六姫
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光政、国元の侍女国様との子
母方の祖父母の元で5歳になるまで育てられ、
六番目の姫であることから六姫として岡山城へ
母国は側室としての資格は与えられていなかったので、対面することなく孤独に成長
1659年 17歳で家老天城池田出羽由成の嫡男 池田主計(かずえ)由貞に嫁ぐ
城下西川べりの天城池田屋敷で兄妹のように仲むまじく過ごすも
六姫の異常なまでの嫉妬心に主計様は耐え切れなく
1560年出奔したとされる。
五ヶ月後采地天城で釣りなどをしているところを岡山城下へ連れ戻され
切腹
(天城池田家仕置家老職をはずれる)
1562年六姫が見初め 番頭三千石 滝川縫殿嫡男儀大夫へ再婚
男の子が生まれるも2歳で亡くなる。
1670年女の子誕生 (吉)
六姫が嫁ぐ時従ってきた侍女登志と夫 不埒、
六姫小刀で夫儀大夫の喉をかき切り横死とされ
六姫 岡山城西の丸に引き取られる(遅れて吉も引き取られる)
質素を貫いていた父光政
1675年 六姫と吉の屋敷を建て好好爺ぶり
1679年 六姫38歳で生涯を閉じる。
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・・・勝手な感想・・・
数年前に読んだ小説の、この六姫の事が忘れられなかった。
六姫の嫁いだ天城が、自宅近くだったからかもしれない。散歩しながら川の付近に来ると
夫の由貞がこのあたりで釣りをしながら何を思っていたのだろうと、不憫に思ったりもした。
ネットで「六姫」を検索してみると散々な書かれようだった。
「鬼姫」だの「怖すぎる」だの「異常」だの
(検索したのは10年ほど前で、今検索したら殆ど無くなっている。)
その性格は誰にも愛される事がなかったゆえに身につきしもの、
愛されたいがゆえの姫のおこした行動は勿論良い事ではないが、
なんだか痛いくらい分かるようなきがする。
小説でも最後まで悪く書かれている六姫、
「きっと娘を産んでからは 愛と言うものを知ったよね」
「最後は心穏やかに暮らせたよね」
質素を貫いた父光政も、
自分の住む西の丸東の石山に六姫と孫吉の住まうお屋敷を建て(石山御殿)
度々おたずねになり、
光政の日記にも六姫の名が多く残る。
最後には愛を知ったであろうという思いと、六姫の事を何処かに残したくて
このホームページを作ったような気がする。