但馬竹田城最後の城主、 赤松広秀の妻 宇喜多直家とおふく(円融院)の娘 赤松氏は播磨国龍野城、後に但馬竹田城を居城とした。 ※赤松広秀とは 別名(広道・広英・政広) 中国攻めで秀吉に降伏し、蜂須賀正勝の配下となる。 小牧・長久手の戦いで武功を挙げ 但馬竹田城2万2000石を与えられた。 1600年、関ヶ原の戦いでは西軍に味方したが、西軍が敗れると東軍に寝返り 因幡鳥取城を攻める。しかしこの戦いの時の城下焼き討ちが問題になり、 徳川家康から切腹を命じられ、鳥取の真教寺で自刃。 西軍から東軍に寝返った大名で唯一の死亡者。 |