私のノイローゼ体験ー書痙、手の震えに悩むー
ノイローゼ発症の経過
私はひどいコンプレックスに悩まされた。その体験をここに告白することにしたい。
それは大学を卒業して就職試験を受ける時になって初めて自覚し、始まった。おそらく私のうちには潜在的に存在していたのである。それが就職試験の時にはじめて現れたのである。某新聞社を受験するために試験場に出かけたのであるが、いかついビルに入って整然とした試験場や多くの受験者の中で、私は丸で石のようになっていた。なにもかも錆びついた機械のように固着し、顔の筋肉がひきつるのを自覚した。自分自身がどうにもならない付随意筋に変わって、縄打たれたように感じた。それは特に書字という不得意な行為において増幅され、平常心を喪失してしまうのが常であった。そのような状態では就職試験は成り立つはずはなかった。私は幸いにもある人に推薦されて、私のうちにダイナマイトを抱えたままで、就職でき、何とかごまかしながら引き延ばし引き延ばしして生きてきたのである。しかしごまかしは何時かばれるに違いない。わたしは戦々恐々としながら逃げ回っていた。
大学を卒業して就職するとそれは次第に自覚症状となって現れた。そして定年真近まで30年以上にわたって悩まされ続け、恐らくこの恐怖は生涯にわたるであろう。それは私にとっては疫病神の悪夢であったし、有り続けるだろう。それは日常生活の大部分で、意識の上にのぼらないこともあった。したがって日常生活で支障を生ずることは少なかったが、それが起るべき状況に置かれると、突如としてやってくるのである。おそらくこれを読む読者は大笑いするかもしれない。下らぬことと私をさげすむかもしれない。人間の悩みはこれまた本人にしかわからない苦しみだといえる。私は七転八倒して悩みに悩んだのである。そしてついにノイローゼになってしまった。
それは「書痙(しょけい)」と称されるものらしい。いまにも首を切られそうな呼称である。
それはずっと後になって知ったことであるが、物の本によると「書痙(しょけい)」と称するものである。広辞苑によればその定義は「心身症の一。字を書こうとすると、疼痛あるいは痙攣(けいれん)を伴い、書く事が困難になる。速記者・代書人・文筆家などに見られる」とある。つまりは手がぶるぶる震えて字がかけなくなる症状である。私は事務系の仕事柄もあって、これにほとほと困惑したのである。これはなんとかしなければならないと、必死で直そうと筆記練習を重ね、ペンの持ち方や姿勢を変えたが、ますますおかしくなってくるのである。私はペンの持ち方を手が震えぬように指を重ね、がちがちに力をこめては文字を書いた。時によるとそのペンの握り具合がうまくいったのか震えずにかけることがあり、そのときは胸の霧が晴れてくるような喜びを感じた。しかしそれは自分ひとりでひそかに文字を書いているときはうまくいっても、他人の見ている前ではまったく功を奏さなかった。そのためたちまちまた胸は暗くなり、希望の光は消えてしまった。他人の目の恐怖とでもいえばいいのか、対他的な自己存在の恐怖というべきか、巨大な縄縛が降ってくるのである。パニック恐怖のように、心は慌てに慌て、指先の震えは、書字の震えとなって伝わり、それを見た脳は動転し、冷や汗が背筋に流れ、恥の感覚がどっと押し寄せ、いたたまれなくなって、よろよろと他人の顔を見るのも恐ろしく、己を一目散に隠すために、逃げ出すのである。
葬式や結婚式、さまざまな会合で署名の機会はまわってくる。そのとき私は生きた心地がしなかった(書痙に加えて、対人恐怖症、パニック症候群が襲ってきた、それに私には閉じこもり癖もあった)。住所氏名の記録用紙が回されて自分の席にくるまでまるで死刑囚にでもなったように固まっていた。ときによるとそれが回ってこない位置に自己をそっと逃がしてやるのである。全くこっけいなことで、おそらく他人が見たらいいお笑い種であり、漫才だったであろう。受付の前で憔悴しきって、ふるえながら署名して、文字にならぬぶるぶる文字を書いて、逃げるようにそこから逃げ出すまで数十秒の苦しみははかりしれないものがあった。私は必死になって書字練習をした。ペン字や習字の練習帳を買い込み、文字を書きまくったのである。しかしそれによって症状を治すことはできなかった。私は泣かんばかりにあせりを感じて生きてゆくしかなかった。くるひもくるひも不安にふるえていた。
