論述
ようこそ
 
拝読(浄土真宗のみ教え)対論
日付:
2011/09/03
靖国神社問題、研修資料
日付:
2009/09/08
私の真宗理解と、同朋三者懇、1・往生と本願、2・他力と念仏者の主体、3・煩悩、4・業、宿業
日付:
2009/09/08
新・浄土真宗の教章批判
日付:
2009/09/08
煩悩論と信心による主体の確立
日付:
2006/09/14
阿弥陀仏信仰を清算した、阿弥陀仏解釈による平和運動考
日付:
2005/09/15
戦後60年雑感
日付:
2005/08/22
自己と世界の解放
日付:
2005/08/16
国立戦没者追悼施設
日付:
2005/08/16
仏教と武力行使
日付:
2005/08/16
尊き森本同行
日付:
2005/08/16
教学研究所への質問「無信心者の往生成仏論」
日付:
2005/08/16
仏教・真宗・部落問題
日付:
2005/07/19
解放の教学・反靖国の解放の教学
日付:
2005/07/19
阿弥陀仏論
日付:
2005/07/19
 
 「真宗教学の新生を願って」
 
 今年の4月11日、週刊朝日の記事(各宗教団体の安倍政権へのスタンス)に驚きました。
 13の宗教団体が、何らかの回答なり無回答を表明しています。
 浄土真宗本願寺派は、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更にも、憲法改正にも、
特定秘密保護法にも、単に一行、「宗派としての見解を表明する予定はありません」とのみ回答しています。
 さらに、安倍政権の原発政策には、原発にかかわる諸問題の根本原因には、
自らの欲望を肥大化した自己中心性や、他のいのちに対する感謝の念の喪失と言及していますが、
「現在のところ宗派としての見解を表明する予定はありません」と述べ、安倍首相の靖国参拝にも、
真宗教団連合の抗議文について言及していますが、「宗派としての見解を表明する予定はありません」
と述べています。
 ヤレヤレと思います。
 かねてから、本願寺派のこういう、没社会性の元凶は、教学にあると思っています。
 それで何より、真宗教学の新生を願っているわけです。
 私は、かねてより、宗祖以降の教学は、宗祖に有った、権力支配差別社会を厭い、同朋社会を願う姿勢を
喪失して、世間通途教学で、虚仮なる世間を容認してしまった、背宗祖教学であったと思っています。
 その教学とは、今も昔も変わらず、阿弥陀仏を実際に救済力のある、色もなく形もないといいながら、
何らかの実体として信じ、それにお任せして、安心するという、信仰を中心とするものであろうと思います。
 こういう、従来及び現在の大多数の浄土真宗教学の根拠といえば、
いわゆる、七祖、宗祖、列祖の教学ということであろうと思います。
 そしてこの七租、宗祖、列祖の教学というのは、三経は、釈尊の直説と信じ、阿弥陀仏は、
色や形を超えてなお何らかの、実在するものとして疑うべくもなく信仰するという信仰の教学
ということになると思います。
 ところが言うまでもなく「原始仏教とは、一般に釈尊時代より部派に分裂するまでの仏教をさすが、
この時代には、阿弥陀仏や極楽浄土の観念、あるいはその浄土に往生するという思想は存在しなかった」
という、本願寺派、教学本部編『伝道』29号・仏教学者・藤田宏達氏の論述のように、現代は、三経を
釈尊直説とする時代ではありません。
 とすれば、三経は、釈尊滅後、無名の、個人か集団による、創作だということになるでしょう。
 とすれば、阿弥陀仏も、実体でも実在でもないということになると思います。
 つまりは、阿弥陀仏とは、経典創作者による、仏教思想の人格的象徴表現、もしくは、
釈尊の人格的永遠化というのが妥当であると思います。
 とすれば、もはや、七祖、宗祖、列祖にある、阿弥陀仏実体信仰に基づく教学、そして
それを今も引き継いでいる、現在の信仰教学は破綻せざるをえないのではないかと思います。
 これは、宗祖といえども、七祖時代からの釈尊直説経典信奉という歴史的制約上
致し方ないものだと思います。
 以上から、私の教学根拠とするのは、七祖、宗祖ではなく、七祖、宗祖をさかのぼることはるか以前の
三経、ことに大経創作者の思想ということになります。
 そして、この大経創作者の思想とは、法蔵菩薩の精神として象徴化された、縁起を基にした、
「無我、慈悲、利他、布施」等の思想だと了解しています。
 私は、この大経創作者の思想を教学根拠にして、従来の阿弥陀仏信仰教学ではなく、
阿弥陀仏の実質としての「無我、慈悲、利他、布施」等の思想から、自己と社会を厭い、
それゆえの自己と社会の解放と創造の道を学ぼうとするものです。
 それゆえ、宗祖には明確にあった、世をいとうしるしとしての権力支配差別社会相対化と同朋社会実現への
姿勢は当然是認できても、世間通途、真俗二諦で世俗に埋没した列祖の教学は受容出来ないのです。
 ですが、阿弥陀仏を実在、実体視せず、信仰しないからといっても、阿弥陀仏を
情緒的に味わえることまでも否定するものではありません。
 真宗教学を、従来の信仰から脱皮させて、生命、および人間の尊厳と平等不可侵への人類普遍の道
とでも新生させたいものと思っています。

私にとっての部落解放運動

  

 私にとっての部落解放運動とは、私の生きようとしている方向への課題の一つであるということになると
思います。

 そして、私の生きようとしている方向ということになると、それは、端的に言えば、どうしょうもない、
恥ずかしい、醜いものをかかえながらも、なお少しでもましな人間でありたいということであろうと思っています。

