森家


森可成
美濃(岐阜県)に生まれる。
織田信長に従い
1560年桶狭間の合戦を初め、信長の尾張統一に貢献した。
1565年金山鳳ヶ峰城を金山城とし城主となる。
1570年9月浅井・朝倉攻めの時、宇佐山城で浅井
により戦死(48歳)
妻は妙向(林道安の娘)

森忠政

美濃金山城で6男として生まれるが5人の兄が戦死してしまい、森家を継ぐことに。
豊臣秀吉により金山6万石だけは認められるが、信長から与えられた信濃国の領地は没収される。
小田原城攻め朝鮮出兵の時は秀吉に仕えるが、
1598年秀吉死後は徳川家康に忠誠を是とする。
家康の領地替(川中島海津城へ)
1600年関ヶ原の合戦には参加していないが、
上田城押さえの功により美作18石を与えられ、
1604年〜1616年の12年をかけて津山城築城
1643年65歳で死去在城32

森長継
森忠政に直系の後継ぎがなく
外孫(側室香々美の子お郷の子)長継が
1635年津山城2代目藩主となる。
妻は同じ外孫(松の子お鶴)
40年執政をにぎり
1674年津山城の北に北屋敷を建て、北の山々を借景として取り入れ中央に泉水を巡らした回遊式庭園を造り
1675年側室お貝と共に隠居所とする。
(現在の衆楽園)89歳まで生きる。
森家図

森可成妙向

可隆
越前手筒山の戦いで戦死
長可(鬼武蔵)
小牧長久手の戦いで戦死
長定(蘭丸)
本能寺の変で没
長隆(坊丸)
本能寺の変で没
長氏(力丸)
本能寺の変で没
森忠政

関成次母

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

森忠政
お岩





忠広
虎松
お宮
お菊
お兼




お鶴
側室香々美



重政
お上洛

側室お貝



関成次


森長継