宇喜多家



直家一人目の妻

おふく(円融院)

二人の娘

容光院

赤松氏の妻

明石全登の妻

興家の妻

牧籐左衛門の妻

伊賀氏の妻

豪姫
三人の娘

富田夫人

詮家の妻

秀家の三人の娘



理将院(理松院・佐用姫・佐保姫)
1601年豪姫と共に金沢へ
前田家家臣山崎阿波長郷へ嫁ぐも死に別れ
富田下野重家へ再婚
1614年死去 法号理将院

おなくの方
伏見宮邦尚親王の内室
1604年に嫁ぐ
息男 伏見宮邦尚親王

おふり(光勝院・先勝院)
川口長太郎後家
母豪の弟、前田三代目藩主利常のはからいにより
子男女各一人を連れて
1656年善福寺の住職芳光院と再婚(この時すでに56歳)
化粧料として知行100石
1678年9月16日死去

・・・勝手な感想・・・

一般的に宇喜多秀家と豪姫の娘は、一人・二人と知られていたが、

2011年
「おふり様と豪姫」ー宇喜多秀家の隠された息女と内室豪姫ー
著者 大桑斉 より
金沢に連れて帰った娘
金沢で生んだ娘(おなくの方・おふり様双子説)で
三人の娘があったとされ、私はこれを参考資料として娘三人とする。