ということは、最近いつも言ったり、書いたりもしていることで、目下のところの私なりの人生観、社会観の結論
のようなものですが、ごく当たり前のことでもあり、また、言うは易く、行いは難しのことなので、
恥ずかしくもありますが「優しさや思いやりの自己と社会を求めて生きてゆく」ということです。

 今まで、真実に生きるとか、人間らしく生きるとか、価値実現とか、人類の理想を求めてとか、
真実の自己実現とか、社会の解放とか、自由、平等、博愛、平和に生きるとか、
そんなことを考えていましたが、結局は、先にあげた、わかりやすく言えば、「優しさや思いやりの自己と社会を
求めて生きてゆく」ということじゃあないかと思っています。

 私は、真理とか真実というものは、実に単純明快なものでありながら、その真理や真実に生きるということは、
実に至難なものであると思っています。

 私は、浄土真宗の住職として、宗教者といわれる立場ですが、私は、それ以前に、いわゆる、真実とは何かに
こだわり続ける一、人間と思っています。

 私には、阿弥陀仏や、浄土に対する、何らかの、実体的、実在的な、一般に言う、
いわゆる信仰というものはありません。

 私は、阿弥陀仏とは、仏教のキーワードである、無我、慈悲、利他、布施といった思想概念を人格的に
象徴表現したものだと受け止めています。

 同じように、浄土も、仏教のキーワードである、この無我、慈悲、利他、布施といった思想概念を場所的に
象徴表現したものだと受け止めています。

 ですから、前述の用語で言えば、優しさや思いやりの自己の究極の人格的象徴表現が阿弥陀仏ということ
になり、優しさや思いやりの世界あるいは、そういう崇高な精神的境涯の究極の場所的象徴表現が浄土
ということになります。

 そういうわけで、私は、阿弥陀仏や浄土を、優しさや、思いやりの究極として受け止め、現実の、
思いやりや優しさに欠ける自分と社会を見つめ、慚愧と共に、この究極の優しさや思いやりの方向に向かって、
その実現に向けて、自分のできる範囲で歩んでゆこうと思っているということです。

 ですから、私の浄土真宗としての伝道というのは、先に申しましたように、阿弥陀仏を何らかの不可思議な
実体として信仰して、それにお任せして安心するというような信仰ではなく、阿弥陀仏や浄土と表現された
ものから、究極の、無我、慈悲、利他、布施といった思想概念を自覚して、慚愧と共に歩む実践道を
皆さんと共に共有するということになります。

 それをごく一般的なわかりやすい用語にすれば、前述の、
「優しさや思いやりの自己と社会を求めて生きてゆく」ということを皆さんと共に共有するということになります。

 そこで、この「優しさや思いやりの自己と社会を求めて生きてゆく」ということを考えます。

 これは、私自身、どこまで、家族や、親族初め、近隣地域、国家社会、全人類、ひいては
生きとし生けるものにまで、その悲しさや口惜しさ、つらさ、非道、理不尽さを的確に把握できているか、
そして、それに感性としてどこまで同悲同苦出来ているか、さらに、どこまで意欲的にその解決に向かって
実践出来ているかということになります。

 さらに、私は最近、ことに福島原発事故から、繰り返し思い返していることとして

物を公平に分かち合って、お互いに尊重し合い、奪わず、殺さず、差別せず、生活格差なく生きられるなら
原始生活でも結構じゃあないか。

 たとえ、便利さや豊かさを求めても、物を公平に分かち合って、お互いに尊重し合い、奪わず、殺さず、
差別せず、生活格差なく生きることと同時でなければならない」ということがあります。

 これも、目下のところの私なりの人生観、社会観の結論です。

 私にとって、このように生きようとする方向の課題の中に、部落問題始め、天皇制、死刑、原発、憲法9条等、
命や人間の尊厳を侵す課題があります。

 次に、部落解放運動の中で、実体的差別もさることながら、ことに心理的差別としての、社会意識としての差別
観念ということについて考えてみます。

 これは、社会に差別があるかぎり、みんな大なり小なりこの社会意識としての差別観念というものに
からめられているということだと思います。

 部落差別で言えば、関知している範囲で、被差別部落に出自を持たないらしい私としても、
社会意識としての差別観念にからめられており、被差別部落の人々にとっても、
この社会意識としての差別観念の裏返しとしての、社会意識としての被差別観念というものに大なり小なり
からめられているということが言えるのではないかと思います。

 でも当然乍ら、この社会意識としての差別・被差別観念というとらわれの中からの自覚的普遍主体の確立
ということこそが、部落解放運動を担おうとする、差別、被差別のどちら側であれ、私達の一番基本的な課題と
思われます。

 これは、部落問題だけでなく、在日外国人、精神しょうがい者、元ハンセン病者、エイズ患者、
性同一性しょうがい者、元前科のある人といわれる人々始め、マイノリティーの人々自らが自らを解放し、
自らを救済してゆく思想の根源的原理と思います。

 このことをいみじくも物語っている表明が

水平社宣言の

 「ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、
暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、
なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享けて
人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。
殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。

 吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。」という表明であり、

全国水平社綱領にある

「吾等は人間性の原理に覚醒し、人類最高の完成に向かって突進す」という表明であると思います。

 私はこの綱領の、人間性の原理ということは、分り易く言えば先に述べました、
「優しさや思いやり」ということであり、万人が、「優しさや思いやりの自己と社会を求めて生きてゆく」
ということを、強固に自覚的に主体化して、慚愧と共に生きて行こうとすることこそ、自覚的普遍主体の確立、
万人の救済、解放、世界の解放の原理ということであり、私にとっての部落解放運動の原理だと思っています。 

