三村家





月田城主の妻

水野勝成の妻

作州月田城主 室



月田城主楢崎元兼室
三村備中松山城主 三村元親の妹

楢崎元兼
戦国大名毛利氏旗下の武将で、
広島県府中久世町の楢崎城を居城としていた。
1568年の神辺合戦(杉原理興 対 毛利)では功をあげ、
毛利と手を結んだ備中松山城主 三村元親の妹と結婚し
1573〜1592年美作月田城を守る。
(毛利と宇喜多の争奪戦が繰り返された美作高田城(勝山城)を守っていた時期もある。)
1574年毛利氏と宇喜多氏が手を結んだことにより、三村氏は毛利を離反
毛利の三村討伐の時、三村元親の妹を妻にしていた楢崎元兼は、
三村方だと思われないために、自ら宇喜多直家を月田城内に引き入れた。

・・・勝手な感想・・・

三村一族は1575年に滅亡していますから、
彼女はどうなったのでしょう?
宇喜多を城内に引き入れた時に亡き者にされてしまったのでしょうか?
きっと嫁いでから1・2年内の事
気の毒です。

宇喜多家の事を調べている時は宇喜多を良く思い
三村一族を思うときは、宇喜多この〜〜〜(怒)と思う。
きっとどちらが悪いわけでもなく、
一瞬の判断が命取りになる、やらなければやられる

そんな時代だったのですね
戦国時代は・・・