宇喜多家



直家一人目の妻

おふく(円融院)

二人の娘

容光院
赤松氏の妻

明石全登の妻

興家の妻

牧籐左衛門の妻

伊賀氏の妻

豪姫

三人の娘

富田夫人

詮家の妻

赤松広秀の妻



但馬竹田城最後の城主、 赤松広秀の妻

宇喜多直家とおふく(円融院)の娘
赤松氏は播磨国龍野城、後に但馬竹田城を居城とした。


赤松広秀とは
別名(広道・広英・政広)

中国攻めで秀吉に降伏し、蜂須賀正勝の配下となる。
小牧・長久手の戦いで武功を挙げ 但馬竹田城2万2000石を与えられた。

1600年、関ヶ原の戦いでは西軍に味方したが、西軍が敗れると東軍に寝返り
因幡鳥取城を攻める。しかしこの戦いの時の城下焼き討ちが問題になり、
徳川家康から切腹を命じられ、鳥取の真教寺で自刃。
西軍から東軍に寝返った大名で唯一の死亡者。


・・・勝手な感想・・・

但馬竹田城に、姫は宇喜多の娘なのよね〜!
などと思いながら訪れていたのは私くらいでしょう。

     

城仲間では有名な竹田城
その石垣の上から400年前の時と姫を思う。
広秀氏自刃後、姫はどうしたのかな?
夫赤松広秀は徳川に就くも
妻が宇喜多直家の娘だったから自刀させられたのだという説がある。
一緒に自害してしまったのだろうか?
それとも・・・