 
浄土三部経」についての講話(1
                                          

仏教の本質とは、真実と、真実ならざるものが同時に明らかになること。

真実とは、象徴的には仏。私としては、究極の「無我・慈悲・利他・布施」のこと。そこに真実があり、
それが仏として象徴的にあらわされているのだと思う。

 さて、浄土三部経。無量寿経(大無量寿経)、観無量寿経、阿弥陀経、この三つの経を浄土三部経といい、
浄土真宗の根本聖典とされる。

仏教はインドで起こった。経もインドが基である。経の作者は誰か。ひとりか。グループか。
河本さんはグループではないかと言われる。作者は不明である。もと(経の本質)は釈迦が説いていたこと。
仏教学者の藤田宏達さんも、また信楽峻麿さんも言われているが、特に藤田さんの説では、
釈迦がおられた頃、あるいは亡くなられて間なしの頃、阿弥陀や極楽往生の思想も観念も無かっただろうと。
釈迦が説かなかったものを経として作ったのではないかということだ。

 釈迦が亡くなって500年、西暦100年頃、釈迦が説いたことにして物語が作られた。
多分、そういうことだろうと思う。それが仏教学の定説だろうと推測する。

 観無量寿経でいえば、インドにその原本はない。中国で作られたのではないかという説もある。
大無量寿経でも、差別の記述部分はインドの原本にはなく、中国で作られたのではないかと思われている。
ただ、阿弥陀経は中国で作られたとは聞いていない。

 創作の意図は何か。

釈迦が説かなかったという阿弥陀の物語をなぜ大無量寿経は説いたのか。「報正寺通信12月号」
にも書いている通りだが、仏教とは悟りを求めるもの、究極の真実、境地を求めるもの。
人生の「生・老・病・死」の悩みから、いかに脱出するか、解脱するか。釈迦は自ら体得したものを説き、
多くの人々もそれを求めて出家し、あるいは出家までしなくてもそれを体得しようと求めた。人生に疑問をもち、
人間いかに生きるべきかと考えた。

 しかし、そのように自覚的に求める人は多くはない。ほとんどの人は食べることに一生懸命精一杯である。
当時のインドは身分制度も厳しく、人間外とされたアウトカーストもいた。人々は、罪を重ね、殺し殺され、奪い奪われ、
差別し差別され、人生の苦悩の中で、喘ぎつつ生きていた。それでせいいっぱいだった。
釈迦のように、人生を断ち切って(出家して)道を求める人は少ない。罪を犯したらバチがあたるのではないかとか、
死後はどうなるのかとか、死んだら先に死んだ人に会えるのかなど、現実の人生の苦しみや死後への不安などに
包まれている人たち。

その人々を導く、救う・・・それは、精神的にも癒され、不安や孤独から解放され、
仏教の目指す解脱の道、煩悩や執着から解き放たれる世界、無我・慈悲・利他・布施に目覚めていくこと。
その道にそって実践していく、そういう自覚をもった人生設計をしていく、人間関係を作っていく、
社会のありようを求める。釈迦の思想はまさにそこにある。どう煩悩から解き放たれ、
人間の尊厳・平等を求めるかということだろう。

経が作られる背景として、そのことが要請されていたのだろう。
出家者のみが救われるのではなく、救いを願うすべての衆生が救われるという阿弥陀仏信仰として
阿弥陀仏物語が作られ、釈迦が語ったものとして伝わってきたのだろう。それに併せて、太陽信仰、
生天思想などが混ざり合って、阿弥陀仏信仰が生まれたと考えられている。

信楽先生がいつも言われることだが、釈迦の死後、出家者ではなく仏教に学ぶ一般の人たちが
釈迦のお骨を分骨し、仏塔を建てた。そして釈迦を偲んだ。その教えは尊いと、永遠化、
超人化されていった。そこで釈迦の教えの尊さを、無限という意味のアミダ、無量寿として表現した。
現実には釈迦は
80歳で亡くなったが、その教えは永遠である。教え、願いは世界中に広がっていった。
無我・慈悲・利他・布施の教えとして。普遍的なもの、どこにも通ずる価値、無量光(無限の空間世界)、
無量寿(無限の時間)・・・時空を超えた永遠の真実として人格的に象徴化され、阿弥陀仏と表現された。

釈迦が亡くなられたとき、その分骨された墓の周りに池を作り、飾った。そこが、やがて悟りの場の
象徴表現となった。清浄無垢な世界、極楽として。

経の創作の意図は、そこらにあるだろう。

悟りの世界とは、自他を超えた思想・価値観・道・哲学・倫理などを永遠化、象徴化したものと考えられる。
それへの信仰は多くの人々への癒しであり、導きでもある。生天思想や太陽信仰ともあわさって、
経典に結びついた。一般民衆は経を聴き、読み、信仰ができあがっていった。

「私はこんな不可思議なことをこれまで知らなんだ。孤独、不安や罪への恐怖。この罪深い私を、
目には見えないが、はぐくみ、守ってくださっている。生まれる前から、絶えることなく。
父母が亡くなった今も阿弥陀仏が私を照らしてくださっている。片時も離れず。命が終わった時には、
阿弥陀仏が極楽浄土へ迎えてくださる。仏だけでなく、先だって救われた方々が、浄土の悟りの世界から、
今この私のところまで来て導いていてくださる。なんと有難い、不思議なことであろうか。阿弥陀仏に
空気のように包まれている。大いなるもの、絶対的なものとしての阿弥陀仏がいてくださる。
私に死が訪れても、浄土に迎えられ、仏になるのだ。有難いことである。極楽へ行ってそれで終わりではない。
先立った人に会いまみえ、またこの世に残っている身近な人や多くの人に、絶望の中にいる人たちに、
導きをすることができるのだ。極楽へ行くのは、この世にかえってみんなを導くためなのだ。有難く、
不可思議なことである。自分を大きく包んでくださる阿弥陀仏を感じる信仰。その阿弥陀仏の大慈悲のもとは、
私のかかえている煩悩なのだ。それを御仏が見抜かれて、あなたを必ず救うと言ってくださる。
その阿弥陀仏の大悲へのかたじけなさに、慙愧が生じ、やがてその慙愧と共に自分自身の中にあるエゴ、
醜いもの、それからわずかばかりでも解き放たれていく。そして、よし、その道を歩もう。自分を損ない、
人を損ないしてきた人生を改めて、そういう方向へまっしぐらに行けるか。いや、行けなくて失敗したとしても、
どんなことがあってもはぐくんでくださる御仏に包まれているのだ。この無底、無限、包容、大悲の御仏の
阿弥陀仏に帰依しようではないか」。