さまざまな不義理、非礼、傲岸不遜を重ねてきた。
葬式に出るのが苦しくて、義理を欠いてしまう事も何度もあった。普通の人々がなんとも思わぬことも苦痛の種になることがあることを思い知らされた。あいつは無礼な奴だという悪口が聞こえてくるようだった。また心は罪悪感でさいなまれた。恩を仇で返すやつだという、罵声が聞こえる。
これを何とか直したい、という必死の願望が私には火のように燃えていた。それがノイローゼだということが次第に分かってくると、ノイローゼを治す方法を探り始めた。不思議なことに、他の悩みなど何も感じなかった。恋愛にさえも魅力を感じなかった。青春時代の多感な時期に正常に文字がかけないというただ1つの悩みに集中して悩んでいたのである。今考えるとそれは不思議なことである。他の悩みはどうでもよかった。書痙を直すことができれば、どんなことでもできるように思えた。たった1点のつまづきが私の人生を支配し、他のすべての仕事の障害を形成しているように思えたのである。ただ一点にせきとめられて、すべてが止まったように感じられた。苦しくて苦しくてならなかった。書字の場面に出会うと、青菜に塩、脂汗をかいていかに逃避するかを考えてしまうのである。その頃私は有名な森田療法に出会った。森田正馬(1874年 - 1938年)の教えに光明を見出しかけたのである。著書や雑誌を知り、読み漁り、集会にも参加した。さんざん練習を重ねてきた、文字の書き方の技術的な修練がこの苦しい症状を改善するのに役立つ方法ではなさそうであった。それは日常生活のはしの上げ下ろしや布団の整理、物を粗末にしない生活態度、冷静で豊かな観察眼の育成などを通じて養われる心の態度であり、対自、対他の人間関係の熟成を通じてしか解決できないのものであることをうすうす感ずるようになった。それは雲をつかむように感じられ、抽象的な世界で慰めとあきらめを見出して過ごし、その間に30年もの時間を費やしてもがき続けてきたのである。その間2回の入院をしたが、一向に良くなることはなかった。
とにかく文字を書きまくって、泣かんばかりに過ごしていた。
その解決には、己の内にひそむ世界観を改革することを不可欠としていたように思われるが、ただうす闇に置かれていたようなものである。自己の身近なミクロな世界に関してものを見る価値観、どのようにそれらを評価し、自己の生の中で同時に共存している世界を自らの生の地続きで、肌にしみいる感触で生き生きと評価することができ、同時にマクロな世界、オーバにいえば宇宙観に背馳することのない位相を獲得することを必要としていたのだろうか。井の中の蛙で、狭い視野で、小さな穴ぼこに落ち込んでもがいていた姿の私であったのだろうか。一点だけの穴ぼこが世界大の苦しみに変じて、白を黒と判断する間違いを無限に繰り返していたのだろうか。ミクロとマクロの均整と自己相対化という困難な哲学を実践することが必要であったのだろうか。そのような世界観、人生観への接続を可能とする智と自己意識との陶冶と選択を生涯の時間をかけて追求することを通じてしか解決できないのだろうと、現在はなお苦しみながら次第に思ってみるようになってきた。私は書痙など書字の練習で、技術的に、かつ短時間で、解決できると安易に、短絡し、事態を近視眼的に矮小化していたのだと今にして思い始めている。わずかばかりの対象ではなく、山川草木、森羅万象を適格に評価し、実感し、その中で生きる自己を正確に評価し、そのなかで最適な行動様式をなし得なければ、自信喪失し、信念を持った言動をすることはできない。森羅万象に対する自信喪失が私の手の震えをもたらし、私を浮き立たせてしまうのである。若い未熟な年齢では、ごくわずかな世界の認識を世界大だと誤認し、過信して短絡に陥り、本物の世界の手触りへと触手を伸ばすことはできなかった。