つれづれ窓

一艘の難破船が横たわる

プロフィールに代えて

 私の履歴を述べるのは面映ゆいので、教育・研究部門で何とか過ごしてきたということでお許しいただきたい。私は、四苦八苦しながら、年齢だけは定年に達したが、未熟なままに人生を漂っている人間である。このところ心が痛むのだが、グローバル化が砂漠のように広がってその陰でわが国内で経済格差、地域格差が深まり、陰湿ないじめが広がって、そのなかでそれに巻き込まれて犯罪が凶悪化し、絶望の引き起こすテロにも似た暴力が頻発していることである。若者は希望を持てず、まじめに働いても働いても非正規社員であるがゆえに簡単に首を切られてしまう。派遣社員の地獄のような境遇を生み出した元凶を突き止め、正さなくてはならないのではないか。労働市場をめぐる非公正な契約関係や強者の利潤の確保のみが保障され、弱者の立場である労働者の権利を奪い取り、人間を部品に貶めるようなメカニズムの浸透を根本からひっく返さなくてはならないようにさえ思われる。
  市場の非公正を公認し、格差を公認し、強者と弱者の存在を公認し、市場メカニズムを非人間的なモードへ移行させた者への憤りを禁じ得ない。人間にやさしい市場を作ることは可能であり、そのことなしに若者の希望を復権させることは困難であろう。わが国の市場経済は、効率性、コスト低減、競争強化が進み、特に労働力商品をめぐる誤った機能性の向上、強者の保証と弱者の権利剥奪へとますます傾斜しているのではないかと疑われる。市場メカニズムの冷たい機能性への堕落を垣間見ているようである。働く者相互のなかでの溝の深まり、相互コミュニケーションの排除、人間としての信頼関係の喪失等々、市場の利潤追求性の高度化によって、いたずらに効率性、機能性のみが突出し、非人間的な対立を深め、強者に好都合な環境を生み出しているのではないか。人間らしさを失った市場メカニズムが当たり前のように広がっている。グローバルな競争の波という不可抗力を利用して、競争を強いて、人間本来のあるべき姿を喪失し、ロボットのような人間へと追い込もうとしているかのように映るのである。グローバルな競争という命題の前で、必死に働けと号令する権利を確保し、失敗を許さず、再挑戦を許さない環境が当然視され、機械のような労働力を優秀だとみなす誤解がまかり通っているように思われる。若者には希望を持って働くことさえ許されないという驚くべき現実がつきつけられているのである。そこには大きな落とし穴があるのではないかと疑うのである。市場メカニズムの運用に無責任という大きな間違いが組み込まれたのではないか。そしてそこから生み出される格差構造、非対称性の闇の深まりで、わが国のすべての人々が幸福感を共有することなどあり得ない事態に追い込まれているのではないか。自分の幸せが誰かの不幸の上で成り立ち、逆の場合の成り立ち等が固定化すれば、われわれは幸福感を共有できず、安んじて自らの生涯をとじることすらできなくなるように思われる。共有を破壊して利益を得るのは誰だろう。すべての国民の幸福感のために、俗にいう「大多数はひとりのために、一人は大多数のために」というバランスのとれた関係性が50%以上確保されることが重要なことのように思われる。