでした。

食べるものが無かった戦後、小学校5年生の時にお母さんが栄養失調のようで、41歳で亡くなりました。

父は酒好きで、母の死後7人もの子供を抱え、下駄は売れず厳しい現実から逃れるため、やけ酒に走りました。7人兄弟の4番目で「大飯喰らいだから」という理由で、一人だけ近所の農家に、母が亡くなった、小学5年生で奉公に出されました。

この時、「世の中なるようにしかならない、やるだけやってやろう」と心を入れ替え、奉公先の主人や家族を親だと思い、何でも言うことを聞くような生活に入りました。

必死に働き、馬の餌を横から盗み食いしていました。

中学校へは4か月しか通えませんでした。

すべては生きるためでしたが、この時の経験が宝になっていると感じるに至り、恨みの対象だった父がいつしか感謝の対象に変わるのを経験したといいます。

中学を卒業すると、すぐに姉の紹介で別府の鮮魚店の小僧となりました。

別府駅に向かう際、父から30円持たされ、珍しく大盤振る舞いだなと喜んだものの、それは片道切符代に過ぎないことを知り、帰ることはできないと知りました。

鮮魚店ではアラの煮つけが出ましたが、 イモとカボチャの日々だったので「こんなうまいものはない」と衝撃を受けます。

下関、神戸で魚屋修行をし、29歳

の時、別府で魚屋を開きました。   

人柄なのでしょう、人気で商売も順調   

で、結婚し、二人の子供を育てました。

四角形吹き出し: 尾畑さん

「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」という言葉が好きです。

65歳の時、なんと、「世間に広く恩返ししたい」と、惜しまれながら、店をたたみました。 

そんな尾畠さんのもとには来客が絶えません。

中には人生相談をしに訪れる人もいるといいます。

「死にたい」という人の話を数日間聞くこともあります。

「人生終わるまで楽しみましょうよ」

「いのちは一つ、人生は一度、せっかく親からもらった命を無駄にしちゃいけん」と

やりたいことさえできれば十分なので寄付の申し出を断っています。

将来は、沖縄のガマに生き、死にたくないのに自ら命を絶った人の骨をきれいに洗わせてもらいたいそうです。

そして、中学は四ヶ月しか登校できなかったので、八五歳になったら夜間学校にも行きたいし、最低でも後、五〇年は生きたいといわれます。(今、78才ですよ

「今一番望むことは?」と聞かれると、「おふくろに思い切り抱きしめてもらいたい」でした。

すごい人だと、新聞を切り抜き、インターネットで調べ、紹介しました。

私たち、仏教徒、真宗門徒は、この尾畑さんのような真似はとてもできそうにありませんが、慚愧しつつ、少しでもこのように、慈悲に向かうような生き方が出来たらいいですね。



報正寺通信2018年10月

聖典学習会のご案内

25日() 朝 10時〜30分(おにぎり会の中) 

学習聖典・無量寿経 (現代語版浄土三部経)           

住職自修  参加費無用

聖典から人生・社会の諸問題を問うてみましょう。

どうぞ誘って気楽にご参加下さい     116447m.jpg

7月は住職都合で学習できませんでした。  

どうぞ、気軽にお問合せを       「湯呑イラスト無...」の画像検索結果

どうも、寺参りは、気が向かん。

足も悪いし、耳も遠い。

聞いても、聞いても、分ったような、分らんような。

報正寺の新聞も、ようわからんし、気にいらんし。

人前で住職、坊守に聞くのも気が引ける。

誰にも言えんことがある。

誰かに話して聞いてもらいたいものがある。

話して解決することでもないが、誰かに聞いてもらえりゃあとも思うが、話す相手がおらん等々。

一人でも、数人でも、昼でも夜でも。

どうぞ、気軽に、報正寺にご来訪ください。

また、気軽に、お宅にお伺いさせていただきます。

また、電話でも、手紙でもけっこうです。

何も、宗教、仏教のことにかかわりません。

何でもご自由に話してください。

お話の内容は、口外しません。

もとよりお心づかいはご無用です。

おうかがいする時は、自分用、飲み物持参します。

電話で、日時を決めさせていただきます。

今まで、思ってはいたことでした。

話し甲斐のない住職とは思いますが、遅まきながら、お知らせさせていただきます。

大変申し遅れていまして、慚愧しています。

もっと早くから皆様に申しておればよかったです。

これが本来の僧侶の務めでした。

葬式、法事などは本来の僧侶の務めではありません。

お釈迦様も、親鸞様も、誰かの葬式や法事をされたということを聞いたことがありません。

科学から死ぬるということ      「科学者イラスト...」の画像検索結果

心臓が止まり、血流が止まり、目も耳も体の全ての働きが終わります。

土葬や火葬で、 肉も血も骨も大自然に溶け入ります。

 一生の間の良いも悪いも含め、言ったこと、したこと願っていたこと等全てが、家庭や、地域社会、歴史の中に残ります。

 それ故、一生、何をどう願って生きたかが問われます。

願いでも、個人的な願いは、記憶に残る限り、家族、親族知人友人の心の中に残るでしょう。

 願いの中には、自由、平等、博愛、平和など、万人の命の中に潜在している、人間としての、人類普遍の願いがあります。

この願いを自覚的に願って生きることの出来た人はもちろん、でもたとえ、自覚的には生きられなかったとしても、死者はみんな、肉体は死んでも、この人類普遍の願いの中に永遠に生きていると言ってもいいのではないでしょうか。

 霊魂などは考えにくいですが、死後の世界とは、死んで、どこか行く世界ではなく、ただこの私がいないだけの、この世界ということでしょう。

仏教から死ぬるということ    「釈迦イラスト無...」の画像検索結果

 仏教の教えは、「縁起の道理」です。

「縁起の道理」とは、万物が、無限の時間、空間の中で、相互に関係しあっているということです。

この「縁起の道理」に完全に目覚めて、完全に、煩悩から解脱し、完全な、無我、慈悲、利他、布施の実践者を仏といいます。

そして、この、「縁起の道理」に完全に目覚めて、完全に、煩悩から解脱した、仏の覚りの境地を、涅槃とも滅度とも言います。

この涅槃、滅度とは、煩悩の炎の吹き消えた状態という意味です

ですから、おしゃか様は、35歳で、覚りを開かれて、精神的に、煩悩から解放され、涅槃に入られましたが、肉体がある限り、生理的煩悩は無くなっていませんから、80歳で亡くなられた時を大般涅槃といって、煩悩から完全に解放されたと表現しています。

ですから、仏教から、死ぬるということをとらえれば、覚りを開こうが、開くまいが、誰にとっても、死は、煩悩から解放されるのではありますが、この、道を求めることも無く、死ぬるということは、人生を空しく生き、空しく終わるということになります。

真宗から死ぬるということ      「浄土真宗のお坊...」の画像検索結果

 真宗一般の教義では、みんな、阿弥陀仏の慈悲の中に、罪悪、信心の有無、異教徒にかかわらず、もらされることなく、包まれ、導かれているということになっています。

 信心とは、端的に言えば、仏やその浄土に真をうなずかされ、自己や社会に真ならざることを慚愧せしめられる世界といえます。

そして、今生で信心の開かれた人はもちろん、信心の開かれない人も、阿弥陀仏に、永遠にいつまでも、信心の開けが待たれてあり、そして、いつか必ず、信心の開けによって、みんなもらされることなく、死後、浄土に往生成仏せしめられ、今度はこの世に帰ってきて、みんなを永遠に救い導く身とならせていただくということになっています。

どうでしょう。 こういう、阿弥陀様におまかせ出来て安心できるという信仰は、まず、色形なくとも阿弥陀様が何らかの形で実際にいらっしゃるという信仰が前提になっていると思います。

でも、現代、こういう阿弥陀仏や浄土の信仰を実際の事実として、有難く信仰できる人は、少ないのではと思います。

でも、こういう信仰には立ちがたくとも、阿弥陀仏を有難く思える味わいは、味わいとして成立します。

 そして、阿弥陀様の差別なき、限りなく広き深き慈悲という「真」にうなずかされ、同時に、自分の慈悲ならざる、自我に閉ざされた、狭き、浅き心を恥じしめられ、それ故にこそ、その慚愧と共に、慈悲なる自己と社会の実現に向かって願わしめ、歩ましめられるものも成立す

るはずです。            リアルタッチな花イラスト-絵

 ですから、従来の信仰に立ちがたい人々は、死後については、科学からの事実そのままに、私達は、私達を生み出した、大自然の中に帰ってゆくのだと受け止められることでしょう。         

そして、信仰ではなく、先に述べました、信心として、阿弥陀仏や浄土の教義の中から、「真」にうなずかされ、同時に、自己や社会の慈悲ならざる、自我に閉ざされた狭き浅き世界を恥じしめられ、それ故にこそ、その慚愧と共に、慈悲なる自己と社会の実現に向かって願わしめ、歩ましめられることでしょう。


報正寺通信2018年9月

秋彼岸法座のご案内

18日(火)朝、昼  朝、9時半・昼、2時始 

『仏法と人生と社会』  住職自修

戦争への慚愧と平和を願う鐘を撞きます 「除夜の鐘の無料...」の画像検索結果

報正寺も今年から毎年、9月18日、午後1時15分に梵鐘を撞くことにします。

 そのわけを記します。

本願寺教団では、無量寿経に「兵戈無用」と示され、親鸞聖人が「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」と願われたことをもとに、教団の戦争協力の責任を真摯に慚愧し、非戦・平和の願いを広く発信するために、1981年より毎年、9月18日に、国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)で千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要を勤めています。
 千鳥ケ淵戦没者墓苑は、日本国政府が設置した、第二次世界大戦の時に国外で死亡した日本の軍人、軍属、民間人の遺骨のうち、身元不明や引き取り手のない遺骨を安置する施設です。

「千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要」では、教団として日本国内外に恒久平和への願いを新たにするため「平和宣言」を行い、さらに「平和の鐘」を撞きます。
 
 仏のみ教えと平和への決意を、響かせ届けたいという願いのもと、「平和の鐘」の取り組みがはじめられました。

各地の寺院でも法要と同時刻にいっせいに鐘を撞き、平和な世への願いを発信しています。
 
9月18日は、柳条湖事件勃発の日です。

これは、日本の関東軍の謀略によって起こった、満州事変の発端となる鉄道爆破事件です。

1931年(昭和6年、)9月18日、満州(現在の中国東北部)の奉天(現在の瀋陽市)近郊の柳条湖付近で、日本の所有する南満州鉄道の線路が爆破された事件で、関東軍はこれを中国軍による犯行とでっちあげ、以後、日本の中国侵略戦争が拡大したのでした。

生きるということ、死ぬるということ 「悩みイラスト無...」の画像検索結果

結局、誰しも、これが大きな問題なんでしょうね。

「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか、ニ、ニ、ニーチェかサルトルか、みーんな悩んで大きくなった。」