私は若く、事態は緊急を要し、書痙の解決に焦りに焦っていた。小さなつまづきに絶望に落ち込むようなショックを感じ、しかも簡単にそこから抜け出せない二重のショックを味わっていた。私の目の前での問題解決、手の震えの停止による正常な書字の実現は、こんなものさえできぬかという焦りのもとで現われていた。こんな単純なことができぬはずはない。すぐに解決できるはずだという誤認に囚われていた。たぶん問題そのものの構図の把握を根底から誤っていたのだと思う。自己の生涯に待ち受けているさまざまな現象や症状を正確かつ冷静に受け止めることはさほどやさしいことではない。その現象を部分的にしか取り上げることができなかった。全体を冷静に取り上げることは極めて難しかったように思われる。もともと人生はそんな生易しいものではなく、自己に都合のよい解釈を下して通ることなどできないものである。私に現れた書字困難という神経症は、その意味で、症状を変えながら、他の人々をも襲う必然性を持っているのかもしれない。何かを実践し成功に導こうとすれば、眼前の世界は大挙して乗り越えるべきハードルを差し出し、その者を圧倒してしまう。妥協して矮小化した回答をもって満足するか、困難全体に対する戦いを挑んで全面勝利するまで戦うか、その中間のどこかにしか答えはないが、そのポイントで自己の主観的満足が得られなければ、神経は苛立たざるを得ない。そこには恐らく何らかの自己誤認があるように思われる。結局死にいたるまで戦いを挑んで、解決を得られなくともよい、というところに得心するしかないのかもしれない。定年を迎えて、書字などどうでもよくなってきたが、しかしどうにもあきらめきれないで、くりかえしくりかえし方法を講じて過ごしているのである。まったくばかげていると思いつつ死ぬまで続くだろうという確信が高くなってきた。
いずれにせよ、間違った自己認識に陥りながら、自己をこの世界に生き生きと泳がせることなどできないのだ。そのような間違った自己認識の誤謬は、世界の歴史的展開、歴史的変動に伴って、自分の終わりに達するまで、さまざまな症状で、何回でも自覚症状を伴ったり、伴わずに、私の日々の生に忍び寄ってくる。これとの闘いに疲れて年老い、独断と偏見にとらわれた人生を漂うのはみじめで恥ずかしいことであるが、無限の戦いを挑まなければ避けられない。自己誤認のもとで居直って声高にしゃべる言葉の虚しさがやり切れないであろうが、誤認におちては、気付かぬままの通過で終わるほか無い。しかし体力と気力の続く限りは、いくら愚痴をこぼしながらでも、自己誤認修正の戦いをやめてはならない。
待ち時間の苦痛
インターネットで検索してみると、書痙の苦しみを持った人はかなり多いように思われる。ある外科医は手術の際の手の震えに悩み、解決できなければ自殺に追い込まれるのではないかという不安を抱いたという。私の場合も半狂乱のていたらくで長い時間を彷徨ったといえるだろう。それは定年を迎えて現役を退いた環境では次第に弛緩してきてはいるが、人前での書字は矢張り震えにより困難となる。人前で書字をするときの心理的状態は震えてはならないという必死の思いに囚われてしまうことである。それが逆効果を生みかえって手の動きを縛って自縄自縛の状態に追い込むのである。それは一種不思議な世界である。水泳をできないかなづちが溺れてどうにもならない状態に類比できることかもしれない。ここで心理的な極端なマイナス状態からプラス状態へと転移する自主的な操作ができれば、問題は解決するであろうとも予想されるのである。ごく短時間の一瞬の出来事であるが、そこでは深い谷に落ち込んで、もがいてももがいても蜘蛛の糸にかかった蝶のようにどうにもならない惨劇が展開しているのである。0.000・・秒の心理的切り替えが、極度の焦りのために、不可能になり、出口の無いから回りに陥る。心の不思議とも言えるかもしれない一瞬である。単純で複雑な心というものに思い至るのである。一人一人に異なった長い人生の創成物で、一瞬のマイナス思考によって心が囚われ身動きが取れなくなる人がいて、その人は書痙に陥るのである。陥らない人もいる。この差が何かである。人生の転回点で一瞬の判断を迫られることはあるであろう。局限の選択を迫られ、ある人は死を他の人は起死回生を選び取るというのは歴史の転換点では無数にありうることであろう。
