三村家


鶴姫




鶴姫


         
     常山城主  上野高徳の妻 鶴姫
備中松山城主 三村元親の妹

古くから三村家も上野家も毛利と手を結んできたが
1574年 毛利・宇喜多が同盟したことに対応できず、毛利を離反
毛利家の三村討伐が始まり
「備中兵乱」
三村勢のゆかりの諸城は次々落城
1575年最後の城、常山城は毛利勢よって完全に包囲

敵の一人も打たないでやすやすと自害するのは口惜しい
鎧を着 上帯を締めて
三尺七寸の太刀を帯・・・
紅の薄衣を打ち掛けその裾を引き上げ腰で結び
白い柄の長刀を小脇に抱え広庭におどりでた。
侍女たちも従い34人が敵陣の中に・・・

1575年6月4日 常山城落城 (上野隆徳・鶴姫自害)

戦国の乱世に生き散っていった鶴姫と34人の女人の墓
         

上野家菩提寺は報恩寺(真備町)
隆徳夫妻の位牌が残る。

鶴姫と言う名は
鶴姫の弟(幸勢円明房)住寺・般若院所蔵(倉敷市児島)
「来暦記」(当院中興寂弁以来々暦記)に書かれてある。
梢の御前とは常山城観光地化の時につけた名前である。

祖父上野肥前守
児島熊野神社を押領し常山城築城

・・・勝手な感想・・・

私の父が備中松山城近く、母が常山城近くの出身であったから、
昔から私にとっての鶴姫はこの姫だった。
今は寂れてしまった松山城近くの井倉胴には姫の足跡が残り、


常山城も戦前までバスが出ていて、
観光地として賑わっていたと聞く。
今ではすっかり他の場所の鶴姫が有名になり、
大三島の大山祗神社宝物館に奉納されてる女性用の胴丸
もしかしたらもしかしたら・・・本当は・・・
なんて妄想するほどの常山城の鶴姫びいき
ああっ、私に文章能力があって小説でも書ければとか、
宝くじが当たれば、新しい案内板と史跡の整備をしたいと思ってみたりする。



戦国時代、戦略の失敗で散ってしまった三村一族
史実の鶴姫が時代の歴史の中に埋もれていくような気がして
残念でならない。