森家


妙向

最初の妻

お岩

香々美


お郷

妙向


林道安の娘で名はえい
森可成りと結婚し子供10人(6男4女)

信長の小姓で有名な
森蘭丸・坊丸・力丸の母である。
1570年長男可隆は夫可成りと共に浅井・朝倉戦で亡くなり
(夫・宇佐山城、可隆・越前手筒山
彼女は剃髪して妙向尼と号した。
次男長可(鬼武蔵)は金山城を継ぐも小牧長久手の戦いで戦死。
本能寺の変では蘭丸森蘭丸・坊丸・力丸を亡くし、
6男の忠政が森家を継ぎ津山城初代藩主となる。

妙向尼の有名なエピソードに
織田信長と石山本願寺との争い(石山戦争)の和睦に
奔走し本願寺の危機を救った功績がある。
妙向尼は浄土真宗の信者であり
美濃金山に妙願寺建立(現・常照寺)
忠政美作入国に際しては津山に再建される。
妙願時には妙向禅尼画像が残る




林道安とは
尾張織田家家臣 通称八郎左衛門

・・・勝手な感想・・・