それは一種の待ち時間のプレッシャーとの戦闘に類比できるかもしれない。人生の時間の中で、生から死への時間経過の中で、生ずる待ち時間の苦痛がある。生ある限りはその生を埋める活動をしているのが人間である。次々と必要に迫られる肉体的、精神的要求に基づいてわれわれは日々の営みを行っている。その中に待ち時間がかならず挟まってきて、あれこれと悩んだり苦しんだりする。悩み苦しむ根源となる本能の活動ばかりでなく、さまざまな迷いや苦痛を必ず伴う待ち時間を持つのである。待ち時間の恐怖とでも表現できるかもしれない。これを一般化すれば、われわれは生から死に向かって生き、さまざまな目的思考を展開し、実践的な活動をしながら、時間を費やしている。その時間の費やし方(心理的、社会的、経済的)や転換の方法論を必要としているように思われる。それがまずければつまらぬ囚われの中につまづくことになってしまう。場合によっては失敗や死を招くことすらある。方法論は一瞬の転換によるマイナス思考からの脱出である。これさえできれば、混乱は削減できるだろう。
最近の事例ではイチローの9年連続200本安打の大記録が参考になる。彼はWBCでそれまでヒットを打つことができず、心は折れかけていた。その状態でWBCの決勝戦、対韓国戦において、大勝負をかけた打席に立ち、一瞬の待ち時間のなかでの恐ろしいプレッシャーに打ち勝った。その体験を語っていたが、それが9年連続200本安打の偉業にもつながったと言っていた。その恐ろしいほどのプレッシャーの苦しみをはねのけることができた。はねのける力は彼のたゆまざる努力のもたらしたものである。その一瞬の待ち時間で彼は自ら実況放送を頭脳の中で繰り返し始めたと言っていた。その瞬時の心理的転換過程を、マイナスからプラスへと抜け出す瞬時のひらめき、肉体がちぢこまり、固まってしまうほどの緊張を振り払って、彼にヒットを打たせた何かを掴んだはずだと、私は思う。その掴んだものは彼の腹に残り、くりかえし応用できる心的栄養となったにちがいない。私に引き当てれば、緊張のために手は震え、書字どころではなくなってしまう状態を、転換し、クールにできる秘密があるに違いないのである。ここに苦しみを嘆くだけの私の足らざる努力を恥じ、希望を生む無限の努力へと一歩踏み込む材料がある。イチローに深く感謝したい。
見えない解決への灯り
棺桶に半ば足を突っ込んで、いまさら解決への方向を言及しても始まらないが、こうではないかという推測を述べてみたい。最近の私の鍛錬を繰り込んだ感想である。それは特段目新しいものではない。習字練習帳を買い込んでみればほとんどどの本にも触れられていることである。
第1は、文字のバランスが文字をきれいに見せるこつであるという項目である。一字々々の偏や旁のバランス、文字の形や傾き、一画一画のバランスなどをうまく整えることである。私はここでは文章としてまとまった塊としての傾きが重要であると考えている。紙に書いた文章は、一字一字が集まった塊であるが、人それぞれの独特の傾きを持っていて、自分のそれが水平であるか、右あがりであるか、右下がりであるかが分かるであろう。とはいっても私にはそれがなかなか分からなかった。右上がりで書いたり、水平で書いたり、右下がりで書いたり、混合したりと、定まらなかった。そしてこの不安定さが、書字の後の不快感、不満足感をともなった。一文字々々々が全体の傾きに沿った流れにならず、反逆してしまうのである。この不快感はいつもいらいら感を引き起こし、劣等感を増幅した。文章全体の傾きは、上達すれば、意識的に選び取ることができるようにも思われるが、手の震えを鎮めるには、文章全体の傾きの自分にぴったりした得意のものを見出す(発見する)ことが重要と思うのである。