昔、故、野坂昭如さんがテレビのコマーシャルで歌っていましたね。

釈迦も、イエスも、宗教家も哲学者もみんな悩んでそれぞれの答えを見出したのでしょう。

私達は、これら、先人の答えを参考にして、是は是、非は非で、決して、単に追従するということではなく、私ら一人一人が自分で答えを見つける他ないでしょうね。

私は、変わりばえのないことをいつもこの報正寺通信に書いています。

色々な表現を通して、自分を確認させてもらっているつもりです。

皆様に何らかのご参考になっておれば幸いです。

科学から生きるということ      「科学者イラスト...」の画像検索結果

人間も生物の一種です。

生物は今、この地球以外の宇宙の星には見つかっていません。

生物は、この地球に約、40億年前発生して、50億種も出てきて、多くが絶滅し、今、約3千万種ですが、約50億年先の太陽の衰滅までには絶滅するだろうといいます。

本来、この大宇宙含め、生物も、全て、自然現象であって、どうしても存在しなければならないような意味はなさそうです。

人間も、本来、存在の意味は無さそうで、やがて絶滅する運命にありながら、存在する意味を考えれば、ただ、ヒトという種の存続ということになるでしょう。 

そのために我欲の食欲、性欲などが仕組まれています。

また、人間は大脳が発達した猿の仲間で、大脳の古皮質が、本能欲望をつかさどり、新皮質が、理性、人間性をつかさどるといいます。

以上、科学から生きるということを考えると、本来「非」意味ながら、この欲望性と人間性との間で葛藤しつつ、自由に生きるということになるでしょう。

仏教から生きるということ    「釈迦イラスト無...」の画像検索結果

 この世の法則「縁起」に従って生きるということです。

 「縁起」とは、全ての物が、限りない宇宙大自然の中、そして歴史、時間の中で相互に関係し合っているということです。

しかも、生きることは、他の命をもらうことですから、慚愧と共に、出来得る限り、全ての物、全ての命、全ての人間、個々の尊厳性、平等性を侵さず、自己中心な考えや振る舞いを離れ、相互に、慈しみ合い、分かち合い、助け合って、奪わず、殺さず、平等、平和に生きようとするという事になります。

真宗から生きるということ      「浄土真宗のお坊...」の画像検索結果

真宗の教義には、阿弥陀仏、その浄土、その働きの南無阿弥陀仏、浄土に行く、往生、そして浄土からこの世に還ってくるということ、悪人正機、そしてそれらを仏力(他力)として領受する信心ということなどがあります。   これらの教義の元は、無量寿経です。

この無量寿経は、おしゃか様がじかに説かれたのではなく、作者不明ですがおしゃか様が亡くなって、約5百年後に、創作されたものの様です。

このお経には、創作者がお経を何のために創作したのかも直接に書いてありません。

それは、このお経の内容から推測するしかありません。

私は、孤独、不安、罪、絶望、死後の不安、死者との再会などの苦悩を抱えた人々への救いと生き方への導きと推測しています。

阿弥陀仏のことを聞いた人々は

「こんなに罪深く、不遇で孤独で死後に不安な私らのことを、すでに見抜いて、私らをいつまでもどこまでも、支え、育み、導き、そして、命終われば、浄らかなお浄土にすべて迎えて、今まで思いさえもしなかった、大慈悲の人格の仏になさしめてくださり、そして、この世の同じく苦悩するみんなのところに還り来たらしめて、みんなを限りなく仏へと導き続ける身にさせてくださるという、尊い阿弥陀如来というみ仏様のことを初めて知らせていただいた。

あー、なんと勿体ない、今度は、今まで、煩悩によって自他共に損ないあってきた生き方を慚愧し、命のある限り、このみ仏の慈悲なる育みに促され、慈しみのある私と世の中の創造に向かって歩み続けさせてもらおう。」

(死ぬるということについては、次回に

報正寺通信2018年8月

盆会法座のご案内

18日(土)朝・夜 19日(日)朝   朝、9時半 夜、7時半始

初盆物故者・全戦没者追弔法要・19日(日)朝

『仏法と人生と社会』    住職自修     本郷親和会共催

盆によせて          「お盆のイラスト...」の画像検索結果

盆は、亡き人々をしのびつつ、仏教から、生きるということ、死ということなどを考えさせてもらう行事といえます。

生きるということ         「手をつなぐイラ...」の画像検索結果

         

 父親の精子と、母親の卵子が結合して、私たちの命は始まりました。

 それは、40億年前、数千分の1ミリという、原始生命誕生以来からの命の連続の中の営みでした。

 宇宙は、何のために、生命を誕生させたのでしょうね。

 たぶん、宇宙に、意図はなく、唯、自然の物質の様々な現象変化の中で、現れてきたのでしょう。

 この40億年の地球の生命の歴史の中で、約50億種の生命が誕生し、そして絶滅し、今約3千万種の生命がこの地上に存在しているそうです。

 でも、一日、約100種の生命が絶滅していて、1年に約4万種の生命が絶滅しているそうです。

 いずれ、人類も絶滅すると思いますが、それも、自然現象の成り行きならどうしょうもありません。

出来るだけ、人類だけでなく、全生命の為にも、自然を汚染させないようにしたいものです。

 私達が、人類という、生命の一種として生きているということは、やはり、人類という種を永続するために生きているということなのでしょうね。

私達の命の中に、そう仕組まれているのでしょう。

 でも、そのように、種族の永続ということが仕組まれていても、私たちは、それに逆らって、自由に生きることは出来ます。

 結婚しょうとすまいと、子供をもうけようと、もうけまいと、全く自由です。

 また、人類は、大脳が発達して、他の生物と違って、精神活動をする動物です。

 いろんな考え方、生き方があります。

 どんな考え方を持とうと、どういう生き方をしょうとそれも全く自由です。

 仏教は、慈悲という考え方に基づいた生き方を、慚愧と共に示していると思えます。

 慈悲とは、友愛、博愛と、他者へのうめきという意味を持っています。

慈悲の究極を、仏や仏の世界として表現しています。

 やはり、欲望のまま、自己中心のままに、わがままで、他者をないがしろにして生きる生き方では、心がとがめ、結局、より慈悲なる方向にうながされる、自分創り、社会創りに生きようとするところに、命の底からうなずける道があるように思えます。

死ということ           「花束のイラスト...」の画像検索結果

事実では、いのちが終わり、母なる大自然の世界に、溶け入り、還って行くということでしょう。

次に、この事実とは別に、慈悲ということを味わう教義の上では、慈悲なる阿弥陀様に導かれて、慈悲なる浄土に迎えられ、慈悲なる仏と成さしめられて、いついつまでも、どこどこまでも、全ての人々を慈悲なる方向に導き続けさせてもらうということになります。

安倍総理への意見表明       「お願いのイラス...」の画像検索結果

2018年7月16日

私は、我が宗祖、親鸞様の月命日に意思表示をします。

平等、平和、慈悲の仏願に背く、憲法九条改悪、集団的自衛権を認める、安全保障関連法や共謀罪、死刑、原発を即刻廃止してください。

私の思い

仏教徒(浄土真宗門徒)として、安倍首相に対し、死刑廃止施策への要望

 去る、6日、オウム真理教の麻原彰晃死刑囚含め7人という、異例の死刑執行がなされました。

かねてより、慈心不殺の仏教徒として、この死刑廃止の訴えをしておりましたので、まことに無念に思いました。

国連におきましても、この死刑廃止条約は、1989年 12月,国連総会にて採択され,91年7月に発効しました。

しかし、日本はいまだこの条約を採択していません。

アムネスティーインターナショナルの昨年の統計では、死刑を法律、事実上廃止している国は142ヶ国で、全世界の国連加盟国である193ヶ国に対し、約74%となります。

死刑廃止は、国際的な人権尊重の流れの中にあります。

犯罪者のことは、個人の自己責任もありますが、犯罪を生む、国家的政治責任も考えます。

犯罪者には、命を奪う死刑ではなく、どんなに時間がかかっても、更生こそが大事と考えます。

ノールウエイを取材した、森達也さんのことがネットにあります。

ノールウエイは、死刑も無期懲役もなく、懲役は最高刑で21年、再犯率はとても低いそうです。

懲役を終えた囚人は、住まいと仕事が保障されることが、出所の条件になります。

もしもこの条件が満たされない場合には、国が住まいと仕事を保障します。

森さんは、ノールウエイの人から、「犯罪者のほとんどは、貧しい環境や愛情の不足などが原因で犯罪を起こしている。

ならば彼らに与えるべきは罰ではない。

良好な環境と愛情、そして正しい教育だ」と聞かされています。

受刑者たちの個室にはテレビが置かれていて、共同のキッチンには包丁もあり、インターネットも使えるし、家族に電話することもでき、刑務所内には学校や職業訓練校が併設されていて、受刑者たちはここで仕事の技術を身につけるそうです。 実に素晴らしいと思います。

私達のご本尊、阿弥陀様の心は、無我、慈悲の心でした。

ですから、阿弥陀様に、死刑を容認されるものは、何一つないと考えます。

阿弥陀様のこの、無我、慈悲の心に叶うように生きようとする私たちは、上記の見解のもとに、安倍総理におかれまして、死刑廃止への施策を強めてくださるよう切望いたします。               合掌

非戦平和を願う真宗門徒の会会員

    広島県、報正寺住職、城山大賢

 

報正寺通信 2018年7月

聖典学習会のご案内

 25日() 朝 10時〜30分(おにぎり会の中) 

学習聖典・無量寿経 (現代語版浄土三部経) 住職自修  参加費無用       

聖典から人生・社会の諸問題を問うてみましょう。

どうぞ誘って気楽にご参加下さい  湯呑み


前回の学習内容から
        

 「無量寿仏の名を聞いて信じ喜び、わずか一回でも仏を念じて、心からその功徳をもって無量寿仏の国に生れたいと願う人々は、みな往生することができ、不退転の位に至るのである。

ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれる

お経には何が書いてあるのでしょうか

 それは、経典作者「達」が、明らかにした「真実ということがら」が、書いてあるといえます。

お経を学ぶということは

 それは、お経に表現された「真実ということがら」を学んで、自分のよりよい生き方や、世の中のよりよい在り方を学ぶことになります。

解説            5396824.jpg

 無量寿仏とは、阿弥陀仏のことです。

 無量の寿命をもって、永遠にすべてを救い導く仏として、「慈悲」ということの本質を表しています。

 無量寿仏の名を聞いて信じ喜ぶとは、その名の本質である、無限の広さと深さの「慈悲」に感動するということですね。

 たとえ、ただ一回でもこの阿弥陀仏の慈悲への感動からこの仏を念って、心底から、この阿弥陀仏の慈悲に感動させられた功徳をもって、「この私も、この社会も、偽りの慈悲でしかないことを思い知らされて、アー、あの阿弥陀仏の完全な慈悲の国に生まれたいと願うことの出来る人々は、全て、もれることなく阿弥陀仏の国に往生することが出来、「慈悲」を仰ぎ願って生きてゆく道から、もはや退転することのない、確かな地位につくことが出来るのです。

 ただし、五逆罪といわれる、父を殺し、母を殺し、真理に到達した尊い人を殺し、仏の身から出血させ、教団の和合を破るものや、仏の教えを謗るものだけは除外します。

 と釘を刺して、こういう五逆罪といわれる罪の重大さを諭されます。

 しかし、仏の本質は、底のない、深い「慈悲」ですから、「実は、このような重大な罪を犯すような人をこそ、大慈悲のうちに抱きとって、必ず、救い導く」との阿弥陀仏の大悲が込められています。

