清水宗治の妻


高松城主 清水宗治の妻で
石川久孝の娘


清水宗治
   

・・・勝手な感想・・・
備中高松城址公園の資料館で頂ける資料には

「石川久式の娘をめとった」とあるが
1575年の備中兵乱の時自刃した久式は19歳、
この時すでに清水宗治は40歳近かったので
久式の娘はおかしい。資料館の資料が間違っているのは残念だけれど
清水家・石川家の関係図は残っていないので難しい。
石川久考、何処からこの名前が出たのかも良く分からないが、
この娘石川久考の娘とし
備中高松城を宗治が継いだとする。

余談ではあるが、
宗治自刃の後、嫡男景春は毛利家に仕え
山口県光市に移り子孫が幕末まで残るが、
12代親知(清太郎)13代親春の時禁門の変がおこり
長州藩として自刃することとなる。
この由緒ある優秀な清水家が無くなることは惜しいとされ、
(首相)伊藤博文の次男博春が清水家15代を継いだ。



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