ひょっとするとこれが定まれば、手の震えをかなりカバーできるようにも思うのである。習字練習帳には1字々々に切り離されたバランスの取り方は書いているが、文章としてまとまった文字の全体の傾きというポイントは触れられていないように思う。私にはそれが最近になって漸く文章全体の右上がりが、最もぴったりした自分流のバランスの取り方であることが分かり始めた。文章全体の傾きにつれて一字々々のバランスが従属して定まってくる。これが決まってくると、一字一字が下手でも全体の中で、バランスをとって生きてくることが分かった。文章としての塊の傾斜は、人が生まれたときに、本能として備わっているもので、自分固有のものではないかというのが私の思いである。それが私の場合何らかの理由によって失われ、書痙という神経症を発症したのである。それを見出すのは失った自分探しのようにも思われる。習字練習帳には1字ごとのバランスを切り離しすぎて論じているように思われる。むしろ文章としての塊の傾きの中での1字のバランスという問題を取り上げるべきではないかと思われる。
第2は第1と密接に絡むことであるが、ペンの持ち方である。書痙に陥ると、手の震えを止めるという意識の囚われによって、硬く握りすぎ、自縄自縛でペンの動きを止めてしまうのである。ペンを握るとき卵一個ほどの空間を手のひらに作ることが大事だと練習帳には説明されている。私にはこれができなかった。この空間がつぶれてしまうほど握り締めてしまうのである。これは震えを押さえようとする病的な傾向であるが、これでは字を書くことが難しいことを、肝に銘ずることであり、練習時に正しい持ち方に慣らせること以外には無い。これは一字に囚われた書き方に意識を向けすぎることからの反作用としても起こっているように思われる。全体の流れに沿って一字を配置するという意識が芽生えれば、全体を生かして一字を犠牲にしても、バランスは崩れないという体験を積むのが有効のように思われる。全体と部分のバランスの納得いく自己習得が解決の糸口になるように思われ始めている。これは私独自の一つの仮説である。私の残された時間で実験して進んでゆきたいと思っている。
しかしいずれにしても馬鹿馬鹿しいことのように思える。くだらない細部にとらわれてしまった人生のように思える。あとの余生をそんな下らぬことに使うよりは、もっと大事なことに使えばいいという思いはあるが、私にとってとってかわる他の大事が引き起こされぬ限りは、くりかえし、くりかえしおこってくる悩みだろうと思われる。書字の際に、なぜ人目に逢うと緊張と委縮とパニックが一気に吹きだすのか、この精神的な混乱を技術論で制御できるだろうか?無限の輪廻、堂々巡りが浪のようにうねって止まない。
2013年になってしまった。
70歳を超え、人生の終末に至っても、解決の灯りはつかない。大の大人が文字が書けぬ悩みに身動きが取れない。習俗のさまざまな場面で書字の機会はやってくる。その技術ともいえない技術を、滑稽にも、形相を変えながら今も取り組んでいる。現役時代には、そのような場面を避け、逃げ回ってきたのである。出るべき会合、儀式、学会等への参加が苦渋に満ち、書字に際しては自己を失い、パニック状態になり、コントロールが利かなくなり、ひきこもりに逃げる。私の一生はこのような悪循環の繰り返しにおかれてきた。謝っても済まぬ罪の意識は深まるばかりで、傲岸不遜を重ねてきた人々への贖罪や、恩返しを残るわずかな人生をかけて自分なりに積み重ねて行かねばならない、といつも思っている。そんなことをしても許されることではなく、地獄へ落ちる覚悟は決めている。幸いにも定年で書字の機会は激減し、負担は軽減した。私のような人生はかなりの人が経験されているかもしれない。その中の一人である私は、まったくばかばかしい徒労かもしれないが、死ぬまで繰返し、書字技術を身につける事が、わが国のような技術立国にありながらできぬはずはないと、いつも思っている。後ろ指を指される気配を背に感じながら、練習を繰返し、空しい挽回の機会を狙っているのである。