 そして、五逆罪の、父殺し、母殺しとは、実際に命を奪わなくとも、冷たい言葉や態度で、父や母の心を殺したことでしょう。

 そして、真理に到達した尊い人を殺すとは、そういう尊い人に反逆することと思えます。

そして、仏の身から出血させるということは、仏の本質の「慈悲」に背いて、冷酷なふるまいによって、自分も人も傷つけることと思えます。

 次の、教団の和合を破るとは、教団の精神である、無我、慈悲、利他、布施に背いて、自己中心、冷酷、利己主義、収奪といった行いで、調和を破ることと思えます。

 これら、五逆罪とは、私たちが大なり小なりやっていることで、そのことが、阿弥陀仏の心を悲しめていることと思って、行いをたしなめたいことです。

日暮らしの中の仏教        「合掌のイラスト」の画像検索結果

 今まで、「非戦平和」などと書かれたTシャツを、色があせ、衿が少々ほつれて破れていても着続けていました。

 このTシャツは、仏教徒の平和運動のアピールや、資金カンパのために、買っていたものです。

 夏は、ほとんど毎日着続けていました。

 ところが、この夏、私のタンスを開けると、それがすべて捨てられて、ありふれたTシャツが2〜3枚しか残されていませんでした。

 以前から、坊守が、「ダサイ」とか、もう汚いとか言っていて、「もう捨ててしましなさい」などと言っていたものですから、「アー捨てられたんだ」と思いました。

 一言「捨てるよ」と言ってくれればよかったのにとも思いましたが、私が、着続けることを知っているので、こっそり捨てたのでしょう。

 私は、仕方ないなと、なじりもせず、残った普通のTシャツを着ています。

 過日、広島では、第六回九条世界宗教者会議があり、沖縄でも、辺野古新基地反対に連帯する、真宗者の集いに参加しましたが、多くの人が、「非戦平和」や憲法九条の文言を書いたTシャツを着ているので残念に思いました。

 大谷派の沖縄別院に、「兵戈無用」のTシャツが売ってあり、カンパのつもりで買えばよかったのですが、とうとうケチってあきらめました。

 Tシャツがもうなければ買ったのですが、普通のTシャツがまだありますので、もったいないとも思ったのです。

 私の衣類は、ほとんど、親戚からもらったもの、亡き義父の遺品、息子の要らなくなったものの貰い受け等です。

 もう死ぬまでの一生分の衣類は、下着以外、買う必要はないでしょう。

 私は、「仏者の一物」を理想として、物を無駄にしてはいけないと、必要に迫られないと、衣服も何もかも買いません。

 実は、経済的な問題もありですがね・・・。

 キリスト教のシスターなどは、衣類は、着替え用のため、ただ二枚しか持っていないと聞きます。

 まあ、「愛」とか「慈悲」といったものを大事にしょうとする宗教者というものは、質素にするのが自然でしょうね。

 金銀の刺しゅうなど、けばけばしい派手な衣装は宗教者としてはいかがなものかといつもいぶかしく思います。

 それで、親鸞様にならって、高価な色衣を着用せず、安価で質素な黒衣で良しとしている次第です。

 でも、それをおごり高ぶってはだめですがね。

見るに見かねた、坊守が、たまにあれこれと買ってくれますが、「有難迷惑だ」などと可愛げのない返事で、坊守の機嫌をいつも損ねさせています。

  南無阿弥陀仏

 

報正寺通信 2018年6月

夏法座のご案内

29日(金)昼・30日(土)朝・昼

 朝9時半 昼2時始め 住職自修

『仏法と人生・社会』   お茶

 

宗教              「坊さんのイラス...」の画像検索結果

 父の思い出です。

父がお説教に行くために、バスに乗っていた時、ご門徒の一人から「また大ウソを言いに行きんさるの」と言われたということを、母に語っていたのをそばで聞いたことがあります。

その時、ずいぶんひどいことを言われる人があるものだと驚いた記憶があります。

多分その人は、「阿弥陀さんじゃ、死んでから、お浄土へ行くんじゃいうても、本当にあるとは、とても信じられん。

そりゃあ、ウソに決まっとる。」と思い込んでおられて、私の父をなじられたのでしょう。」

この人のように、多くの人々は、宗教というのは、神さんや、仏さんや、死んでからの天国や地獄や浄土など、本当にあるものと、信じるものだと思っておられると思います。

果たしてそうと言い切れるでしょうか。

宗教とは、文字通り、宗「むね」の教え、つまり、大事な教えというとらえ方があります。

それは、神仏や、死後の世界を、本当にあるものと、信じようと、信じまいと、神仏や、死後の世界などの教えの中から、大事なことを受け止める教えというとらえ方で、私はこのとらえ方に納得します。

仏教             「仏教のイラスト」の画像検索結果

以前「仏教は、宗教ではない、仏教は仏教だ」という言葉にも納得したことがあります。

多分、この意味は、仏教は、一般の宗教のように、神仏や、来世、前世等、本当にあるものと信じるように説くだけの教えでは無く、仏とか、前世とか来世とかそういう表現を通して、「大事なこと」を知らせる教えだから、一般の宗教とはちがって、仏教は、仏教だと言うのでしょうね。

               「仏のイラスト」の画像検索結果

仏教では、仏とは、真理に目覚めたものという意味があります。

仏教の言う真理は、縁起です。

縁起とは、万物が限りなく関係しあって存在しているということです。

ですから、この縁起に目覚めたものである、仏とは、自分中心な心を離れて、全てのものを慈しむ、慈悲という、もっとも広く深い慈愛の心の実践者だということです。

さらに、ですから、仏は、この縁起の真理に目覚めていない為、自分中心で、慈悲が無く、お互いに損ないあっている、すべてのものを真理に目覚めさせて、同じ慈悲の実践者、つまり仏にしなければならないと限りなく導き続けるものということです。

前世             「暗闇のイラスト」の画像検索結果

 これは、私たちが、人間に生まれ変わる前の命というのではなく、私たちの命に宿されている、全人類の殺しや奪いの罪の歴史、さらには、人類以前の全生命の殺し合いの罪の歴史の全体と言えます。

来世             「光の画像無料」の画像検索結果

 これも、私たちが死んでから行く実際の未来というのではありません。

先の縁起の真理に目覚めぬまま、自己中心でお互いに損ないあうだけの人生の行方を地獄等と表現し、殊に、浄土真宗の場合、阿弥陀仏の世界(浄土)として、私たち皆がもれなく、阿弥陀仏によって、導かれ、生まれさせていただくという、自分中心の煩悩から離れた、慈悲に満ちた世界として表現されたものと言えます。

浄土真宗          「親鸞のイラスト」の画像検索結果

文字通り、浄土の真実を宗「むね」つまり、大事にする教えと言えます。

浄土とは、先の、自分中心の煩悩から離れた、慈悲に満ちた世界ですから、こういう、真実を大事にして、反対に、自分中心で、慈悲の無い、つまり真実でない自分と、この社会を慚愧させられながら、この浄土の真実に導かれて、臨終まで、おぼつかなくも歩まされる教えということが出来ます。

本願寺派門主・総長宛要望書   「お願いのイラス...」の画像検索結果

             2018年4月16日

私は親鸞さまの月御命日に意思表示をします。

仏願に背く集団的自衛権を認める安全保障関連法への明確な反対声明を教団として早急に出して下さい。

自民党の改憲条文案が、去る3月22日に提示されました。    

それには、 「第9条の2

 (第1項)前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。

(第2項)自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」とあります。

本来の憲法9条の精神に於ける、自衛の措置、国防とは、あくまでも、非武装に徹し、諸国との相互信頼、互恵、協調、尊敬、対話重視外交のはずです。

我々念仏者も、殺さない、殺させない、慈心不殺、兵戈無用で、武力放棄、戦争放棄に立つべきと思います。

しかるに、自民党は、この本来の憲法九条の精神を、意図的に否定し、読み違えていると思えます。

なぜなら、自民党の国家観は、国家に、国防のための武力組織(軍隊)は必是との考え方であろうと思うからです。

我々念仏者としては、軍装の実力組織としての自衛隊は違憲であると断じ、そして、自衛隊は、軍装を解除して、内外災害救援隊等に編成替えをとの世論の高揚をはかりたいと思います。

阿弥陀様の心は、無我、慈悲の心でした。

ですから、阿弥陀様に、戦争を容認されるものは、何一つないと言えると思います。

阿弥陀様のこの、無我、慈悲の心に叶うように生きようとするなら、兵戈無用、つまり、武力放棄、戦争放棄で、国防は、諸外国との信頼、尊敬、互恵協調外交とすることと考えられます。

悲しいことは、教団の過去、阿弥陀様を仰ぎながら、戦争と一体化してきたことでした。

このような無残なことは二度と繰り返してはならない筈です。

しかるに、現実は、武力保持も、武力行使も当然とされています。

殊に、安倍首相は、上記、自民党改憲条文案に見られるように、憲法九条を改変して、自衛隊を憲法に位置づけ、国防や世界の平和貢献の名のもとに、戦力装備、拡大と、本来、戦争を絶対しないと誓ったはずの国から、戦争のできる国へと大きく国の形を変えようとしています。

教団が、この国の動きを黙認するなら、かつての戦争と一体化し、仏祖に背いた無残な過去と同じ轍を踏むことになると考えます。

改憲発議への懸念のあるこの時期、是非、早急に、教団として、内外に、殊に、自民党、安倍政権に、この、自民党改憲条文案を批判され、不戦・憲法九条堅持の表明をなされることを強く要望いたします。

合掌

非戦平和を願う真宗門徒の会会員 

安芸教区山県太田組報正寺住職    城山大賢

 


報正寺通信 2018年5月


聖典学習会のご案内

22日() 朝 10時〜30分(おにぎり会の中) 

学習聖典・現代語訳・無量寿経(映像から)   住職自修  参加費無用        

聖典から人生・社会の諸問題を問うてみましょう。

どうぞ誘って気楽にご参加下さい

前回の学習内容(経典の過ち)から  湯呑み  

 無量寿経は、釈尊直説ではなく、作者不明ですが、釈尊滅して、約五百年後に創作されたようです。

 しかも、次に紹介する内容は、インドの原本には無いので、後に中国で漢字に訳された時、漢訳者が挿入したものと考えられます。

 ですから、経典は絶対的なものとは言えません。

 ここの箇所は、浄土の人々が、他の世界の人々に比べて、とても崇高な人々であるということを示そうとして、例えとして、王と貧しい人とを比べています。

少し長い内容ですが、読んでみてください。

「すべては、過去の世に功徳を積まなかったからです。財を たくわえて人に施さず、裕福になるほどますま

す惜しみ、ただ欲深いばかりで、むさぼり求めて満足することを知らず、少しも善い行いをしようとしないで、山のように悪い行いを積み重ねていたのです。

こうしてたくわえた財産も、命が終わればはかなく消え失せ、生前にせっかく苦労して集め、あれこれと思い悩んだにもかかわらず、自分のためには何の役にも立たないでむなしく他人のものとなります。

たのみとなる善い行いはしておらず、たよりとなる功徳もありません。          「一輪の花のイラ...」の画像検索結果 

そのため、死んだ後には地獄や餓鬼や畜生などの悪い世界に生れて長い間苦しみ、それが終ってやっと人間の世界に生れても、身分が低く、最低の生活を営みどうにか人間として暮らしているようなことです。

 それに対して世の中の王が人々の中でもっとも尊ばれるわけは、すべて過去の世に功徳を積んだからであります。

慈悲の心でひろく施し、哀れみの心で人々を救い、まごころをこめて善い行いに努め、人と逆らい争うようなことがなかったのです。

そこで、命が終ればその徳によって善い世界にのぼることができ、天人の中に生れて安らぎや楽しみを受けるのであります。

さらに、過去の世に積んだ善い行いの徳は尽きないので、こんどは人間となって王家に生れ、そのためおのずから尊ばれる身となるのです。」   「花一輪のイラス...」の画像検索結果  

 どうでしょうか。       

 貧乏で身分の低いものは、前世で悪いことをしていた報いであり、裕福な王は、前世で善いことをした報いだというように、前世、来世と、生まれ変わりを断定していますが、今ではほとんど通用しませんね。

