宇喜多家



直家一人目の妻

おふく(円融院)
二人の娘

容光院

赤松氏の妻

明石全登の妻

興家の妻

牧籐左衛門の妻

伊賀氏の妻

豪姫

三人の娘

富田夫人

詮家の妻

二人の娘(直家と最初の妻奈美との子




1562年長女美代、  金川城 松田元賢に嫁ぐ。
明禅寺合戦の際に援軍を出さなかった事で直家の不興をかい
伊賀勢の鉄砲で父・松田元輝が射殺
1568年松田元賢討ち死
知らせを聞いた正室の宇喜多直家の娘も程なくして自害?

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直家の次女千代、  三星城 後藤勝基に嫁ぐ
1579年 後藤勝基毒殺
妻自害?

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1569年主君天神山城浦上宗景嫡男
  
浦上宗辰に娘を嫁がせる
1577年浦上宗辰毒殺娘自害 
(浦上与次郎宗辰の墓)
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毛利との合戦に何度も参戦している
江原城 江原親次も宇喜多直家の娘と結婚している。  
1580年 美作国寺畑の戦いに参加しているので 、
一人目の妻奈美か養女の子であろう。       

・・・勝手な感想・・・

直家の一人目の妻が自害するとき 娘をおいてともみちずれにとも言われるが
三・四人?も娘が自害しているのだから置いてだわね
でも一人目の妻の娘はふたり(長女美代・次女千代)

ん〜〜〜分からない
いったい誰の子?
1570年ごろおふくに出会うのだから一人目の妻の子
直家はいったい何人娘がいたの〜?
側室もいたりしたのかな?それとも養女?
本当に娘は自害?
長女の夫松田元賢討ち死したのは1568年だからその娘が
1569年浦上宗影嫡男浦上宗辰に嫁ぐと計算は合うのだけれど・・・
でも結局自害してしまうんだ・・・本当?
女性が歴史に残って居ないからと言って簡単に自害という言葉で終わらせないで欲しい・・・