戸川の娘(妙円)
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秀家の従弟で宇喜多詮家
後に千姫事件で有名になった坂崎出羽守直盛の妻である。
妻の出は、直家重臣戸川秀安の娘であり、
庭瀬城藩主、の戸川道安の妹である。
秀家お家騒動の時、秀家が兄戸川道安を憎み
殺害させようとしたところを、夫詮家が道安をかくまい
他250余名の重臣が屋敷に立て籠もると言う事件がおきた。
この時、徳川家康が仲介
宇喜多詮家・戸川道安 夫と兄は徳川家康預かりとなった。
1600年関ヶ原の戦いで夫詮家は東軍としての戦功により3万石を受け、
津和野に立藩、坂崎直盛と改名
妙円、津和野に行く前に若くして岡山で病死
岡山市徳吉町にある五輪塔は「宇喜多御前」の名義から
円融院(宇喜多直家の妻)の墓であると信じられていたが、
近年、宇喜多左京亮の室の墓であるのが妥当という見解が出されている。
※戸川家とは
宇喜多直家に親子で仕え(父 秀安・ 子 道安)
宇喜多秀家の時のお家騒動で宇喜多を去り
徳川家康の計らいで関東に
関ヶ原の合戦では東軍として参陣
その功績で、備中国に2万9千石を与えられ
戸川道安が庭瀬に居城を構えた。
庭瀬の戸川家は後継ぎがなく四代で絶家するが、
弟 安尤が早島知行所
弟 安利が帯江知行所を治めて
明治維新を迎える。
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(庭瀬城跡) |
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(撫川城址) |
※千姫事件
1615年大阪夏の陣による大阪城落城の際に、
家康の孫娘で豊臣秀頼の正室である千姫を坂崎直盛が救出
千姫の身の振り方を家康より依頼され縁組の話を進めているところに、
直盛の知らない、本多忠刻との縁談が突然決まる。
面目をつぶされた直盛が、千姫輿入れの行列を襲おうとする
計画をたてていると発覚され、直盛は自害(もしくは殺害)
この騒動で津和野藩坂崎氏は断絶。 |
・・・勝手な感想・・・
戸川家はご近所なので特別枠な思いの戸川家の娘
徳吉町にある五輪塔は「宇喜多左京亮の室の墓であるのが妥当」と言うことなので
彼女のお墓なのか〜!この事実はまだあまり知られていないよね〜!と
ワクワクな思いで五輪塔の写真を撮りに行ったが、
ページをまとめるにあたり、
戸川時代研究会 発行 「備中領主 戸川の時代」を読むと
1603年に彼女は没となっている。
(お墓は岡山市妹尾盛隆寺)
1594年に没年された方のこの立派なお墓
1600年に円融院(宇喜多直家の妻)は生存していたとされるため、
1594年に建てられているこのお墓は違うとされる。
(お墓だけ先に造っていたのではと言うた説も有)
なので、残念ながら戸川の娘のでもないようです。
宇喜多詮家さん

富山城に住んでいる頃に他に妻がいたのかな?
埋もれてしまっている姫が・・・