 また、貴賤の身分も、時の権力者たちが、自分を上位に置いて、民衆の分裂支配を固定するために作った不当なものでした。

そして、仏教は本来、命の尊厳、人間平等を説いて、貴賤の身分や権力差別支配などを正さねばならないものなのに、その不当さを正すことなく、容認を前提とする過ちを犯しています。

 本来なら、まず、世間の貴賤の身分差別を、人間の尊厳と平等不可侵の真理(法)を説く仏法からは、過ちであると指摘しなければならない筈です。

そして、為政者の王といえども、無我、慈悲、利他、布施、平等、平和といった真理(法)に背いた生き方をすれば、自らを卑しめることになり、たとえ、身分を低く卑しめられた人であっても、無我、慈悲、利他、布施、平等、平和といった真理(法)に従って生きようとする人は、尊いのだ、というような表現をとらねばならない筈でした。

凡夫の念仏         

 「わしが大抵、洗濯し、干し入れをするんだけえ、ちいたあ、洗濯するわしのことを考えて、そがあに、度々着替えて、えっと洗濯物、出すなやあ」となじり発言

 とはいえ、おしゃれ着などは、坊守まかせ、度々、一緒に洗濯して叱られる有り様で、ナンマンダブ

 「あなたの洗濯物が少ないのは、横着で、めったに着替えんからでしょうが、それで、加齢臭がひどく、あなたの洗濯物は、汚れは落ちていないし、まだ体臭が残っていますと言われ、ヤレヤレとナンマンダブ

 「冷蔵庫の食べ物が腐っとるじゃあないか、食べ物を粗末にするなあ、仏教徒としてナッチョラン、冷蔵庫の管理怠慢じゃ」と坊守を攻めると、「冷蔵庫も共同責任でしょうが、あなたは、好きなものから食べて、嫌いなものはほっといているじゃないですか」と批判され、ナンマンダブ

朝日新聞「声欄」投稿原稿の紹介    「新聞のイラスト...」の画像検索結果

去る4月17日、朝日新聞の読者の投稿欄「声」に、5月3日の憲法記念日に、「私と憲法」特集をするということで、9条と自衛隊、改憲の是非、基本原理(平和主義、国民主権、基本的人権の尊重)への思いなど憲法にまつわる投稿をお待ちしていますとありましたので、投稿してみました。            

多分、連絡がないので、不採用でしょう。

「平和のイラスト...」の画像検索結果

「私と憲法九条と自衛隊」

私は、私の考え方を、フェイスブックに、「物を公平に分かち合って、お互いに尊重し合い、奪わず、殺さず、差別せずに生きられるなら原始生活でも結構じゃあないか。
 たとえ、便利さや豊かさを求めても、物を公平に分かち合って、お互いに尊重し合い、奪わず、殺さず、差別せずに生きることと同時でなければならないと思う。」と自己紹介しています。

そして、憲法九条については、日本は絶対にもう戦争しないことにしたから、戦力を、コスタリカのように、絶対持たないのだと解釈しています。

それ故、自衛隊は、憲法違反だから、軍装を解いて、内外災害救援隊などに編成替えするという考え方です。

そんなことで、外国から攻められたらどうするかについては、

平素から、攻められないように、諸外国と、信頼、互恵、協調外交をして諸外国から信頼を損なわないようにすることが第一で、それでも攻められたら、非暴力で抵抗し、

国連はじめ諸外国や攻めてきた国の人民の良心に訴え、国際世論の喚起によって、攻撃がやむのを待つという方法を考えます。

たとえ、無念ながら殺されることはあったとしても、決して、我々は殺すということはしなかったという、崇高な人道に永遠であるという矜持に生きたいものだと考えています。


報正寺通信 2018年4月

永代経法座のご案内

16日 ()朝席、夜席・17日()朝席

おとき日・・・17日(火)朝 (朝、9時半・夜、7時半始め) 

湯来町・一松寺・副住・高山泰秀殿 どうぞ、誘い合ってお参りください 


日暮らしの中の仏教        

 

 まだ寝ている家族のことを配慮せず、起きて自分勝手にごそごそすると、よく非難されます。 

 クソー、でも、ごもっともと ナンマンダブ。

 男女平等を気負って、洗濯、食事の片付け、掃除、風呂、ゴミ係など、「わしは家事の8割をやっているとのおごりに非難されます。

「何、言ってんの、食事作りは家事の50%よ」との非難に ナンマンダブ

 だが、少しは食事作りも炊飯もやっていると、又おごりに ナンマンダブ

 脱原発、節電、節電で、コンセント抜きまくり、「録画取れなかった、勝手に部屋に入るな等」と非難され、

 ナンマンダブ

 「慈悲」が仏教の根本などといつも言っているのに、「優しさや、配慮がない、話をするのが嫌になる等」とよく非難され、仏教が身についていないということかと ナンマンダブ                   

本願寺派門主・総長宛要望      

             2018年3月16日

私は親鸞さまの月御命日に意思表示をします。

 

仏願に背く集団的自衛権を認める安全保障関連法への明確な反対声明を教団として早急に出して下さい。             

私の思い・・・・(如来の本願に立脚した、実践伝道として、先月に引き続きます。)                                                                                                                     

 仏教徒(浄土真宗門徒)として、御同朋の社会の実現に向けて、現実の諸問題に対して、意見表明されることの要望

   

去る、2月27日、当、安芸教区、山県太田組の研修会の講師に、本山、教学研究所から出向がありました。

私は、講師に、「無量寿経の兵戈無用を踏まえるなら、憲法九条においても、武力放棄が妥当と思いますが、どう思われますかと問いました。

 

講師は、私の受け止めでは、「大谷派では、原発や、安保法制などに、意見表明をされているが、世論では、賛否両論があるので、大谷派のように、一方的な態度表明はしないで、論議する場を持つことがいいと思う」というような思いを述べられました。

確かに、原発、安保法制などに、僧侶、門信徒、世論にも、賛否両論があり、判断しかねる人々も多いことでしょう。

だからこそ、無我、慈悲の本願を踏まえて、御同朋の社会の実現を目指して、大谷派のように、先ず第一に、本山が意見表明をすべきで、本派でも、本願寺、及び、宗派が率先して、誠実に、内外に意見表明をすることが、世間の惑いを晴らし、仏祖の意に沿う、実践伝道布教ということになると思います。

もちろん、本山の見解に反対の人々への、排除、忌避ではなく、宗祖の如き、憐れみをなし、悲しみの心、つまり歎異を踏まえた表明でなければならないことは言うまでもない、大事なことと思います。

そして、そういう歎異を踏まえた表明を基に、各教区、各組、各布教団、仏教婦人会、仏教壮年会などの全組織を挙げて、研修、伝道布教の成果を上げるようにしたいものと思います。

阿弥陀様の心は、無我、慈悲の心でした。

ですから、阿弥陀様に、戦争を容認される

ものは、何一つないと言えると思います。

阿弥陀様のこの、無我、慈悲の心に叶うように生きようとするなら、兵戈無用、つまり、武力放棄、戦争放棄で、国防は、諸外国との信頼、尊敬、互恵協調外交とすることと考えられます。

悲しいことは、教団の過去、阿弥陀様を仰ぎながら、戦争と一体化してきたことでした。

このような無残なことは二度と繰り返してはならない筈です。

しかるに、現実は、武力保持も、武力行使も当然とされています。

殊に、安倍首相は、憲法九条を改変して、自衛隊を憲法に位置づけ、国防や世界の平和貢献の名のもとに、戦力装備、拡大と、本来、戦争を絶対しないと誓ったはずの国から、戦争のできる国へと大きく国の形を変えようとしています。

教団が、この国の動きを黙認するなら、かつての戦争と一体化し、仏祖に背いた無残な過去と同じ轍を踏むことになると考えます。

改憲発議への懸念のあるこの時期、是非、早急に、教団として、内外に、殊に、安倍政権に、不戦・憲法九条堅持の表明をなされることを強く要望いたします。合掌

非戦平和を願う真宗門徒の会会員 

安芸教区山県太田組報正寺住職    城山大賢


報正寺通信 2018年3月

聖典学習会のご案内

17日() 朝、9時半・昼、2時(各2時間)

学習聖典・「無量寿経」        「学習会案内のイ...」の画像検索結果

住職自修  参加費無用

聖典は、仏教の原典です。

聖典から人生・社会の諸問題を問うてみましょう。

どうぞ誘って気楽にご参加下さい

前回の学習内容から         湯呑み 

 「それらの聖者たちは智慧が深く明らかで、自由
自在な力を持ち、その手の中にすべての世界をたもつことができるのである

解説            https://www.silhouette-ac.com/sozai/m/139/91/139915m.jpg

 「それらの聖者たち」とは、仏国浄土の聖者のことです。

 仏国浄土の聖者といっても、もちろん、実在ではなく、まことの世界の、まことの人としての、象徴的な表現です。

 この聖者たちは、たとえ、どんなに罪が深い者であっても、彼らを他者と見ず、自分と一体に観ることができるという、そういう智慧が深く、しかも、明瞭であると表わしてあります。

 去年、神奈川県座間市のアパートで9人の女性を誘って、殺害し、遺体を切断した事件がありました。

このような罪悪深重な犯罪者であっても、決して忌み

嫌うことなく、その犯人と一体となれる智慧と慈悲を

持つというのですから、我々のような好き嫌いの分別

世界を超えています。

 そして、自由自在な力を持ちというのは、これは、体の力ではなく、どんな、凶悪な人でも、自由自在に、自己慚愧せしめて、本来のまことの人間に立ち返らせることが出来るという、精神的な力のことですね。

そして、手の中にすべての世界を保つことが出来るというのは、世界の全てを自分のこととして保持し、慈しみ、担うことが出来て、全ての人間や社会の苦悩を自分の責任として抱きかかえて、決して、他人事として放置することが出来ないという世界ですね。

東日本大震災による津波や、福島原発事故による、故郷、家族喪失・離散の悲嘆も、沖縄の米軍基地による、沖縄の人々の苦悩も、テロによる親族殺害の悲惨なども他人ごとならず、全人類、人間の同じ罪や悲しみとして、担うことが出来るというのですね。

浄土の聖者とは、こういう尊い人達であるということを表現して、私たちやこの社会の自己中心的で、好きか嫌いか、敵か味方かといった取捨選別の無慈悲で冷たいあり方に自己内省をはかる諭しと受け止めることが出来ます。            「ろうそくのイラ...」の画像検索結果 


孫、灯里(あかり)ちゃんへの語りかけ

 孫の灯里ちゃんは、3月14日が、満1歳の誕生日になります。

爺さんの、手前勝手な孫育てということで、私は、この子が生まれてからずーっと、同じことを語りかけ続けています。

ミルクを飲ませる時、寝かせる時、抱いて、本堂の階段などで気分転換させる時、

 家族は、また、洗脳しているなどとなじりますが、やめません。

 紹介します。

 「灯里さん、あんたはね、わしらも、138億年前の宇宙からやって来たんよ。

 太陽や、地球が出来て46億年、

生命が誕生して、40億年、

人類が出てきて700万年、

わしらがアフリカで出てきて20万年、

アフリカから、飛び出してきて10万年

日本へ来たのが4万年前

づーっといのちは続いてきたんよ。

あんたの名前は灯里さん。

あんたのお父さんお母さんがつけてくれたのよ。

 あんたの名前は、灯りの里よ。

 この暗い世界に灯りを灯してください。

この暗い世の中を明るくしてください。

自由のあかり、平等のあかり

博愛のあかり、平和のあかり。

人権尊重のあかり、格差是正のあかり、      

「爺と赤ちゃん抱...」の画像検索結果

環境保全のあかり。

仏様の教えではね、無我のあかり、慈悲のあかり、

利他のあかり、布施のあかり、

人々の心の中に、菩提心(願作仏心・度衆生心)のあかりを灯してください。」

等と語り続けています。

黙ってあやすのも芸がないと思い、自分にも言い聞かせるつもりで語っています。

 ハイハイも出来ない時、寝かせる時は、

「四弘誓願」

(衆生無辺誓願度 .煩悩無数誓願断 .法門無尽誓願学 .仏道無上誓願成)や、

「法の深山」

法のみ山のさくら花

昔のままに匂うなり
道の枝折の跡とめて
さとりの高嶺の春を見よ

法のみ山のほととぎす

 

