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宇喜多直家の妹
牧籐左座衛門家信に嫁ぐ。
※
牧籐左座衛門家信(牧国信)
宇喜多氏に引き渡された美作高田城に入る。
牧藤左座衛門家信はもともと
備中の三村家親に攻められ滅亡した旧高田城主三浦氏の家臣であった。
つまり旧主の正室はおふく(備前殿)である
豊臣秀吉のもと、大阪城に居たおふくが病床にあると聞き
湯屋・御殿を建てた(今の湯原温泉である)
1585年、
京都で亡くなった三浦桃寿丸(おふくの子)旧高田城主の子
の死を悲しんで病に伏したおふくがこの湯原温泉で湯治した。
・・・勝手な感想・・・
おふくが湯原温泉に居たのは20日間ほどなのに
ゆかりの地としておふくの碑が建てられている。
宇喜多直家の妹で、美作高田城主の妻である彼女
きっときっと彼女の方がこの地に長く居たのに
名前すら分からず・・・なんだか寂しいな・・・