このように、民衆は阿弥陀仏信仰に安住していったのであろうと推察する。

人間の、苦悩、悲しみ、絶望、不安があるとき、そこから信仰によって癒されることによって、まことの道へ、
自己の解放へ、社会の解放へ導かれていく。そういう願いと意図をもって、
無量寿経は作られたものと推測する。

無量寿経の大意はどうか。

解説にも記述されているように、「阿弥陀仏のいわれを信ずる。念仏を称える。往生をとげる」ということが
基本だと思う。

観無量寿経も同じ。人間を9通りに分けて説かれているが、そのうち最も下位である「下品下生」であっても
、仏の教えを聞き念仏を称えれば救われるとされる。極悪最下のものも救われる。

阿弥陀経では、十方の諸仏が証明している。阿弥陀のいわれを信仰し、浄土往生をとげること。
三部経は、阿弥陀仏信仰と、念仏して浄土へということだ。

無量寿経のポイントは何か。

阿弥陀仏物語の部分で、釈迦が阿難にこう語った。「はるかな昔、錠光という名の仏が出て、
人々を教え導き、そのすべてにさとりを得させた」と。この世がエゴにまみれ、収奪に明け暮れる闇
であったとき、それを開くために「錠光」(燃灯仏)という名の仏が数限りない人々を教え導いた。
苦悩から解放される道、成仏道、仏になる道、自我のしがらみに束縛されている自分から解放されて
無我に至る道、これが仏への道である。欲望、快楽、財産、名誉、地位、それらの欲求を満足させるのでなく、
自己を解放する、水平社綱領にいう「人間性の原理に覚醒し、人類最高の完成に向かって突進す」ということ、
人間も獣ではあるが人間性の真実を求めていこうとすること。人を導くために、錠光がまずすべての人に
悟りを、解放、解脱の道を得させた。次に光遠という名の仏。永遠の光という名に象徴されている仏である。
そして、月光、栴檀香、善山王・・・とそれぞれ意味をもった
53の仏が続く。

54番目に世自在王が出られる。阿弥陀仏の師である。世自在王は、シバ神の別名ともいわれる。
ヒンズー教とのつながりがあるようだ。世自在王は、如来、応供など、十号の呼び方があった。

  ひとりの国王が世自在王の説法をきいて深く喜び、国も王の地位も捨て、出家して法蔵と名乗った。
法蔵は後の阿弥陀仏である。無量寿経は、法蔵菩薩の四十八の誓願へと展開するが、
今日の話はここまでとしたい。


「浄土三部経」についての講話(2)

仏教の思想は解放の思想につながる。阿弥陀仏は最も解放された人格を象徴し、浄土は
最も解放された世界を象徴していると受け止められる。その解放された人格、世界を、阿弥陀仏物語として
無量寿経に表現した。その思想や考え方から学び取ることが大事である。

 前回は、世自在王が現れる前の数々の仏のところまで話を進めた。今回はその続きとして、
世自在王のところから話を始める。

 「そのときひとりの国王がいた」・・・「国王」とは、権力の象徴である。財力の象徴、暴力の象徴でもある。
その時代のトップである存在。その国王が世自在王の説法を聞いて深く喜び、さとりを求める心を起こした。
「世自在王」とは、世において自在である、いろんなものに全く拘束されない、権力にも財力にも暴力にも
左右されない主体性をもつ存在である。そういう仏の説法をきいた。

仏の説法とは何か。その本質、キーワードは究極の「無我・慈悲・利他・布施」であろう。無我とは、
自己中心でないということ。自分のことより他の人のことを考えること。それによって、
次の「慈悲」につながる。慈悲とは、慈しみ、悲しみのこと。それは「利他」を生む。
利他とは他者を助けることであり、「布施」の心につながっている。それらは個々にあるのでなく、
相つながったものとしてある。それは人間性といわれるもの、人間性の原理、本質につながるものである。
仏の説法は、それを語った。象徴的な物語として。

 それに対して、「国王」とは。まさしく無我の反対、対極にあるもの。エゴそのもの。権力、地位、財産を
守り拡大するため、他国を侵略し、人を殺し、奪い、頂点に立とうとする。真反対にある。
人間性の原理ではなく、動物性・獣性の原理、弱肉強食の原理に立つ。「報正寺通信1月号」にも書いたが、
「この世はしょせん闘争よ。負けて何になる。勝ってなんぼよ」の世界。慈悲の反対、冷酷無残。
利他どころか利己そのもの。日本のかつての侵略戦争の時代の思想、吉田松陰も木戸孝允も西郷隆盛
もそうだったろう。江華島事件を機に日本が朝鮮に進出し、火を放ち、武器を略奪した、
そういうものが国王の世界だ。真実の世界とそうでない世界とを対比し、象徴的に表現している。

 仏の説法を聞いて、国王は反発したのではなく、うなずき喜んだ。普通なら世界が違うと怒り、
世自在王を殺しただろう。しかしそうではなかった。国王の物の見方が変わった。
曹洞宗町田宗夫さんが世界宗教者平和会議で「部落差別はない」と差別発言をして糾弾を受け、
大きく反省をし、人間変革をしたと聞いているが、そのように見方が変わった。それを「喜び」と表現している。