 

「満月のイラスト...」の画像検索結果

 

 

 

昔のままに名のるなり
浮世は夢ぞ短が夜と
驚きさます声をきけ     

法のみ山の秋の月
昔のままに照らすなり
教えの風に胸の雲
はらいて真如のつきを見よ

法のみ山の白雪は
昔のままに積るなり
身をも捨てたる跡ふみて
深き教えのおくをとえ)

を歌っていました。

今は、言葉と言えば、「アーッ」といって眼新しいものに、関心を示したり、「マンマンマンマン」といって、食べ物を催促するぐらいです。

いつも、私の語りには上の空ですが、繰り返し同じようなことを語り聞かせていると、いつか、覚えてくれてもいいなと期待しているのです。

 

 


報正寺通信2018年2月

釈尊 涅槃会 、益害平等一切有情追悼法座のご案内

14日(水)朝・昼、15日(木)朝 (朝、9時半・ 昼、2時半始め)

 「お釈迦様の一生から学ぶもの」 (住職・坊守自修)

私の願うところ             花の無料イラスト素材-アイコン風・モノクロ

かつて紹介しましたが、インターネットのフェイスブックに、自己紹介としたものを再度紹介してみます。

それは、物を公平に分かち合って、お互いに尊重し合い、奪わず、殺さず、差別せずに生きられるなら原始生活でも結構じゃあないか。 
たとえ、便利さや豊かさを求めても、物を公平に分かち合って、お互いに尊重し合い、奪わず、殺さず、差別せずに生きることと同時でなければならないと思う。」
というものです。

 これが、私の今まで、仏教やその他のささやかな学びの中でとらえた、私なりに願う自分の生き方と、社会の在り方です。

 多分に、理屈だけで、とても自分の身についていないことを恥じつつ。

の伝道布教               花の無料デザイン画像-アイコン風・モノクロ

毎月、寺の通信を出し、布教をしているが、一体、私は何を伝えようとしているのかの確かめです。

それは、前述にあるように、私なりに仏教やその他のささやかな学びを通して、私の願いとさせていただいたものを、少しでも、皆さんに共感していただければ幸いと思っていることが私の伝道布教です。

信仰としてではなく、信心としての伝道布教花のフリー素材-画像

度々述べさせてもらっていますが、阿弥陀仏や、浄土の実在への信仰を勧めているのではありません。

 阿弥陀仏や、浄土と象徴表現されたものから、その中身である、無我とか慈悲といった意味を受け止める、信心というものを勧めています。

無量寿経(現代語訳)に表現された阿弥陀仏物語花のフリーイラスト-画像

釈尊は阿難に仰せになった。

 「 今よりはかり知ることのできないはるかな昔に、錠光という名の仏が世にお出ましになり、数限りない人々を教え導いて、そのすべてのものにさとりを得させ、やがて世を去られた。次に光遠という名の仏がお出ましになった。その次に月光(他の49仏、中略)処世という名の仏がたが相次いでお出ましになって、みなすでに世を去られた。

 その次にお出ましになった仏の名を世自在王といい、如来・応供・等正覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と仰がれた。そのときひとりの国王がいた。世自在王仏の説法を聞いて深く喜び、そこでこの上ないさとりを求める心を起し、国も王位も捨て、出家して修行者となり、法蔵と名乗った。才能にあふれ志は固く、世の人に超えすぐれていた。この法蔵菩薩が、世自在王仏のおそばへ行って仏足をおしいただき、三度右まわりにめぐり、地にひざまずいてうやうやしく合掌し、次のように世自在王仏のお徳をほめたたえた云々」

 阿弥陀仏の前身が法蔵菩薩です。

 阿弥陀仏は、元、国王であって、仏の説法を聞いて、感動し、王や国への欲望を捨て、無我、慈悲を完成した一切の救済者としての成仏を求めたという物語です。

 このように、神話(いや、仏話)のような表現から、仏教の本質の「無我」」慈悲」といった意味を受け止めます。

内閣総理大臣あて要望     花のイラストデザイン-絵

  2017年12月16日

私は、我が宗祖、親鸞様の月命日に意思表示をします。

平等、平和、慈悲の仏願に背く、憲法九条改悪、集団的自衛権を認める、安全保障関連法や共謀罪、死刑、原発を即刻廃止してください。

(仏教徒(浄土真宗門徒)として、天皇制についての意見表明)  

仏教は、平等の思想です。仏も、仏国浄土も平等の象徴表現です。この平等の仏や仏国浄土を真実として生きようとする仏教徒は、特権身分も、被差別身分も無い、みんな平等に尊重される社会を目指します。 ここに立脚しますと、この天皇制という制度は、平等に反します。 なぜなら、天皇制は、国家として、皇族の人々を特権的に、国費で保護し、しかも、居住、信教、職業選択、思想言論、選挙等の自由が著しく侵害されているからです。

皇位継承者の場合、婚姻の自由も不完全で、皇位継承においても、長男優位、女性排除の差別があります。

日本国憲法 〔第1条〕には、「 天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であってこの 地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」とあります。 天皇は、古来、武力支配、統合の権力で有ったり、他の支配権力に権威を付与する貴なる権威であったりして、民衆の平和や人権の平等には相反するものでしかありませんでした。

 こういう血統身分を引く、生身の個人が、国の象徴であり、日本国民統合の象徴であることは、民主主義には相いれないと思います。 天皇の、国家および国民統合の象徴というのは、国民の総意に基づくとされていますが、国民世論の総意がはかられたことはいまだに一度もありません。

こういう、国家の制度としての天皇制、皇室制度というものは、国の民主主義のため、また、皇族の人々の人権尊重の為にも、国民世論の広がりによって、廃止され、皇族の人々は、自由な市民へと解放されることを願います。 もとより、国家の関与を離れた皇族の系譜の人々が、皇族の存続について、自由であることは言うまでもありません。

非戦平和を願う真宗門徒の会会員 広島県、報正寺住職、城山大賢

今年も、ダーナ募金をよろしくお願いします花のフリー素材-内巻き

 昨年度、報正寺ダーナ募金総額は24,400円でした。

布原、1,000円・小原、1,500円

萩原、1,200円・数舟、1,500円

本一、3,000円・本二、6,000円

本三、6,500円・本四、3,700円

山県太田組ダーナ募金会計へ・・13,000円

ビルマ難民教育支援へ・・・・ 11,400円

前年度山県太田組ダーナ募金総額は 376,091円

山県太田組内医療機関へ本願寺新報・仏教誌施本と事務費

          ・・・ ・・・・222,580円 

芸北福祉会へ・・・・・・・・・・・・150,000円

山県太田組内、災害見舞金へ・・・・・・20,000円

安芸教区仏婦連盟へ2年分・・・・・・・60,000円

山県太田組内、災害救援基金総額・・・916,622円


報正寺通信2018年1月

過年・色々ありがとうございました。

本年もよろしくお願いいたします。

 

親鸞聖人御命日法座のご案内    「親鸞イラスト」の画像検索結果

15日()朝・昼、16日(火)朝

朝、9時半・昼2時半始め、夜席はありません

「親鸞様の御一生から学ぶもの」

住職自修

共に、親鸞様のご一生から、生と死と現在の世界を考えさせてもらいましょう。

例年通りぜんざいをいただきます。

おさそいあっておいでください。

「おしるこのイラ...」の画像検索結果 

越年つれづれ                フリー素材_1月画像サンプル-飾り枠-お供え餅・みかん

 年越しの節目にいつも生と死を再確認します。

 私は、この宇宙の、地球の、日本という国の、広島山中の筒賀の、報正寺という寺に、あの父や母のもとに、サルでもなく、人間の男として、私なりの体質や気質などをもって生まれてきました。

 自分で選んだわけではありません。

 この、いろんなめぐりあわせの中で、思えば生かされて、そして生きてきて、やがて死にます。

 なぜ存在しているのか?

 それは、138億年前の宇宙が始まって以来の自然現象のなせるもので、この世界や私を創り、支配し、操っている、意志を持った何かがいるとは、今も考えられません。

生まれたものは必ず死ぬるが、生とは、死とは?

1月の無料デザイン画像-スイセン-黄色

 この宇宙も、太陽もいつか消滅に向かうだろうといいますし、恐竜も滅んだように、人類もいつか滅ぶでしょうが、ともかく、生物は、種族保存の本能に突き動かされて生き、死によって、自然の世界に分散してゆくのでしょう。また、人間は、考える動物であるゆえに、欲望、本能だけでなく、理性、人間性との間で葛藤します。 そこで、考え方、思想、宗教、価値観、人格などに千差万別の違いが出てきます。

 概して、金権戦争体質のタカ派といわれる人々と人権平和体質のハト派といわれる人々に分かれてくるようです。

 仏教は、この、人権平和の究極を仏や、浄土と象徴し、この、金権戦争の迷妄を慚愧せしめ、人権平和の方向に導き救済しょうとする教えといえるでしょう。

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)問題  「平和のイラスト...」の画像検索結果

 全世界が危惧する大きな問題です。

仏教徒として、考えてみます。

 まず日本としては、北朝鮮も含め、中国、韓国他アジア諸国に対して、かつて日本が侵略戦争を仕掛けて甚大な被害を与えてしまったという、国家としての罪を誠実に謝罪し、被害を受けた市民にきちんと補償することをしなければならないと思います。

 このこと抜きには、この北朝鮮始め、諸外国に真に信頼されることはありえないと思います。

 ドイツは、ナチスドイツ時代の罪責を内外に誠実に謝罪し ましたが、日本は、かつての戦争国家を容認する、教科書を認定するなど、日本の戦争への国家罪責が、未だにきちんと果たされていない状況です。

 まず、この日本が、世界に信頼される国に回復しなければなりませんが、それはこの北朝鮮のみならず、世界のどの国にとっても大事なことと思われます。北朝鮮においては、

「平和のイラスト...」の画像検索結果

金正恩委員長はじめ、その体制を支える人々が、今までの強権政治を誠実に慚愧し、核兵器、ミサイル開発をやめ、朝鮮人民の生活安定を優先し、恐怖政治をやめ、諸外国と互恵和平、人道友好路

線をとるように変革すればいうことはありません。

それは、タカ派体質の、安倍総理にも、アメリカのトランプ大統領にも、中国の習主席にも、ロシアのプーチン大統領にも韓国の文大統領にも言えることで、武力によらぬ、諸外国との互恵和平、人道友好路線をとることを われわれ仏教徒は、全世界に訴え続けるしかないように思います。

