西暦 | 和暦 | 事柄 | 参照ページ |
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約7300年前 | 縄文時代 | 鬼界カルデラの大爆発、日本列島の各地に火山灰降下。 | 17 、7300年前の広島湾 |
3000~2000年前 | 弥生時代 | 中山貝塚、比治山貝塚など、沿岸地域で貝塚が遺された。 現在市街地となっている太田川、瀬野川、八幡川などの各三角州は概ねこの時代までに形成された。 |
18、太田川三角州と広島湾、弥生時代 補足2、太田川三角州の発達 補足1、三角州の発達 |
5世紀~7世紀 | 古墳時代 | 各地で古墳が築かれた。 | 2、海田湾周辺の古墳 |
672年 | 壬申の乱。 | ||
7世紀末 | 飛鳥時代 | 万葉集に「せの山」を詠った歌、291番と1676番の2首。 | 万葉1、安芸の「せの山」の歌 |
701年 | 大宝元年 | 大宝律令制定。 | |
729年 | 天平元年 | 律令制の下に駅伝制を定め、山陽道に駅家を設置。都から太宰府までの陸路の幹線。 | 3、古代山陽道と船越・海田 19、古代山陽道と広島湾 33、古代山陽道と賀茂台地 |
731年 | 天平3年 | 万葉集に、山上憶良による「安芸国佐伯郡高庭駅家」の記述。 | |
741年 | 天平13年 | 諸国に国分寺、国分尼寺造営。安芸国分寺は賀茂郷(現・西条町)に。 | |
780年 | 宝亀11年 | 牛田荘絵図が西大寺流記資材帳に載る。 | 20、太田川三角州と広島湾②、牛田荘 |
10世紀 | 平安時代 | 「和名類聚抄」に各国・郡・郷名の記載。延喜式に官道の駅名記載。 | 19、古代山陽道と広島湾 26、安芸の国府と鹿籠 33、古代山陽道と賀茂台地 |
10世紀末 | 平安時代中頃 | 歌人、源重之による「せのの大山」の歌。 | 余禄1、和歌の中の「せの山」 |
1156年 | 保元元年 | 保元の乱 | |
1171年 | 承安元年 | 安芸国西部に領地を有する厳島神社が倉敷を太田川下流域に設置。年貢の保管と厳島への舟運。 | 21、倉敷と八日市 |
1176年 | 安元2年 | 開田荘が八条院領目録に載る。 | 5、開田荘と二日市 |
1185年 | 文治元年 | 壇ノ浦の合戦。 | |
1191年 | 建久2年 | 西大寺文書に牛田荘の領域、79町の記載。 | 20、太田川三角州と広島湾②、牛田荘 |
1197年 | 建久8年 | 世能荒山荘の立券。 | 4、世能荒山荘と山陽道 |
1198年 | 建久9年 | 田所氏、温品南部などの荒地を開墾。 | 27、中世の温品村と矢賀村 |
13世紀 | 鎌倉時代 | 現・祇園大橋付近に鎌倉時代の遺跡。 | 21、倉敷と八日市、 |
13世紀 | 鎌倉時代 | 船越村に塩浜(製塩地)。 | 9、中世の船越村 27、中世の温品村と矢賀村 28、中世国衙役人田所氏 22、広島湾西岸の村々、 |
1281年 | 弘安4年 | 蒙古軍襲来。 | |
1289年 | 正応2年 | 国衙役人田所氏の国衙領注進状・譲り状に府中、温品、矢賀、船越などの村。領地(耕地)の開発。 | 1371年 | 応安4年 | 今川了俊が九州探題として下向時に安芸国を通過、海田浦で20日間逗留。 | 余禄2、道行きぶりの中の海田 余禄1、和歌の中の「せの山」 |
1467年 | 応仁元年 | 応仁の乱が始まる。 | |
16世紀 | 室町時代 | 中世末、沿岸地域の開発進む。 | 1、瀬野川三角州と沿岸地形、 22、広島湾西岸の村々、 23、太田川三角州と広島湾③、 29、安南郡古地図、 |
1587年 | 天正15年 | 豊臣秀吉軍が島津氏との戦役のための移動途中、四日市(西条)、海田、廿日市に逗留 | |
1589年 | 天正17年 | 毛利氏が広島に築城開始。 | |
1587年~91年 | 天正15~19年 | 毛利氏による惣国検地。 | 35、近世安芸国各郡の石高 補足6、毛利氏による惣国検地 |
1592~1598年 | 文禄元年~慶長3年 | 秀吉による朝鮮侵略戦争 | |
1600年 | 慶長5年 | 関が原の戦い | |
16世紀末~17世紀始 | 安芸郡と賀茂郡の境界変遷 | 34、大山峠と賀茂台地 | |
17世紀 | 西国街道(往還道)の制定、宿場町の設置。 | 6、海田市宿 13、宝永3年船越村図 16、船越村の西国街道 |
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1638年 | 寛永15年 | 広島藩(浅野氏)による地詰(検地)。 | 7、瀬野川流域の村々 10、寛永15年船越村地詰 11、地詰帖にみる地名と地割 |
1660年 | 明暦4年 | 大須新開造成。 | 30、三つの大須新開 |
1661年 | 寛文元年 | 海田新開造成。 | 6、海田市宿・海田新開 |
1663年 | 寛文3年 | 仁保島東新開、皆実新開造成。 | 31、広島湾東部の新開造成 |
1812年 | 文化9年 | 松石新開造成。 | 14、松石新開 |
1810年代 | 文化・文政 | 広島藩各村より国郡志下調べ書出し帳の提出。芸藩通志の基資料。 | 15、文化度国郡志 |
1825年 | 文政8年 | 広島藩の地誌、芸藩通志の完成。 | 7、瀬野川流域の村々 24、太田川下流域の開墾 32、牛田山をめぐる村々 35、近世安芸国各郡の石高 |
1838年 | 天保9年 | 海田・明神新開造成。 | 8、海田湾全干拓 |
1868年 | 戊辰戦争 | ||
1873年 | 明治6年 | 船越・鴻冶新田造成。 | |
1873年 | 明治6年 | 地租改訂。 | 番外6、年貢と地租 |
1884年 | 明治17年 | 宗吉~上瀬野間の瀬野川沿いに国道開通。 | 16、船越村の西国街道 番外5、明治5年の常夜灯 |
1890年頃 | 明治20年頃 | 船越地区の国道(現・県道)整備。 | |
1894年 | 明治27年 | 山陽鉄道(現・JR山陽本線)が広島まで開通。海田市駅を設置。 | 番外4、明治の船越 |
1894年~1895年 | 日清戦争 | ||
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