 それは、私たちの中で、どうであろうか。戦争を肯定していたものが、反対の話を聞いて平和にめざめ、
喜ぶ。そういう人が周りにどれほどいるだろうか。

 人間変革ということ。自覚を求める心を起こした、さとりを求める心が生まれた、そして王位を去った。
自らを解放したのだ。自分を縛っていた国から自らを解き放って、全世界の立場に立った。出家ということだ。
求めるものが変わった。自己実現を求める人になり、法蔵と名乗って修行者となった。権力にはもどらない。
その決意は固く、一筋に真実なるものを、自己においても世界においても完成させようと求めた。

 次に法蔵菩薩は世自在王の徳をほめたたえた。讃仏偈といわれるものであるが、ここではふれる
時間がないので次へ進み、法蔵菩薩の四十八願について話をする。

 四十八願とは、法蔵が修行して阿弥陀仏になるというとき、自分はどういう人格、社会を形成するか
ということを、48通りに表現したものだ。そのいくつかについてふれよう。

(1)は、「地獄・餓鬼・畜生のものがいるようなら、私は仏にならない」という。経典作者がこう著した
ということは、インド社会に地獄・餓鬼・畜生と表現するほかはない過酷な現実があったということだ。
これが解放されなければと思ったのだ。地獄とは、人間として最低最悪の世界、
そこには痛め痛めつけられる鬼と罪人、責めるもの責められるもののみ、鬼と亡者しかない。
真実を求めて向上していこうとすることすらない。地獄、言い換えて戦争と言ってもよい。餓鬼、
それは餓えであり飢餓である。畜生、それは怖れであり差別である。自分が最も可愛く、他といつも争い、
他を尊重することはない。・・・戦争と、飢餓と、差別。(1)においてこれを取り上げた意味を、
考えさせてもらうことができる。「地獄」といえば特別な世界を昔の人は考えただろうが、今は社会の中に
それを見届けること、社会の中でそれを把握することが必要だ。最も最初にこのことが挙げられていること、
現実の人間の苦悩、社会の苦悩の問題が、救いの対象として挙げられていることに
注目しなければならない。それは(2)でも繰り返されている。

(3)では「人々がすべて金色に輝く身となる」ことを挙げている。「皆をすべて輝かせる」というのだ。
ある人は暗い隅に追いやられるとかのことはない。それぞ
れが違っていても、皆を輝かせたいと言っている。

 (4)では「人々の姿かたちがまちまちで、美醜があるようなら」さとりをひらかないと言っている。
これは皆が同じで差がないことを求めているようであるが、今の時代から言うならば、違いがあっても違いが
尊重され、美しいとか才能があるとかスタイルがいいとかでもてはやされたり排除されたりすることはない、
それによって劣等感をもったりいがみあったりすることがない社会にするということだろう。
「皆同じ顔・かたち」になる・・・ともとれるが、それはどうだろうか。「たとえ、色や形が違っていても
みな大事にされ、障害があっても尊ばれる。違うままに尊重される」ということでなければならないだろう。
経典作者の限界といえるかもしれない。

 時間的にすべてにふれることができないので(35)の女性差別のところへとぶ。

 (35)では、「女性が、・・・命を終えて後に再び女性の身になるようなら」さとりをひらかないと言う。
これこそ、経典作者の限界であろう。「再び女性にはしない」と女性を否定する。女性は汚れたものという
当時の社会の差別観念がそのようにさせたのだろう。本当ならば、女性は汚れたものという偏見から
解き放たれ、堂々と偏見を打ち破り、男女ともに解放される視点でなければならなかった。
そういう世界にならなければ仏にならないというべきであろう。このような誤った内容に基づいて、
「浄土へ参ったら女性はいない」という論が出てきた。次にふれる(41)と同じく差別そのものの考え方である。

(41)は、「その身に不自由なところがあるようなら」さとりをひらかないと言う。
だから「浄土には障害者はいない」という論者が出る。善意でとらえるならばいろんなハンディがないように
ということかもしれないが、本来ならば、どのような障害があろうと志を起こして精進すれば仏になれると
言うべきだ。この(35)(41)を額面通りに受け取った僧は「極楽には女性も障害者もいない」と説き、
マイナスイメージをふりまいた。

 (43)には、「人々に尊ばれる家に生まれることができる」とある。これも問題である。
「尊ばれる家」の反対は「蔑まれる家」であろう。当時のインド社会の身分制度でいえば、
奴隷制度やアウトカーストとされる

旃陀羅の家もあった。それをそのまま認めたうえで「尊い家にうまれるように」と読める。ここでもインド社会の
差別意識をそのまま受容している。善意に解釈すれば、たとえ旃陀羅の家でも王の家でも譲り合い分かち合う
心を大事にし家族みんなが尊重し合う家が尊ばれる家であり、王の家でも争いが絶えない家は尊ばれる家
ではないということか。このとらえにも無理があるだろう。差別観念に基づくものとして問題を残している。

 質問に答えて、(18)の願についてふれたい。浄土真宗にとって、この第十八の願は根本の願であり、
王本願と呼ばれるものである。

「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生まれたいと願い、わずか十回でも
念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を
犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます」。

 「すべての人々」・・・十方衆生、そこに意味がある。たとえ宗教が違っても、民族が違っても、その
人たちが、私の世界である浄土がすばらしいと、なんと尊い仏かと、心から信じ、納得して、ここに最高の
人格・世界があると、ここにこそ帰依する、求める世界があると思い、ここに生まれたいと、いじめも差別も
ないこの世界に生まれたいと腹の底から願い、
1回でも10回でも、阿弥陀仏よと心に思い、
南無阿弥陀仏と念ずる。目覚め、自覚が生じた人、人格主体が確立した人、そういう人が私の国に生まれ
損ねるようだったら、私は仏にならない。私の世界を仰ぎ尊ぶすべての人を浄土へ生まれさせる。
私が仏になるということはそういうことだ。すべての人を、最高の自己完成に、世界に導いていく。