たしかに、金正恩体制は、特異な横暴政権と思います。

しかし、アメリカ、ロシア、中国も、核兵器を持っていて、北朝鮮はじめ、そのほかの国に、核兵器を持つなというのも、勝手な横暴と思います。

 日米韓が、軍事演習などで、北朝鮮に敵意や恐怖を煽るようなことを強める限り、金正恩体制は、とても核兵器を手放さないでしょう。こういう状況の中で、アメリカも、金正恩体制も武力暴発をすれば、世界的な破滅危機を招く恐れがあります。北朝鮮の民衆には、気の毒ですが、金正恩体制の核兵器開発中止まで、経済制裁を続けるのが有効かと思います。   本来なら、日米韓はじめ諸国は、金正恩体制に対しては、核兵器を手放せと圧力をかけ続けるより、一端、やむなくも、核兵器保持を容認しておいて、

「平和のイラスト...」の画像検索結果

でも、全世界お互いに、核兵器縮減、廃絶に 向けて努力しょうと持ち掛け、ともかく、人民の疲弊困窮をなくし、恐怖政治を終えるよ

うに進言し続けることが大事であろうにと思うことです。 繰り返しますが、我々、慈悲を踏まえて生きようとする仏

教徒としては、徹底して、兵戈無用の絶対平和主義、戦争放

棄で、武力行使ではなく、どこまでも、諸外国との互恵和平、

人道友好路線を、全世界に訴え続ける以外にないと思います。


報正寺通信2017年12月

聖典学習会のご案内

24日() 朝 9時半〜 昼2時半~ 

学習聖典・無量寿経 住職自修  参加費無用          

聖典から人生・社会の諸問題を問うてみましょう。

どうぞ誘って気楽にご参加下さい  湯呑み


前回の学習から

「この光明に照らされるものは、煩悩が消え去って身も心も和らぎ、喜びに満ちあふれて善い心が生れる。

もし地獄や餓鬼や畜生の苦悩の世界にあってこの光明に出会うなら、みな安らぎを得て、ふたたび苦しみ悩むことはなく、命を終えて後に迷いを離れることができ
る。」

解説

 この光明とは、阿弥陀如来の光明です。

 阿弥陀如来の光明とは、阿弥陀如来の智慧です。

 阿弥陀如来の智慧とは、阿弥陀如来が全てのものを、他人ごとに見られず、慈悲をもって、自分と一体に見られる智慧のことです。

 すべてのものを他人ごとにしか見られない私らとはまるで違います。

この阿弥陀如来の、万物を一体に見られる智慧に照らされるということは、先に述べた、すべてのものを、家族ですら、他人ごとにしか見られない、私らの世界を慚愧せしめられ、またそれ故にこそ、可愛い花のイラスト-手書き風阿弥陀如来の全てを他人ごとにできない尊い世界を、「真実なること」として仰ぎ、あこがれる世界が心の中に開けるということと思われます。

 次に、この阿弥陀如来の光明に照らされて煩悩が消え去るということを考えます。これは、阿弥陀如来の智慧の世界が真実だと知らされ、自分中心な自分が恥ずかしいと知らされているものは、自分中心な心が起きた時、それを恥ずかしいことと恥じる心も起こされ、同時に、他者のことを配慮して生きて行かねばならないという、生き方にうながされてゆくがゆえに、たとえ一時でも、自分中心な煩悩が消えてゆくということを表してあると思います。

 そして、そこには、次の文章の「身も心も和らぎ、喜びに満ちあふれて善い心が生れる。」にあるように、わがままでかたくなな身(態度)も心も柔らかくなり、満ちあふれるということではなくとも、ささやかでも喜びが生まれ、自然に、善い心(向上への願心)も生まれているということでしょう。

 次に、「もし地獄や餓鬼や畜生の苦悩の世界にあってこの光明に出会うなら、」とあります。

 地獄というのは、シリアなどの、戦争状態のようなことと受け止めます。

 餓鬼とは、戦争を仕組む、強欲為政者やその戦争の被害者である難民などの飢餓状態と受け止めます。

 畜生とは、戦争という欲望、煩悩を是認する為政者や、彼らに従属させられている国民と受け止めます。

 たとえこういう、悲惨な状況にあっても、この阿弥陀如来の、一体の知恵と慈悲に、「真実なること」ということを受け止めることが出来るならばということですね。

「みんな安らぎを得て、ふたたび苦しみ悩むことはなく」ということは、みんな、どんなに過酷な状況でも、真実に生きて行こうとする姿勢だけは、ゆらぐということが無く安定しているので、何のために生きるのかというようなことで、不安で苦しみ悩むということはないということでしょう。

高解像度無料イラスト-モノクロ

真実に生きて行こうとするということは、煩悩から完全に離れることはできないけれども、慚愧と共に、阿弥陀如来の知恵や慈悲と表わされた、「真実なること」に促されて、あるべき自己とあるべき社会の創造に向かって、どんな苦悩があっても、臨終まで生きて行こうとすることと思えます。

こういう生き方が成立せしめられるという、安らぎを得てもなお、苦しみ、悩みから完全には逃れられることはないけれども、決して、苦しみや悩みに落ち込んでしまいっぱなしになるということはないということでしょうね。

最後の、「命を終えて後に迷いを離れることができる。」

これは、みんな、浄土真宗の教えに遇えて、命終えて、阿弥陀如来にすくわれて、浄土に往生させられて、阿弥陀仏と成さしめられるがゆえに、完全に煩悩の迷いから離れることが出来るということです。 

このことは、従来、実際の事実として、ありがたいことと、信仰の上でうけとめられてきましたね。

 現代、こういう従来の、阿弥陀如来と往生浄土信仰というものを、そのままに、受容できる方と、そうでない方があると思います。

 大事なことは、従来の信仰が受容できようと出来まいと、阿弥陀仏や往生浄土の教義に、「真実なること」と受け止めることが出来るかどうかということと思えます。

この阿弥陀如来によって、往生成仏し、阿弥陀如来と同等の仏となるという教義、ここに、「真実なること」とは、真実ならざるものを常に育み、必ず、もれなく、一切を真実なるものに自己同化せしめるという、「真実なること」の法則、道理というものが物語られていることがうかがえます。

安倍総理宛要望書

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2017年11月16日

私は、我が宗祖、親鸞様の月命日に意思表示をします。

仏願に背く、憲法九条改悪、集団的自衛権を認める、安全保障関連法や共謀罪、死刑、原発を即刻廃止してください。

私の思い

仏教徒(浄土真宗門徒)としての国防論について。

   

仏教の開祖、おしゃか様の言葉として伝わっている、ダンマパダ 129、130に

 

すべての者は暴力におびえる

すべての者は死を恐れる

自分がされたらと思って

殺してはならぬ、殺させてはならぬ (129) 

 

すべての者は暴力におびえる

すべての者には命は愛しい

「お釈迦様のイラ...」の画像検索結果

自分がされたらと思って

殺してはならぬ、殺させてはならぬ (130)とあります。

また、浄土真宗門徒の所依の経典である、無量寿経に、「仏所遊履、兵戈無用」という文言があります。

これは、「仏の教えの行き渡るところ、兵隊も武器も用いることが無い」と読めます。

以上から、兵戈無用の仏教徒、真宗門徒の国防論としては、自衛隊違憲論で、大事なことは、国が攻められるようなことになる以前から、無軍備、丸腰で、諸外国との互恵、尊敬、人道的協力、支援という、諸外国から信頼され、攻めようにも、とても攻めることが出来ないような崇高な国創りによって、国防とする国づくりを目指し、それを世界にも広げるという、絶対平和主義といわれるような考え方で、自衛隊は、軍装を解いて、内外救援隊にという論です。

そして、諸外国は、警察力は保持しても、国家としての軍隊は、国連に移管し、国連のみが、諸国の軍備を統括するけれども、それ以前に、五大国が拒否権を持つ非民主的な国連を、民主的に改正し、民主的に新生した、国連のみが、国際的な警察、裁判権を持ち、国際紛争解決にあたるというものです。

我が国においても、アメリカ等と共なる武力行使でなく、あくまでも、戦時中のアジア侵略という国家の過誤を誠実に謝罪し、朝鮮民主主義人民共和国含めアジア諸国・諸外国から信頼されるべく、決して妥協ではなく、是々非々で、互恵相互尊重外交を粘り強く展開されるよう切望します。 合掌

非戦平和を願う真宗門徒の会会員 広島県、報正寺住職

城山大賢


報正寺通信2017年11月

                      秋法座のご案内           

29日(水)日中~30日(木)日中

 報恩講おとき日・・・30日(日)日中

日中、9時半・夜、7時半始

講師・三次市・西善寺住職・小武正教殿

お誘いあってお参りくださいませ

「精進料理イラス...」の画像検索結果

報恩講とは

親鸞様有難うございますという行事です。

私は、親鸞様から、阿弥陀仏や浄土の本質である、慈悲にうながされて、慈悲には程遠い自分とこの社会を慚愧せしめられつつ、なお、慈悲に向かう、自分と社会の創造に、臨終まで歩み続ける道を教えてもらったと、そのことを有難く思っています。

仏教徒としての、衆議院選挙への思いその1 

                                

 選挙に投票しない人が半数近くあるということは、それほど政治に絶望か、無関心の人があるほどに、政治の責任、ひいては、そういう政治にした民衆の責任、もっと言えば、そういう政治、民衆にした、僧侶の責任を思います。

 「五濁増のしるしには、この世の道俗ことごとく、外儀は仏教のすがたにて、内心外道を帰敬せり。」

 「世の濁りが増した証拠に、この世の僧侶も俗人もみんな、形だけは仏教だが、心の中は、仏教でない」との親鸞様の嘆きを思います。

その2             「菊のイラスト」の画像検索結果

 小選挙区では、自民党48%の得票で、議席は75%を占め、一票の格差が2倍以上あるとは、この選挙制度が民主的でありません。

 一票の格差なく、得票に応じた、公平な、比例議席配分の制度に変えねばならないと思います。

その3             「菊のイラスト」の画像検索結果

従来の、首相の特権的解散権は、イギリスも首相の専横だと変更したように、変更しなければならないと思います。

本来、日本国憲法第41条『国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である』のとおり、国会の解散権は、内閣でも首相でもなく、国会そのものであると思います。

その4         「菊のイラスト」の画像検索結果

この解散の実質は、言われるところの、安倍首相による、森友、加計学園疑惑からの逃避と 民進党の弱体化と希望の党の準備不足を見ての勝利予測という、姑息さを思います。

その5          「菊のイラスト」の画像検索結果

選挙の大義を安倍首相は、北朝鮮の脅威と消費税の教育無償化への転換などと言っていました。

アメリカのトランプ大統領に追随し、武力行使含む圧力路線で、対話柔軟路線の消極的な安倍首相や、武力行使容認の自民党候補者40%、維新、約78%は、兵戈無用の仏教徒の、非武装、絶対平和主義とは相いれないと思います。

教育費無償化も、1千兆円以上の借金財政を考えれば、一律ではなく、所得制限をすべきだと思います。

立憲民主党の防衛論批判    「菊のイラスト」の画像検索結果

立憲民主党 綱領(2017年10月2日)には

 「五. 国を守り国際社会の平和と繁栄に貢献する」

 私たちは、専守防衛を前提に外交安全保障における現実主義を貫く。

我が国周辺の安全保障環境を直視し、自衛力を着実に整備して国民の生命・財産、領土・領海・領空を守る。日米同盟を深化させ、アジアや太平洋地域との共生を実現する等とあります。

