小早川家


小早川隆景

毛利元就の三男
毛利隆元・吉川元春の弟。
竹原小早川家の養子となり 本家・沼田小早川家を
統合し当主となる。

隆景の率いた小早川水軍が活躍。

豊臣政権下では秀吉に従属
豊臣政権五大老の一人                 
  実子なし 

木下定家の5男 豊臣秀吉の養子となっていた
羽柴秀俊(小早川秀秋)を養子とし
筑前・筑後の領国を秀秋に譲り、備後三原城を隠居
城とする。

1597年三原にて没。

生涯を通じ毛利家を支えた。

小早川家図

小早川隆景

         (養子)

豊臣秀吉・おね
  (養子)
木下定家
  (実父)

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小早川秀秋

古満姫
    (妻)

          

小早川秀秋
1582年北政所の兄、木下定家の子5男として長浜
に生まれる。

1585年(3歳)羽柴(豊臣)秀吉の養子となり
1589年(7歳)丹波亀山城10万石を与えられ、
豊臣秀次に次ぐ豊臣家の後継者候補。
秀吉と淀に子供が出来たことから、
1595年(13歳)小早川隆景の養子として出される。
丹波亀山城は没収されるも、小早川氏の所領筑前名
島城30万7000石を継ぐ。
1600年(18歳)関ヶ原の戦いで、当初西軍として参
加したが、離反して西軍に攻め入ったため、連鎖的に
生じた離反により西軍は壊滅。

戦功により美作・備前55万石を徳川家康から与えら
れて岡山入城。

1602年わずか2年(享年21歳)で死去
小早川藩領地没収、お家断絶
木下定家

北政所(おね)の実兄

小早川秀秋の実父
8人の子に恵まれ5男秀秋を養子に出す。
1600年関ヶ原の戦いでは東軍・西軍どちらにもつ
かず

妹北政所(高台院)の警護を務めた功績を認めら
れ、

備中足守に2万5千石の所領を与えられる。
備中足守藩初代藩主

(以降木下家12代が廃藩置県まで続く。)