 ただ、皆をそのようにしたいが、現実にはそうはいかない。自覚する道を失い、父母や覚った僧を殺す、
仏身を出血させる、和合を破る、五逆罪や教団や仏教を謗るなどの罪を犯した人は救わないという。
経典作者はその生き方を、まことの道ではないと戒めているには違いないが、仏の深い慈悲からすれば、
仏教にまなこを開くことのない人、煩悩にとらわれ、人を羨み、敵意を持つ者。私も、本願寺に対して、悲嘆、
慈悲の発想ではなく、つい悪口を言ったりすることがある。それは五逆罪の一つ、和合を破る、仏教教団の
秩序破壊の方向と言える。家族の中でも、親を謗ったりする。五逆である。そういう煩悩に翻弄されている。
しかし、そういうあなたを見捨てることはない、そういうあなたにこそ、仏の涙は注がれているのだ。

唯除という排斥の表現の中に、仏は大きく涙を流しながら、決して捨て去ることはない。仏の国に迎え、
仏にさせる。そういう深い慈悲がある限り、唯除五逆とは人間へのブレーキであると言える。
母が、「あんたは、もう知らん」と子を叱る。しかし、本来は無限の愛情で子を包んでいる。
阿弥陀仏も、慈しみ、悲しみの中で私たちすべてを包んでいるという慈悲の表現なのだ。

「浄土三部経」についての講話(3)

            今回は、「浄土三部経」の、問題と思われるところについて何点か述べたい。

 まず、法蔵菩薩の修行について。〔九〕の後半に、「法蔵菩薩は、はかり知れない長い年月の間功徳を
積み重ね、その間、あるときは富豪となり、在家信者となり、バラモンとなり大臣となり、国王や転輪聖王
となり、六欲天や梵天の王となり・・・」とある。法蔵菩薩は、金持ちになったり一般庶民になったりしながら、
仏の道を求めたというのだ。また古代インドの四姓制度の最上位身分であるバラモンとして、
祭祀を行うつとめをしたりしたという。バラモンは白人系のアーリア人種であり、インド先住民を支配して、
バラモンを頂点とする身分制度社会を形成した。そういうバラモンにもなり、大臣にもなった。富豪、バラモン、
大臣・・・みな上流でありエリートである。さらには国王、これは最高権力者であり支配階級である。
転輪聖王は「正法によって全世界を統治するといわれる王者」と註釈にあるように、仏教以前からインドの
王者である。「六欲天や梵天の王」もそうであり、それらはインドにおいては宇宙を支配する神である。
これらから、法蔵菩薩が阿弥陀仏になるまでの修行は、常に「上層のもの」に生まれ変わって
なされていることがよみとれる。それが修行にとって意味があり効果があると、経典作者たちが
考えたからだろう。

しかし本当の意味の修行とは何か。支配者や権力者の側ばかりに生まれ変わっていたら、本当の修行は
できまい。虐げられた側、障害がある者、ハンディがある人、その苦悩の場へ身をおいてこそ、
本当の修行になるのではないか。苦悩の中で自らを陶冶し、最高の人間・人格を求めるべきではないか。
それなら分かる。しかしそうでないところに、経典を作った人たちの思想に問題があると思わざるを得ない。

 次に、〔二七〕の後段、「まるで生まれながらに目の見えない人が、人を導こうとするようなもの」
という部分について。「仏以下のものが仏の心を推察することはとてもできはしない」ということを言おうとして、
「目の見えない人」をたとえにし、貶めているのだ。「目が見えない」というハンディに対して何の配慮もない。
もっと別なたとえをすべきであろう。「幼児が大人を導けないように」とか。目が見えないことの悲しみやつらさ
を考えようともしていない表現である。

同様の問題が、この前の同朋三者懇話会でも話し合われた。部落解放同盟広島県連から資料が出され、
「重誓偈」の中に「滅此昏盲闇=仏は暗闇を滅する」という言葉があり、そこにも「盲」という字が使われ、
目の不自由なことを負のたとえに使った表現であると指摘された。

 親鸞の和讃にもそれはある。「世の盲冥を照らすなり」と。「盲」という字が平然と使用され、障害者のことを
考えていない、その辛さ・苦悩を思いもしない表現となっている。親鸞にしてそうであるという限界を思わない
訳にはいかない。「めしいる」ということ、目の不自由な人、盲人は現実におられる。そのことを表わす言葉
として使用することには問題はないと思うが、「わからない」ということのたとえに「盲」という字を使うことは
明らかに誤りだと思う。

 続いて、「悪しき業論」と呼ばれる内容について述べる。

 〔一八〕で、釈尊が阿難に語りかける。「世の中の貧しい乞人を王のそばに並べるとしたら、
くらべものになるだろうか」。阿難は答えて次のように述べる。「いいえ、そのものを王のそばに並べた
ときには、その弱々しく醜いことはまったく話にならないほどで・・・そのわけは貧しい乞人は最低の暮らしをし
・・・ほとんど人間らしい生活をしていない。すべては、過去の世に功徳を積まなかったからです」と。
つまり、過去に悪いことをした罪で、死んだ後には地獄・餓鬼・畜生などの悪い世界に生まれて長い間
苦しみ、やっと人間世界に生まれても身分が低く最低の生活を営む・・・前世の業がもとで、現世の業と
なるというのである。この部分はインドの原本にはない。中国で加筆されたものと思われる。インドの原本
にないという点はよいと思うが、

いずれにせよ中国で挿入され日本に伝わって、これを読んだ封建時代の人々は、「被差別身分におかれた
人たちは自業自得である。あきらめよ」ととらえただろう。「そのために地獄へ落ち、やっと人間になっても
低い身分におかれるのだ」と断定しただろう。