 このように自衛隊の武力行使是認論であり、我々戦争放棄の仏教徒としては相いれません。

共産党の防衛論批判   「菊のイラスト」の画像検索結果

2017年1月18日の日本共産党第27回大会決議には「安保条約を廃棄した独立・中立の日本が、世界やアジアのすべての国ぐにと平和・友好の関係を築き、(中略)かなりの長期間にわたって、自衛隊と共存する期間が続くが、こういう期間に、急迫不正の主権侵害や大規模災害など、必要に迫られた場合には、自衛隊を活用することも含めて、あらゆる手段を使って国民の命を守る。」とあります。

このように自衛隊の武力行使活用論であり、我々戦争放棄の仏教徒としては相いれません。

我々仏教徒としては、ともかく、武力によって解決することをしないので、自衛隊の軍装を解除する、世論拡大につとめます。

 

社民党の防衛論を点検する  「菊のイラスト」の画像検索結果

社会民主党宣言には、「国連憲章の精神、憲法の前文と9条を指針にした平和外交と非軍事・文民・民生を基本とする積極的な国際貢献で、世界の人々とともに生きる日本を目指します。(中略)

現状、明らかに違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、国境警備・災害救助・国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指します。

等とあります。

非軍事・文民・民生を基本とするとありますから、われわれ仏教徒の考えに近いと思えます。

              私の持論           「菊のイラスト」の画像検索結果         

自衛隊違憲論で、大事なことは、国が攻められるようなことになる以前から、無軍備、丸腰で、諸外国との互恵、尊敬、人道的協力、支援という、諸外国から信頼され、攻めようにも、とても攻めることが出来ないような崇高な国創りによって、国防とする国づくりを目指し、それを世界にも広げるという、絶対平和主義といわれるような考え方で、自衛隊は、軍装を解いて、内外救援隊にという論です。

そして、諸外国は、警察力は保持しても、国家としての軍隊は、国連に移管し、国連のみが、諸国の軍備を統括するけれども、それ以前に、五大国が拒否権を持つ非民主的な国連を、民主的に改正し、民主的に新生した、国連のみが、国際的な警察、裁判権を持ち、国際紛争解決にあたるというものです。

 
報正寺通信2017年10月

聖典学習会のご案内

18日() 朝 10時〜30分(おにぎり会の中) 

学習聖典・無量寿経

住職自修  参加費無用

聖典から人生・社会の諸問題を問うてみましょう。

どうぞ誘って気楽にご参加下さい  湯呑み

「死後、阿弥陀仏によって、浄土に迎えられ、仏となさしめられて、今度は、この世に還ってきて人々を救うということについて」     

さて、信じられますか?

これは、一般的な真宗の教えです。

こういう阿弥陀仏、往生浄土信仰

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というのは、無量寿経によります。

無量寿経は、作者不明ですが、およそお釈迦様が亡くなられて500年後、今から約2千年前、インドで創作されたといいます。

どういうわけで、創作されたのかは、推測するしかありません。以下、私の推測です。

本来仏教は、この世で仏になる教えです。

 仏になるとは、煩悩から解放され、

大慈悲の人格者になることです。                       

葉・草木のイラスト・デザイン-天狗のうちわ

これが仏道の基本です。

 お釈迦様が、悟りを開いて、仏になられたといいますし、その他、弟子たちも悟りを開いたといわれていますが、実際は、お釈迦様でも、生身の身を持っている限り、煩悩から完全に解放されて、完全な慈悲を実現されたということは言えないと思います。

しかし、完全な慈悲への道を歩まれたということはできると思います。

 当時、そのように、仏を目指して修行するような人はまれで、多くの人が、それどころではなく、生きて行くのに精いっぱいで、さまざまな苦悩に振り回されていたと思います。

生い立ちや、家庭の不遇、人間関係の不信、心身の不調、しょうがい、罪悪感、病苦、老苦、死苦、孤独、不安、死後の恐怖、死者との再会への憧れなどを思います。

 そこで、この苦悩の人々をいかにして救い、そして、仏道に導くかということが、経典創作者の問題であったと思います。

 そこで、経典とは、経典作者が、この苦悩の私たちを、いつでもどこでも育み、導き、命終わって、必ず、皆を最高の仏にしてくださり、そして、今度はこの世に還ってきて、いつまでも、どこまでも限りなく、この世の苦悩のみんなを導き続けさせてくださる、阿弥陀仏という仏がいてくださることを信仰できるように説かれたものと推測するのです。

そうして、みんなにこの阿弥陀仏への信仰によって、救いと癒しと安心をもたらして、仏道に導かれるようになっているものと考えます。

この阿弥陀仏のことを聞いた、苦悩の民衆は、「アー、今まで知らなかったが、こんな不遇で、不幸で、罪な、そして、老、病、死におびえ、孤独で淋しく、悲しく、空しく、不安な私のことを、すでに見抜いて、私をいつまでもどこまでも、支え、育み、導き、そして、命終われば、清らかなお浄土に、みんなを迎えて、今まで思いさえもしなかった、高大な、大慈悲の人格の仏になさしめてくださり、それで終わりではなく、今度は、この世の同じく苦悩するみんなのところに還り来たらしめて、みんなを限りなく導き続ける身にさせてくださるという高大な阿弥陀如来というみ仏がいてくださったことを初めて知らせていただいた。

あー、なんと有難いことであろう、        

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私は、生まれて初めて、安心と救いをいただくことが出来た。

今度は、今まで自我の煩悩に沈み込んで自他共に損ないあってきた生き方を改めて、命のある限り、この御仏のことをみんなに伝え、そして、この御仏の願いに促されて、成仏という、慈悲の方向に向かう、私と世の中の実現のために歩み続けさせてもらおう。」と救われてゆかれたと思います。

 ですから、上記の「死後、阿弥陀仏によって、浄土に迎えられ、仏となさしめられて、今度は、この世に還ってきて人々を救うということ」は、この阿弥陀仏信仰の教えの中身を語っているのです。

 ですから、こういう、阿弥陀仏信仰を素直にそのまま受け入れられる人はそれでいいと思います。

ですが、こういう信仰をどうしても受け入れられない人は、信仰というのではなく、この教えの中の意味する、真実というものを受け止められて、その真実の方向に向かって生きて行かれればそれでいいと思います。

阿弥陀仏とは、最も広く、最も深い、無限の大慈悲ということであり、浄土もそういう大慈悲の世界であり、そこに真実というものが象徴表現されてあります。

 浄土から、この世に還ってきて、みんなを救い導くということも、浄土は、単なる、自己の欲望満足の世界ではなく、利他の世界で、他者を救い導くという、真実の象徴表現であると受け止めることが出来ます。

 私が仏になる時が、死後ということにしてあるのは、この世で、生身を抱え、自我の煩悩から離れられない身である限り、最高の大慈悲の完成者の仏になることは不可能ですから、この自我の煩悩から解放される時、即ち、死後という表現にしてあるわけですね。

 以上から、阿弥陀仏や往生浄土の信仰を素直に頂かれる方は、そのままに、そして、そういう信仰を受容できにくい方も、そのままに、ともかく、阿弥陀仏や、浄土に表現されてある、大慈悲という真実にうなずいて、その真実に促されて、よりよい人生とよりよい社会の実現に向かって人生を歩ませていただきたいものです。

 浄土は、大慈悲の世界ですから、私たちの心の根源的な願いの世界であり、本来の願いの故郷とでもいえると思います。

ですから浄土は、心のよりどころであり、生きて行く目標であり、また命終わって帰るべき世界といえます。

そして、そこから、みんなを願い導く世界といえます。

私たちの死の事実としては、肉体は自然に帰り、行いは、社会に残り、願いの中でも個人的な願いは、有縁の人々に注がれ、心の底の人類普遍の自由、平等、博愛、平和、などの願い、仏教における、無我、慈悲、利他、布施の願いは、万人共通で、永遠であると受け止めることが出来ると思います。

そここそが、先立ったものも、残れるものも一緒の世界であるということが出来ると思います。

国の在り方を問う、衆議院選挙   「選挙のイラスト」の画像検索結果

 自民、公明、希望、維新などは、

憲法を変えて、戦争のできる国づくり路線にあります。

 それに対して、立憲民主、共産、社民、自由などは、反対しています。

仏教に限らず、愛や慈悲を目指すものは、どういう国を目指すのでしょうか。

 お釈迦様の言葉に

「すべてのものは、生命、いとしく、暴力におびえ、死をおそれる。

己が身にひきあてて、殺してはならない

殺させてはならない。 「ダンマパダ」 とあります。

 国家にも殺し、殺させてはなりません。

 どこの国も、殺し殺させる国にしてはなりません。

 自民党は、憲法九条改変と緊急事態条項を入れて、改憲し、戦争できる国にしょうとしています。

 緊急事態条項は、「国民主権でなく、総理大臣主権となり、国会の事前決議が必要なく、基本的人権が制限され、地方自治より国が優先され、

集会・結社・言論・表現の自由が制限され、内閣は衆議院の任期を延長することができる。」等と、国民すべてが首相権力に従わざるをえない状況になります。

 これでは、憲法九条を変えなくても、この緊急事態条項のみで、戒厳令のように、総理大臣主導で、戦争が出来るようになりそうです。

 憲法九条改変もですが、この緊急事態条項のほうに、より危険性を感じます。

 ナチスドイツは「全権委任法」という、この緊急事態条項のような権力独裁によって、ヒットラーによるユダヤ人等の虐殺、非道がありましたが、強い権力の政権が誕生すると、そのようなことになる懸念が払拭できません。

 憲法改悪し戦争する国にするのは、仏の道に背きます。


報正寺通信2017年9月

秋彼岸法座のご案内

23日(土)秋分の日 朝、9時半始

『仏法と人生と社会    住職自修 湯呑み

                彼岸とは              「彼岸のイラスト...」の画像検索結果                                 

 「暑さ寒さも彼岸まで」と昔から言われてきました。

彼岸には、春と秋とがあります。

 春彼岸は、冬の寒さがやわらぐ彼岸です。

 冬の寒さにとっては、春の暖かさは、文字通り、待ち望まれる彼の岸の世界です。

 秋彼岸は、夏の暑さがやわらぐ彼岸です。

 夏の暑さにとっては、秋の涼しさは、同じく文字通り、待ち望まれる彼の岸の世界です。 

 彼岸は、もともと仏教に由来します。

        仏教と彼岸            「彼岸のイラスト...」の画像検索結果

 仏教の教えは、仏を目指す教えです。

 仏を目指すとは、いつも申します、自己中心でない、無我の自己、冷酷でない慈悲の自己、利己的でない利他の自己、奪わない布施の自己の完成(成仏)を、自分だけでなく、全ての人々と共に目指すということです。

これを「自行化他」といいます。

そして、こういう自行化他の究極の境地を悟り(成仏)の世界といいます。

ですから、全ての人が、この自行化他の究極の境地を開き、そういう崇高な境地で生きること(成仏)を目指しますから、絶対平等にして、絶対平和の世界を目指すのが仏教ということが出来ます。

ですから、この崇高な悟り(成仏)の世界は、自我に固執する、戦争や差別の私たちの醜い世界からは、彼の岸、即ち「彼岸」として、あこがれの世界でもあり、逆に言うと、醜い私達の世界が待ち望まれている世界ということが出来ます。

          浄土真宗と彼岸           「彼岸のイラスト...」の画像検索結果

浄土真宗では、この悟りの世界を、場所的、象徴的に阿弥陀仏の浄土と表現されています。

浄土真宗では、彼岸とは、阿弥陀仏の浄土です。

この、彼岸である、崇高な自己の完成、即ち成仏は、この人生では絶対不可能であり、この絶対不可能な私たち全てを仏の責任において、自己完成、即ち仏にすると誓われている、阿弥陀如来に「崇高な真実」を知らしめられ、同時に、逆に、真実ならざる自らを慚愧せしめられ、慚愧と共に、おぼつかなくも、阿弥陀仏や浄土の本質である、無我、慈悲等「彼岸」の方向に促されて歩ましめられるのが浄土真宗ということになります。