他方では不義と傲岸不遜のご迷惑をかけてきた多くの方々への自分なりの恩返しをどうすれば出来るかを考えながら、己の姿勢を正しながら生きるしかないと思っている。私も人生の悩み多き凡夫である。下らないが知らず知らずのうちに、自己統御不能な煩悩の渦に巻き込まれて、右往左往している凡夫である。日々凡俗の一つ一つに翻弄されながら、それを乗り越えようと必死のもがきを試みている。砂上楼閣の蟻地獄であるが、無限の繰り返しに耐えて生きて行くしかない。煩悩の無限回の繰り返しに解決のあろうはずはないが、あきらめずになんとかしたいと思いつつ、無駄とも思える努力を重ねるしかない。心のうちでは無駄に終わらせるものかと言いながら、迷惑をかけた人々よ、私なりの報恩の旅を見守ってください、と叫んでいる。これが私のできる唯一のあがきである。
考えてみれば人間は誰でもピンチを潜りぬけて一人前になってゆく。歳が幾つになろうとあがきまわって現在のピンチを潜りぬける方法を編み出すほかない。弱気など起こしてはいられない。生きている限りは乗り越えるためのあがきを辞めるわけにはいかない。葬式に出られなかった方々の恩義を忘れたわけではない。わたしなりに生き方の中で恩返しをしてゆくしかない。勝手な言い草であるが、自分の心の中で恩返しを果たしてゆきたい。さまざまな恩義をかけてくれた方々に自分のあがきを通じてお返しが出来ればと願っている。お返しが出来ない単なるあがきかもしれないが、その努力を忘れないつもりである。
無駄と思える繰り返しの中に永遠の真がある
果てしない繰り返しの世界、広漠とした砂漠のような一本の繰り返しの道にこそ希望を求める真実が隠されているのではないか?果てしない繰り返しは、私の父母や祖先が通ってきた細い頼りない孤独の道である。それは何ら成功や栄光をもたらさないかもしれない、果てしない不毛の道であるかもしれない。したがってそれは確実に絶望と死をもたらす道である。しかしそれ以外に私にはすがる道はない。父母や先祖に習い、歩んでゆく一本道である。そこに微かな希望の光がなくとも、それを求めて繰り返す以外にはない。はてしの無い挑戦の道である。多くの人が苦しみながらこの道を歩いていると私は思っている。私の持っている勇気や希望、わずかな知識や信念はこの果てしない繰り返しのまえにとかく萎縮してしまいそうで涯しなき不安に煽られる。けれども蛮勇をふるって失敗を繰り返しながら前に進むしか残されていない。最後は失敗に倒れても仕方のないことである。失敗すれば、またやり直すだけである。やり直すことには、失敗の恐れが、つきまとうが、可能な限り繰り返して、繰り返して倦まない覚悟が求められる。父母や祖先はそれを我慢強く耐えて生を全うした。ぎりぎりに追い詰められた私にも唯一日々繰り返す多くの行為に信を求めるしかない。それを諦めたら、細い道は断たれてしまう。ごみくずのような無価値に近い繰り返し行為のうえに日々の生活がなりたっている。しかしそこに生きる上での永遠の真実も隠されている。無駄と思われる繰り返しの中に真実を追いかけるしか生きる道は残されていない。生きる条件は人によって異なり、一概にはくくれないが、ぎりぎりまで可能性を追求し、繰返しを継続することが最後に残された道である。
残された課題
多くの迷惑に対する私の後始末だけが残されている。結局私の一生を支配してきたこの病の縄目を解き放つことはできないのかという未練と、ご迷惑の山を残すことになってしまいそうである。世の人々の非難をいただいて、生きるしかないというのが残された私のありようであろう。諦められない課題は、私の余生をかけたこの病への追求と可能ならばそこから己を解き放つ試みである。残されたエネルギーと時間の制約から、この試みは心細く、私の最後のあがきの繰り返しになりそうであるが、それしか出来そうにもない。甚だ無責任であるが、多くの学恩を受けた方々へのお返しは、このようなみすぼらしいものになりそうである。お詫びしてお許しいただきたい。この世から消滅するのが至当なる対価だと思うが、恥ずかしながら、その勇気もない。