 このような内容のどこに仏教的なものがあるだろうか。人間として大切なものを目覚めさせる真実が
あるだろうか。「前世の因果が現世に報いとなってあらわれる」という「悪しき業論」を決定的に示していると
言わなければならない。

 〔三一〕からの内容もインドの原本にはない部分である。同朋三者懇でともに研究している備後の学者が
調べた結果でも、原本にはないことを確認している。

特に問題なのは、〔三五〕から〔三九〕までにわたる、いわゆる「五悪段」と呼ばれる内容である。
それは次のような記述から始まっている。「第一の悪とは・・・五逆十悪の罪を犯して道にはずれている
ものは、後にその罰として自ずから悪い世界へ行かなければならない。・・・それでこの世には、
貧しいものや、身分の低いものや、心身の不自由なものや、才知の劣ったものなど様々な不幸な人がいる
のである。また、身分の高いものや、裕福なものや、才知のすぐれたものなどがいるのは、みな過去世で
人を慈しみ、親に孝行を尽すというような善い行いをして徳を積んだことによるのである」。

前世の業によって現世の幸不幸が決まるという論理である。それは明らかにおかしい。敢えていえば、
「今たとえこの世で身分が低くても善行に励み徳を積めば未来はよくなる、逆に今いくら王様だといばって
いても人を苦しめていれば今度は真反対にひどい目にあう」と解釈できなくもないが、この解釈にもかなり
無理がある。貧しく身分の低いものはダメ、身分高く裕福なものがよいと決めつけて価値を固定する見方に
もなるだろう。意味をくみ取るとすれば、「本能や欲望によって他者を蔑めば、未来に決していいことはない」
ということだろうか。それでもやはり「前世の個人の業が個人の現世を規定する」という教えであることには
違いなく、無量寿経の最大の問題だといえる。

 このあたりで、次の「観無量寿経」の、いわゆる「旃陀羅問題」について述べたい。

 釈迦が存命の頃の話である。「王舎城という城に阿闍世という王子がいて、父を恨み、牢に閉じ込め
飢え死にさせようとした。それを助けようとした母を怒って、阿闍世は母をも殺そうとした。そのとき、
聡明な大臣月光が同僚の耆婆とともに阿闍世王に申し上げた。『王位を望んで父を殺したものは
一万八千人もいるが、母を殺したものは一度も聞いたことがない。
王が母を殺すなら、王族の家柄を汚すもの。このようなことは旃陀羅のすることです』と」。

 古代インドの四姓制度は、バラモン(司祭階級)、クシャトリア(戦士・王族階級)、ヴァイシャ(庶民階級)、
シュードラ(奴隷階級)で成り立っている。さらにそこに属さない「アウト・カースト」、または
「不可触賤民(アンタッチャブル)」ともいわれる、人間扱いされない身分の人々がいる。
歴史的にいえばアーリア人によって侵略されたトラヴィタ人などの原住民がその主なものである。
釈迦自身、アーリア人として侵略者の末裔といえる。釈迦は、四姓平等の教えは説いた。
しかしアウト・カーストであるチャンダーラ(旃陀羅)を含めた五姓平等を説いたかどうか。
チャンダーラにこそ、大きな悲しみをもち、解放の目を向けるべきではなかったのか。
釈迦が積極的にチャンダーラを導いたことが経典にあるかどうか、不明にして私はよく知らない。
後述するが、一部にそれに近いものがあるにはある。無視はしていない。しかし積極的とまでいえるかどうか。

 話は戻って「母を殺すようなことは、旃陀羅のすること」と言われた阿闍世王。王は驚き、恐れ、
そしてつい
には剣を捨て、母を殺害することを思いとどまった。「母を殺す・・・そんな極悪非道な行いは
賤民身分のすることだ」という言語道断な決めつけ。それが阿闍世王に強烈なショックをあたえたのだ。

この観無量寿経を受けて、封建時代、学者が「旃陀羅は、日本でいえばエタ・非人のたぐい」と書き、
寺では説教でそのように語ってきた。これは大変な問題である。仏教が部落差別を残すことに
加担したといえる。水平社の井元麟之さんがそのことに対して何度も声を上げてきた。しかし今もなお
整理されていない。
同朋三者
懇でも取り上げてきた。三者懇では「経典を絶対視してはならない」という見解に至っている。

親鸞は、この部分について歌にしている。「耆婆・月光ねんごろに 是旃陀羅とはぢしめて 
不宜住此と奏してぞ 闍王の逆心いさめける」(浄土和讃・観経讃)。この中でも「旃陀羅は極悪非道なもの」
と決めつけられている。親鸞には、これは間違いだとはっきりと指摘してほしかった。それが見えていたなら、
「是旃陀羅」ではなく他の表現にしただろう。

先に述べた、釈迦は五姓平等を説いたかどうかという問題。釈迦は、旃陀羅に積極的伝道をあまりした
形跡がない。四姓平等は説いたが、五姓平等は説いていないと思う。ただ摩登伽経という経の中に、
次のような話がある。釈迦の弟子の阿難が、旃陀羅身分の女性と恋仲になり、様々ないきさつがある中で
阿難が身の危険を感じるようになり、それを釈迦が神通力で助け、旃陀羅身分の女性を尼僧にし、
仏弟子にしていく。旃陀羅であるということで無視するのではなく、仏弟子にするということで、
積極的ではないかもしれないが釈迦の平等観はうかがえるようだ。