       彼岸の仏事とは         「彼岸のイラスト...」の画像検索結果

ですから、彼岸の仏事とは、故人追悼の有無にかかわらず、現実の醜いこの身とこの世界を慚愧せしめられながら、崇高な悟りの世界や浄土を仰ぎ、その悟りの世界や浄土の促しにうながされて歩んで行くことを確かめさせてもらう行事といえます。

       阿弥陀仏や浄土は事実か真実か    girl_question.png

阿弥陀仏も、浄土も、実際に、誰かが見たり、行ったり来たりした事実ではありません。

匿名ですが、教典創作者「達」が、いつも申します、無我、慈悲、利他、布施といった、言うなれば「真実なることがら」を読者に受け取ってもらいたい為に、象徴表現されたものということで、「事実ではないが真実である」ということが出来ます。

 大谷光淳本願寺門主・石上智康本願寺派総長宛送付書    2017年8月16日

私は親鸞さまの月御命日に意思表示をします。

仏願に背く集団的自衛権を認める安全保障関連法への明確な反対声明を教団として早急に出して下さい。

私の思い・・・・如来の本願に立脚した、実践伝道として、先月に引き続きます。

「御同朋の社会の実現への教学考察」

 

 「原始仏教とは、一般に釈尊時代より部派に分裂するまでの仏教をさすが、この時代には、阿弥陀仏や極楽浄土の観念、あるいはその浄土に往生するという思想は存在しなかった」という、本願寺派、教学本部編『伝道』29号・仏教学者・藤田宏達氏の論述のように、現代は、三経を釈尊直説とする時代ではありませんね。

とすれば、三経、ことに大経は、釈尊滅後約500年、匿名の、個人か集団による、創作表現だということになるでしょう。

とすれば、阿弥陀仏も、実体でも実在でもない、経典創作者たちによる、仏教思想の人格的象徴表現、もしくは、釈尊の人格的永遠化というのが妥当であろうと思えます。

そして、この大経創作者たちの思想とは、法蔵菩薩の精神として象徴化された、縁起を基にした、「無我、慈悲、利他、布施」等の思想だと了解します。

現代は、この阿弥陀仏の実質としての「無我、慈悲、利他、布施」等の思想から、自己と社会を厭い、それゆえの自己と社会のよりよき解放と、創造の道を学びたいと思います。

それゆえ、宗祖に明確にあった、世をいとうしるしとしての、権力支配差別社会相対化と同朋社会実現への姿勢は当然是認できても、世間通途、真俗二諦で世俗に埋没した列祖の教学、江戸期、明治期はじめ戦時教学、ひいては、現代の同朋運動に消極的な教学は宗祖からの逸脱と思えてなりません。

 

「御同朋の社会の実現を目指す教団として、内外に表明すべき具体的な実践課題」       「平和のイラスト...」の画像検索結果 

安倍首相は、この秋にも、自民党憲法改正案を提示し、国会で発議し、来年末に任期を迎える、衆議院選挙に併せて、国民投票にかけ、東京オリン、パラリンピックの2020年には、憲法9条を改悪させるという懸念があります。

憲法九条改悪は、最大の人権侵害といわれる、戦争する国への道と懸念し、如来の大悲や、宗祖の念仏に違背するものとして、教団として、一刻も早く、内外に、反対表明されることこそが、仏祖の意に叶い、仏法の伝道責任が果たされることになると考えます。

このことは、教団の戦後責任といえ、今、声を挙げねば、また同じ、戦前と同じ轍を踏むことになり、大きな過誤を侵すことになると懸念します。

非戦平和を願う真宗門徒の会会員 

安芸教区山県太田組報正寺住職 城山大賢


報正寺通信2017年8月

盆会法座のご案内

19日(土)朝席 ・ 20日(日)朝席 朝、9時半始

初盆物故者・全戦没者追弔法要・20日(日)朝

『仏法と人生と社会』    住職自修

本郷親和会共催

「お盆のイラスト...」の画像検索結果

盆によせて          

15日は、敗戦記念日です。

以前の国、大日本帝国という、明治以来のアジア侵略国家が滅んだ日です。

戦争と平和、国家とは何かを考える盆です。

 

アジア侵略と吉田松陰

 

誰が、アジア侵略を画策したかを調べると、明治政府を作り上げた、長州、(山口)の、高杉晋作、伊藤博文、木戸孝允などを育てた、吉田松陰に行き当たります。

松陰の「幽室文稿」には、

「すきに乗じて蝦夷を墾き、朝鮮を取り、満州をくじき、支那を圧し、印度に臨み、以って進取の勢を張り、神功皇后の未だ遂げざりし所を遂げ、豊国(秀吉)の未だ果たしざりし所を果たすに如かず」とあります。

これは、「ロシアの隙に乗じて、千島、樺太に乗り込み、朝鮮をとり、満州、中国を武力制圧し、インドまで手を伸ばし、進取の気勢を張って、三韓征伐という、朝鮮侵略の、神功皇后や、豊臣秀吉の完遂できなかったことを完遂させるにこしたことはない」というのですからね。

吉田松陰への真宗僧、教団の責任 「吉田松陰」の画像検索結果

吉田松陰を倒幕に踏み切らせる考えに変えさせたのは、浄土真宗僧侶の宇都宮黙霖(広島県呉市広長浜)と僧月性(山口県柳井市大畠)といいます。

これら僧侶は、仏教本来の、「慈悲」の原則を失っていたから、武力討幕を是認し、松陰に、アジア侵略の思想を醸成させたと思われ、この真宗僧の責任、ひいては、倒幕、明治政府樹立に莫大な財政支援をし、「本願寺隊」という武力集団を組織した、教団の責任は重大です。

教団の戦争責任        「梵鐘供出」の画像検索結果

1995年4月15日、大谷光真門主の言葉

「終戦五十周年全戦没者総追悼法要」

省みますと、私たちの教団は、仏法の名において戦争を肯定し、あるいは賛美した歴史をもっております。たとえ、それが以前からの積み重ねの結果であるとしても、この事実から目をそらすことはできません。人類の罪業ともいうべき戦争は、人間の根源的な欲望である煩悩にもとづいて、集団によって起こされる暴力的衝突であります。そこでは非人間的行為が当然のこととなり、「いのち」は物として扱われ環境が破壊されます。それへの参加を念仏者の本分であると説き、門信徒を指導した過(あやま)ちを厳しく見据えたいと思います。宗祖の教えに背(そむ)き、仏法の名において戦争に積極的に協力していった過去の事実を、仏祖の御前(おんまえ)に慚愧(ざんき)せずにはおれません。

教団の戦後責任   「反戦平和のイラ...」の画像検索結果

国は、もう絶対に二度と戦争をする国にしないと、憲法九条で、いかなる戦力も交戦権も持たないと決めたはずでしたが、自衛隊を創設し、去る2015年には、違憲論多数なのに、安保関連法を強行採決しました。

大谷派は即座に「私たちは仏の教えに基づく教団として、このたびの安全保障関連法の撤廃を求めるとともに、今後も引き続き、戦争に繋がるあらゆる行為を未然に防ぐ努力を惜しみません。

そして、武力に頼るのではなく、積極的な「対話」によって「真の平和」を希求することをここに表明いたします。」と反対声明を出しましたが、本願寺派では何ら教団として、声明を出していません。

本願寺派は戦後責任を果たしているとは言えません。

マルチン・ニーメラー牧師の有名な言葉  「マルチンニーメ...」の画像検索結果

『ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になった。

けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。

それからナチは社会主義者を攻撃した。

自分の不安はやや増大した。

けれども自分は依然として社会主義者ではなかつた。

そこでやはり何もしなかつた。

それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、

そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。

さてそれからナチは教会を攻撃した。

そうして自分はまさに教会の人間であつた。

そこで自分は何事かをした。

しかしそのときにはすでに手遅れであつた。』

丸山眞男訳「現代における人間と政治」(1961年)


報正寺通信2017年7月

聖典学習会のご案内

31日() 朝 10時〜30分(おにぎり会の中) 

学習聖典・無量寿経 / 住職自修  参加費無用          

聖典から人生・社会の諸問題を問うてみましょう。 どうぞ誘って気楽にご参加下さい

前回の学習内容から 

 無量寿仏を、無量光仏・無辺光仏・無碍光仏・無対光仏・焔王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏と名づけるのである。

 お経には何が書いてあるのでしょうか

 それは、経典作者「達」が、「真実」として、究明された事柄が説かれてあるといえます。

お経を学ぶとは

 「無量寿経」に説かれた、「真実」を学ぶということですが、およそ2千年前の創作ですから、そういう時代や、歴史を考えながら、現代の私たちの考え方や感覚で「真実」を究明したいと思います。

解説            

 この無量寿仏とは、阿弥陀仏のことです。

次の無量光仏〜超日月光仏は、阿弥陀仏の別名です。

経典作者「達」は、こういう別名をつけて、阿弥陀仏の本質である、「無我」とか「慈悲」といった事柄を表現したものと考えられます。

 ですから、阿弥陀仏は、歴史上の実在、物理的な実体とは考えられません。

 先に述べましたように、自分中心でない「無我」とか、「慈悲」といった内容を、経典作者「達」が、阿弥陀仏という仏として表したということでしょう。

「無量寿仏」とは      

無量の寿命の仏、即ち限りない命をもって、いついつまでもみんなを救い導くということを表わしてあります。

「無量光仏」とは     

 

無量の光をもって、どこどこまでも、みんなを救い導くということを表してあります。

「無辺光仏」とは     

 

 「無量光仏」と同じで、辺り無く、世界中、どこどこまでも、みんなを救い導くということを表してあります。

「無碍光仏」とは     

 

 「無量光仏」と同じで、どんなに暗黒の人心や世界で有ろうと、障碍なく、世界中、どこどこまでも、みんなを救い導くということを表してあります。

「無対光仏」とは     

 

 最高の徳の仏として、相対するもの無き仏であるということを表してあります。

「焔王光仏」とは     

 

 焔の王仏として、万物と一体の智慧と慈悲の焔によって、全ての者の我執、煩悩を焼き尽くし、すべての者の冷酷な心を暖める仏と味わうことが出来ます。

「清浄光仏」とは     

 

 万物と一体の智慧と慈悲の清浄な光によって、全ての者の不浄な心を浄化する仏と味わうことが出来ます。

「歓喜光仏」とは     

 

 同じく、万物と一体の智慧と慈悲の光によって、全ての者に慚愧と、この智慧と慈悲を願って生きる、歓喜を与える仏と味わうことが出来ます。

「智慧光仏」とは     

 

 万物と一体の智慧と慈悲の光によって、全ての者の自己中心な我執の闇を破って、慚愧とともに、この一体の智慧と慈悲を願わしめる仏と味わうことが出来ます。

「不断光仏」とは     

 

 同じく、一体の智慧と慈悲の不断の光によって、いつまでも、いつまでも、絶え間なく、導き続ける仏と味わうことが出来ます。

「難思光仏」とは     

 

仏の、この万物と一体の智慧と慈悲の光とは、私ら、自己中心で我執の身には、思慮を超え、思慮し難い、崇高な光の仏と味わうことが出来ます。

「無称光仏」とは