つれづれ窓

一艘の難破船が横たわる

空っぽの時間を埋める冒険

2006年に新たな船出が始まった

私は2年前(2006年)に定年となった。職場や同僚が私の絆のすべてであった。絆が切れると航行していた船から放り出されて、大洋に泳ぐ裸の個人となった。 亡くなった父は母に先立たれ、孤独の日々を生きていた。時々遊びに行くとここ3ヶ月ほど誰とも話をしなかった、といっていた。私は聞き流していたのだが、私の場合、家族は健在とはいえ、いまその現実の一つが目前になって思い出したのだ。人間は身勝手にできている。人の言うことを本当には理解できていないことが多い。自分の身にそれが起こると、これだと腑に落ちる。いま私は空っぽの時間の前でこれを埋めて生きていかねばならない事態に直面している。船上から放り出されて、太平洋のど真ん中に浮かんでもがいているのと同じ事態である。

コンプレックスと自信喪失

私は自己顕示欲は少ないように思っている。子供時分は演劇に出て芝居をしたりもしたので、そうでもなかったのだろうが、次第に失敗を重ねて自分というものが分かりかけてみると、コンプレックスが増して、引っ込み思案な性格へと回帰していったのだろう。自己顕示欲がどうあれ、いずれにしても空っぽの時間を満たす新たな冒険にしぶしぶとでも出かけなければならない。できれば他人の役に立って社会貢献でもできればベターだと思うが、そんな能力も無いように思う。このままじっと孤独の世界で漂ってゆくのが性にあった生き方のようにも思えるのだが、それではあまりにも自分の生を私物化しているようにも思われる。勝手に生きていればいいというのは気楽であっても、少し無責任な気がする。なぜなら私は市場社会の自由な市民として生きているから、絆が切れたといってもすべて切れたというわけでもない。しかも仙人のように深山幽谷に弧絶しているのでもない。いやおうなしに、市民として目には見えない波動を起こしながら、社会の変化に参加している。地球温暖化が目に見えない個々人の活動の巨大な集合によって引き起こされているように、市民の1個人の生活が社会の変化を左右していることは避けられない。ここに住んでいる以上は100%自分勝手に振舞うことは許されない。

何かしたいがどこにも飛び込めない

そこでいろいろためらったが、能力のない私があまりプレッシャーのかからない形でおのれ自身をさらしてゆくことが何かの材料になればいいのではないかと思い始めた。HPを開設して、自分の過去の行動、世間や読書の感想について記録したり、自分の日常をさらけるのが最低限の市民社会に生きるうえでのいいわけになるのではないかと思い始めた。この先どうなるのか分からないが、少しずつ自分の記録を積み立ててみようと無理に自分を奮い立たせているのである。名も無い1市民としてさまざまな個人的営為をさらけだせればよいように思えるが、何分にも気が変わることも考えられ、なんとも予約しかねる有様である。

2009年

早いもので3年余が過ぎた。情けないことに何もこれといった収穫は無い。あれこれと過去の蒸し返しと後悔のみがたまってしまった。情けない人生だが、その渦を飛び越える余力は余りありそうにはない。少なくなった余力を微分して目標を小さく刻んで立ち向かうしかないのだろう。過去の汚点ばかりが道をふさいで嫌悪感にさいなまれながら、汚泥に足を取られながら、じりじり進むしかない。がんじがらめの既得権の呪縛を放棄することも難しい。これまでたまったものを基に、その多くの負の部分を切り替えて、エネルギーに代えなければいけないようである。しかしあまり勇ましい声を上げて勢いよく前進することなど不可能だ。よれよれの力でゆっくりと歩むしかない。

この3年間に一番夢中になったのは俳句である。言葉の世界に少し足を踏み入れて体験してみた。文学とは平均からのバラツキの最も大きな自由度を持った世界だというぐらいの認識しか持たず、実践的に体験する量は些少であった。冷たい理の世界から情を主体とする力点の転換がよく理解できていないが、俳句を作ってみると、その面白さがあるように思えた。自己の自由度が高い世界、逆に言えば自己の恣意性が許される世界の面白さとままならぬ言語の制約との葛藤が私には新たな刺激として受け止められた。そこには己を前面に出した自己表出の波のうねりをぶつける固有のやりかたを工夫できる可能性があるようにも思える。そのような表現の極致が芸術の源泉になるのだろう。芸術の世界は果てないものを追い求める可能性の世界である。しかしそれを成し遂げるのは数億分の1のほとんど不可能な宝くじの当りのようなものである。全生涯を安心して消費しつくしても実現できない夢である。そんな冒険は無謀の至りであるが、所詮人生は泡沫の夢であり、当たり外れはどうでもいいことであるようにも思える

2011年

 5年が過ぎた。月日の早さに驚くばかりである。この間いたずらに漂流を重ねただけである。嵐が来ればあえなく一巻の終わりになるに違いない。個人の人生の無力さをいやというほど味わいながら、死ぬまで漂流を続けるしかないように思える。空白の時間を埋める冒険などは、大言壮語だったにすぎない。さまざまな失敗や自らの性格の弱さ、神経症をどうする事も出来ず、過去の負の遺産だけが大きくなって、もがきながら不全感をぬぐえぬまま、またもがくしかなさそうである。空や無の中に空しくもがく人生というものもあっても良いようにも思えるが、なかなかの辛抱を要するには違いない。徒手空拳、空手形の日々、そのなかから何かをつかみだすことが出来るか、実験を続けるしかない。時間は切迫するばかりであるが、逆に体力も気力も衰えるばかりである。大事な時間を空しく費やしながら、どうにもならないようにも思えるが、それが自分の時間であることには違いない。天災や人災にあって南無阿弥陀仏となるまで、もがき続けることが唯一のわが生である。遠い記憶をたどると、私の父母も祖父母も似たようにその日その日をもがき苦しんで生きていたように見える。ひょっとするとそれが普通の人の姿なのかもしれない。心の平穏や嵐を何とかかいくぐりながら、ぶつくさ不平を呟きながら、先の見えない世界を乗り切ってきたに違いない。わたしもそれを継いでその世界を荷って生きる事に特に依存はない。父母の苦しんだ苦しみを味わって生きる事にむしろ納得さえいくように思える、それでいいんだという・・・。