月光も耆婆も、釈迦の教えを聞き、その信奉者であった。釈迦から平等観を学んでいるはずなのに、
「旃陀羅発言」をしている。釈迦の教えが浸透していないということだろう。釈迦が亡くなって
500年以後、
観無量寿経は中国で作られたらしいと言われているが、涅槃経には阿闍世のことも出てくるので、
インドにあった話には違いない。「旃陀羅差別」が見えていたなら経典に残すことはあってはならず、
結局のところ経典作者の不明であり、差別・偏見を煽ることに加担した
内容となっていると言わなければならない。



「死後、阿弥陀仏によって、浄土に迎えられ、仏となさしめられて、今度は、この世に還ってきて人々を救うということについて」
 
 201668

  

これは、一般的な真宗の教えです。

こういう阿弥陀仏、往生浄土信仰というのは、無量寿経によります。

無量寿経は、作者不明ですが、およそお釈迦様が亡くなられて500年後、今から約2000年前、インドで創作されたといいます。

どういうわけで、創作されたのかは、推測するしかありません。

以下、私の推測です。

本来仏教は、この世で仏になる教えです。

 仏になるとは、煩悩から解放され、大慈悲の人格者になることです。

これが仏道の基本です。

 お釈迦様が、悟りを開いて、仏になられたといいますし、その他、弟子たちも悟りを開いたといわれていますが、実際は、お釈迦様でも、生身の身を持っている限り、煩悩から完全に解放されて、完全な慈悲を実現されたということは言えないと思います。

しかし、完全な慈悲への道を歩まれたということはできると思います。

 当時、そのように、仏を目指して修行するような人はまれで、多くの人が、それどころではなく、生きて行くのに精いっぱいで、さまざまな苦悩に振り回されていたと思います。

生い立ちや、家庭の不遇、人間関係の不信、心身の不調、しょうがい、罪悪感、病苦、老苦、死苦、孤独、不安、死後の恐怖、死者との再会への憧れなどを思います。

 そこで、この苦悩の人々をいかにして救い、そして、仏になる道に導くかということが、経典創作者の問題であったと思います。

 そこで、経典作者は、この苦悩の私たちを、いつでもどこでも育み、導き、命終わって、必ず、皆を最高の仏にしてくださり、そして、今度はこの世に還ってきて、いつまでも、どこまでも限りなく、この世の苦悩のみんなを導き続けさせてくださる、阿弥陀仏という仏がいてくださることを信仰できるように説かれたものと推測するのです。

そうして、みんなにこの阿弥陀仏への信仰によって、救いと癒しと安心をもたらして、仏道に導かれるようになっているものと考えます。

この阿弥陀仏のことを聞いた、苦悩の民衆は、「アー、今まで知らなかったが、こんな不遇で、不幸で、罪な、そして、老、病、死におびえ、孤独で淋しく、悲しく、空しく、不安な私のことを、すでに見抜いて、私をいつまでもどこまでも、支え、育み、導き、そして、命終われば、清らかなお浄土に、みんなを迎えて、今まで思いさえもしなかった、高大な、大慈悲の人格の仏になさしめてくださり、それで終わりではなく、今度は、この世の同じく苦悩するみんなのところに還り来たらしめて、みんなを限りなく導き続ける身にさせてくださるという高大な阿弥陀如来というみ仏がいてくださったことを初めて知らせていただいた。

あー、なんと有難いことであろう、私は、生まれて初めて、安心と救いをいただくことが出来た。

 

今度は、今まで自我の煩悩に沈み込んで自他共に損ないあってきた生き方を改めて、命のある限り、この御仏のことをみんなに伝え、そして、この御仏の願いに促されて、成仏という、慈悲の方向に向かう、私と世の中の実現のために歩み続けさせてもらおう。」と救われてゆかれたと思います。

 ですから、上記の「死後、阿弥陀仏によって、浄土に迎えられ、仏となさしめられて、今度は、この世に還ってきて人々を救うということ」は、この阿弥陀仏信仰の教えの中身を語っているのです。

 ですから、こういう、阿弥陀仏信仰を素直にそのまま受け入れられる人はそれでいいと思います。

ですが、こういう信仰をどうしても受け入れられない人は、信仰というのではなく、この教えの中の意味する、真実というものを受け止められて、その真実の方向に向かって生きて行かれればそれでいいと思います。

阿弥陀仏とは、最も広く、最も深い、無限の大慈悲ということであり、浄土もそういう大慈悲の世界であり、そこに真実というものが表現されてあります。

 浄土から、この世に還ってきて、みんなを救い導くということも、浄土は、単なる、自己の欲望満足の世界ではなく、利他という、他者を救い導く真実の世界であると受け止めることが出来ます。

 私が仏になる時が、死後ということにしてあるのは、この世で、生身を抱え、自我の煩悩から離れられない身である限り、最高の大慈悲の完成者の仏になることは不可能ですから、この自我の煩悩から解放される時、即ち、死後ということにしてあるわけですね。

 以上から、阿弥陀仏や往生浄土の信仰を素直に頂かれる方は、そのままに、そして、そういう信仰を受容できにくい方は、そのままに、ともかく、阿弥陀仏や、浄土に表現されてある、大慈悲という真実にうなずいて、その真実に促されて、よりよい人生とよりよい社会の実現に向かって人生を歩ませていただきたいものです。

 浄土は、大慈悲の世界ですから、私たちの心の根源的な願いの世界であり、本来の願いの故郷とでもいえると思います。

ですから浄土は、心のよりどころであり、生きて行く目標であり、また命終わって帰るべき世界といえます。

そして、そこから、みんなを願い導く世界といえます。

私たちの死の事実としては、肉体は自然に帰り、行いは、社会に残り、願いの中でも個人的な願いは、有縁の人々に注がれ、心の底の人類普遍の自由、平等、博愛、平和、などの願い、仏教における、無我、慈悲、利他、布施の願いは、万人共通で、永遠であると受け止めることが出来ると思います。

そここそが、先立ったものも、残れるものも一緒の世界であるということが出来ると思います。
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